本記事は、エイミー ウィテカー氏の著書『アートシンキング 未知の領域が生まれるビジネス思考術』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています。
図(ず)と地(じ)
このように一つのパーツから全体に視点を移すことを、美術用語では、「図と地」について考えるという。あなたの人生と創造的プロジェクトの構図を組み立てるには、この考え方が必要になる。
紙の上に一つの花瓶を描くとき、その絵の中には「図と地」ができる。「図」とは、なんであれあなたが描いたものを指す。つまり、対象物であり、この場合は花瓶のことだ。「地」とは、花瓶の周りにあるスペース、つまり背景を指す。
全体の構図は、「図と地」の両方から生み出される。優れた構図では、視点はまず一つの場所に引き寄せられ、それから周囲をめぐる。「焦点」と「全体の調和」の両方がそろうとき、構図はうまく機能する。対照的に、もしその絵の焦点がぼやけていて一律に注意を払わねばならないとき、人間の目は疲れてしまい、全体を把握することができなくなる。
人生において「図と地」を区別することの利点は二つある。一つは、幅広い視野から見た展望と、優先順位を決めて集中すべき現実的な問題とのバランスが取りやすくなること。もう一つは、あなたの人生の構図の中に、余白――意識的に「地」として残しておく部分――を確保できることだ。
優先順位をつけて余白を残すという構図のツールを使えば、効率の重要性は理解しつつも、それによって制限を受けずにすむ。集中すべき場所の選択がうまくなり、後々の可能性のための余白を残しておけるようになる。
レオナルド・ダ・ヴィンチが「図と地」の関係の達人となった理由は、一つには、彼が「地」に対して深い興味を持っていたからである。ルネッサンス期の肖像画では、背景――モデルとなった人物の背後にある「地」の部分――に、窓から見た風景が描かれることが多かった。ダ・ヴィンチの絵画や肖像画の背景に描かれた「地」の部分には、彼の自然に対する詳細な観察が反映されている。
風景に注目することには、ほかにも意味がある。対象物の周りのスペース――日常生活で、私たちの多くが見過ごしがちで、まるでそこに何もないかのように見える余白部分――は、対象物そのものと同じくらい重要だと認識できるからだ。「図」にとって、「地」は不可欠である。ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を制作していた1503年から1504年頃に、彼はこんな一文を書き残している。
「我々が生きる広大な世界の中でも、無の存在が一番すばらしい」裏を返せば、レオナルド・ダ・ヴィンチほどの観察力がなければ、人生を広角レンズで見渡すことは容易ではないということでもある。それを習得するには、まずは自分の人生の風景が混み合いすぎているという事実を認めるところから始めなければならない。