本記事は、エイミー ウィテカー氏の著書『アートシンキング 未知の領域が生まれるビジネス思考術』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています。
オブジェクトと環境
作家デヴィッド・フォスター・ウォレスは、2005年のケニオン・カレッジの卒業式の祝辞で、魚の話をした。
2匹の若い魚が並んで泳いでいると、年寄りの魚とばったり出くわした。年寄りの魚は2匹に会釈して言った。「おはよう、少年たちよ。水の調子はどうだね ?」2匹の若い魚はそのまま泳ぎつづけた。が、しばらくして一方がもう一方を見ると言った。「水っていったい何?」
ミシガン大学で教鞭を取る社会心理学者、リチャード・E・ニスベットは、2003年の著作『木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか』の中で、教え子の日本人大学院生、増田貴彦の研究のきっかけとなった出来事を回想している。身長188センチの増田はアメフトをプレーした経験があった。ミシガンにやってきたばかりのとき、人生初のカレッジリーグ観戦をとても楽しみにしていた。ところが、試合には感動したものの、スタジアムの観客のふるまいにショックを受けた。日本では自分のふるまいが周囲に与える影響に気を配るよう教えられてきたが、ミシガンでは目の前の観客がいっせいに立ち上がり、後ろにいる彼が見えにくくなることなどおかまいなしに応援していた。そのとき、増田はこの文化のちがいを実証してみようと思いついた。
増田は、「東洋人と西洋人では世界の認識方法が異なる」という仮説を立てた。東洋人は広角レンズのような視点で、風景全体に注意を向ける。一方、西洋人はトンネルのような狭い視野で、対象物(オブジエクト)に焦点を合わせる。この仮説を検証するため、増田は、水中の様子(複数の魚、海藻、石、泡)を描いた約20秒のアニメーションを八種類制作し、ミシガン大学と京都大学の学生グループにそれぞれ見せた。
どのアニメーションでも、少なくとも1匹の「中心的な魚」――ほかの魚よりも大きく、明るく色鮮やかで、素早く泳ぐ魚――がスクリーンを横切るようにした。被験者の学生たちにそのアニメーションを2回ずつ見せたあと、どんなものを見たのか説明してもらった。アメリカ人学生も日本人学生も、どちらも中心の魚に目を留めた。その魚についてコメントした回数はほぼ同じだった。しかし、日本人学生は背景的な要素についてコメントした回数がアメリカ人学生よりも60%多く、さらに、背景的な要素とほかのものの関係についてコメントした回数は2倍も多かった。また、コメントをするときに中心的な魚の描写から始めたアメリカ人学生は、日本人学生の3倍いた――「大きな魚がいて、たぶんマスかな、左に泳いでいった」といったように。一方、日本人学生は、「池みたいなところだった」など環境から描写することが多かった。
オブジェクトに基づく世界では、海の中の写真を見たときに、魚やアネモネやサメの名前を挙げる。環境に基づく世界では、海全体を描写する。一つの商品の収益性を追求することは、一匹の中心的な魚を探すようなものであり、持続可能性や心身の健康を追求することは全体の環境を見るようなものである。クリエイティビティには、後者の視点が必要になることが多い。