本記事は、エイミー ウィテカー氏の著書『アートシンキング 未知の領域が生まれるビジネス思考術』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています。
仕事とは何か――そのことを、私は子どもの頃からずっと考えてきた。仕事熱心な両親の背中を見てきたからだろう。父は神経科の医師で、〝お気に入りの酵素〞のタンパク質配列をキャッシュカードの暗証番号にするほどの仕事の虫だった。食事を取ると仕事のペースが落ちるからと毎日昼を抜いていた。母は中世史の研究者で、こちらも大学院で彩飾写本を熟読するためにランチ抜きの日々を過ごしていた。
専門分野のまるでちがう夫婦が、なぜそんなにうまくやっていけるのか?
そう尋ねられたとき、父は「私は人の命を救う仕事をしていて、妻は人の命を救う価値のあるものにする仕事をしているからね」と答えたそうだ。つまり、二人の職業には見た目ほど大きなちがいはないということだ。実際、父と母の役割が入れ替わることも多かった。父が消耗性頭痛や神経損傷の患者にクオリティオブライフ(QQL)に関する助言をすることもあったし、母が〝正しい文法で文章を書く〞という人生のサバイバルスキルを人々に教えることもあった。
この「命を救うことvs命を救う価値のあるものにすること」という対比は、両親の場合は科学と文学の一般的な関係を表し、本書ではビジネスとアートの関係を表している。一見、一方は必要不可欠なものに、他方は娯楽のように思える。一方は分析、他方はイマジネーションとも取れる。しかし、実際にはそこに明確な境界線が引かれているわけではない。
2008年1月17日、ブリティッシュ・エアウェイズのパイロット、ジョン・カワードは、ボーイング777型機の操縦席にいた。中国の空港を離陸してからすでに10時間以上が経っていた。ところが、あと二分でロンドン・ヒースロー空港に到着するというときに――8000キロメートルに及ぶ飛行の最後の三キロ地点で――突然、エンジンが故障した。機長はすぐさま高揚力装置(フラップ)を調整した。カワードは空港を囲むフェンスをかろうじて越えたあと、機体を芝生の上に胴体着陸させた。乗客乗員は全員無事で、重傷者もいなかった。
のちに、航空専門家のフィリップ・バターワース=ヘイズは、パイロットたちは「訓練をしたこともなければ、計器がまったく役に立たない」状況に対処したと事故を解説した。未知の領域に置かれたパイロットたちは、自ら判断して、分析的かつ創造的な方法で行動した。150トンの航空機はテクノロジーの最高傑作だが、安全に着陸するためには、創造性と瞬時の判断という人間的なツールで、物理学に対処する必要があった。英国民間輸送機パイロット協会の言葉を引用すれば、当該機のクルーは、乗客をすみやかに避難させた客室乗務員も含めて「平凡な人々が非凡なことを成し遂げた」のである。