(本記事は、ピーター・ディアマンディス氏、スティーブン・コトラー氏の著書『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』=NewsPicksパブリッシング、2020年12月24日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

ブレイン・コンピュータ・インターフェースという革命

2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ
(画像=ipopba/stock.adobe.com)

2015年、ハーバード大学の化学者チャールズ・リーバーは、ニューロモジュレーションと呼ばれる新分野で、ある難題に取り組んでいた(※66)。過去数十年、パーキンソン病患者の治療には「脳深部刺激療法」が利用されてきた。患者が覚醒しているあいだに、頭蓋にドリルで穴を開け、脳の運動をつかさどる領域に電気的刺激を送る装置を差し込む。

すでに治療法として定着しており、埋め込まれた装置の数は10万個を超えた。他のあらゆる治療法が効かなかった患者にとって、脳深部刺激療法は運動を制御し、震えを抑える唯一の手段だ。

残念ながら、副作用もある。しかも奇妙なものが多い。最も発生頻度が高いのは、ギャンブルの衝動を抑えられなくなることだ。仕事中毒者が突然怠け者になるというのが二つめ。慢性的に鬱状態に陥るというのが三つめだ。理由は、装置の大きさにある。

脳外科医はできることなら、脳への影響をニューロン(神経細胞)一つレベルにとどめたいと考える。しかしそのような精度の高い治療をするには、今日使われている電極は大きすぎる。

MITの材料科学・工学教授のポリーナ・アニキーヴァは2015年のTEDトークで、今日の電極で個別のニューロンを狙い撃つのは「小型トラックぐらいの大きさの指で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を弾こうとするようなもの」とたとえた(※67)。

さらに厄介なのは、こうした装置を外科手術で埋め込んだ後には、脳がそれを異物と認識するため、相当な薬物投与が必要になることだ。

設計上の問題もある。人の身体は柔軟性のある3次元環境だが、今日の脳インプラント装置(脳深部刺激療法の電極に限らず)は2次元で柔軟性はない。体内組織とは似ても似つかず、むしろシリコンチップに近い。ぐにょぐにょした熱くて湿っぽい脳内で、電気信号が混線し、副作用が出るのも当然だ。

チャールズ・リーバーはまったく違う方法を採ることにした。医師は骨組織を再生するとき、損傷した部位に「バイオスキャフォールド(足場)」を埋め込むことが多い。この足場を支えにして新しい組織が成長していくのだ。

5年ほど前、リーバーはエレクトロニクス材料を使って微細なバイオスキャフォールドをつくってみようと考えた。フォトリソグラフィー技術を使って4層のプローブに1層ずつエッチングを施し、脳の活動を記録できるセンサー付きのナノスケールのメタルメッシュ(金網)をつくったのだ。

このメッシュを丸めて細いシリンダーの中に詰め、それを注射器に吸い込んでマウスの海馬に注射した(※68)。

1時間も経たずにメッシュは元の形に広がった。周辺組織へのダメージは一切なかった。こうしてマウスの脳の状態が手に取るようにわかるようになった。生きている動物の脳の活動を、リアルタイムにモニタリングできるようになったのだ。

マウスの免疫系はインプラントを敵ではなく仲間とみなした。メッシュを異物として攻撃するのではなく、ニューロンがそこに取りついて、増殖しはじめたのだ。

別の実験では、リーバーはマウスの網膜にメッシュを注入した。そこでもメッシュは目の組織にダメージを与えずに元の形に広がった。視覚を阻害せず、光を遮断することもない。それでいてマウスの視覚をニューロン一つ単位で、16チャネル同時に、何年も継続的に記録できる装置ができあがった。

この成果によってリーバーグループの名声は一気に高まり、この技術は野火のように広がった。使用方法を説明するチュートリアル動画はオンラインで閲覧できる。この技術の進化の次の段階について熱弁をふるうイーロン・マスクの動画もたっぷりある。

マスクはそれを「ニューラル・レース」、あるいは注入可能なブレイン(脳)・コンピュータ・インターフェース、「人間をコンピュータと接続する超高帯域のブレイン・マシン・インターフェース」などと表現する(※69)。

あらゆるテクノロジーの究極の交錯点

ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)は、コンバージェンスの究極の姿だ。

バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、材料科学など本書で取りあげてきたほぼすべてのテクノロジーの交錯点にある。それらが急速に同じ産業にまとまりつつあることは、すでに見てきたとおりだ。量子コンピューティングも忘れてはいけない。それによって人間の脳のような複雑な環境をモデル化できるようになる。

そして人工知能を使えば、量子コンピュータのつくったモデルを解析できるようになる。神経シグナルをクラウドにアップロードするための、高帯域幅ネットワークもある。このようにBCIという単一の技術進歩には、私たちが成し遂げてきた技術進歩のほとんどが詰まっているのだ。

エクスポネンシャル・テクノロジーが人間の知性の証だとすれば、その最たるものがBCIだ。またBCIは私たちを自らの成功のワナから救ってくれるかもしれない。AIが支配する世界にしっかりと参画するには、人間がアップグレードする必要があり、その切り札となるのがBCIだと考える人は多い。

その急先鋒がイーロン・マスクとブライアン・ジョンソンだ。マスクはニューラリンクを、ジョンソンはカーネルを創業し、それぞれがBCIの開発を加速させようとしている。それ以外にもフェイスブックからDARPAまで、さまざまな勢力がこの分野に参入している。

フェイスブックはキーボードに代わるソーシャルメディアの究極のインターフェースとして、ユーザーが頭に思い浮かべるだけで投稿できるようなニューロテックを開発したいと考えている。

DARPAはBCIを次世代の戦闘用テクノロジーと考えており、100万個のニューロンを同時に記録すると同時に、10万個に電子的刺激を送れるものを開発しようとしている。スタートアップも続々と誕生しており、対象分野は医療や健康から教育、エンターテインメントまで幅広い。

そして技術は着実に進歩している。
研究者はここ10年でEEG(脳波図)をベースにしたBCI、すなわち外科手術を必要とせず、頭に置くだけの電極の王冠を使って、奇跡のような成果を生み出してきた。対ついまひ患者は再び歩けるようになった(※70)。脳卒中で何年もまひ状態にあった患者が再び手足を使えるようになった(※71) 。

てんかん患者は発作が起きなくなった(※72)。四肢まひ患者は脳で考えるだけでカーソルを動かせるようになった。そして子供向けのおとぎ話から現実になったのは、ドラキュラ、空飛ぶ車、殺人ロボットだけではない。いまやテレパシーもその仲間入りを果たした。

2014年、ハーバード大学の研究チームが、インターネットを通じて脳から脳へ言葉を送った(※73)。専門用語で「ブレイン・トゥ・ブレイン・コミュニケーション」と呼ばれるもので、被験者のうち1人はフランス、もう1人はインドにいる長距離バージョンだった。

送信機にはワイヤレスでインターネットに接続したEEGヘッドセットを使い、受信機には脳に弱い磁気パルスを送る経頭蓋磁気刺激装置(TMS)を使った(※74)。被験者たちは思考を伝え合うまでにはいたらなかったが、メッセージに相当する光の点滅を正確に読み取ることができた。

それが2014年時点の話だ。2016年にはEEGヘッドセットを使って、テレパシーでビデオゲームをプレーできるようになった。2018年には頭で考えるだけでドローンを操縦できるようになった。

次のステップは人間の脳を、クラウドを経由してシームレスにインターネットとつなぐ方法を見つけることだ。リーバーの注射によってメッシュを埋め込む技術がこれほど注目される理由はここにある。

一般的に、頭に乗せるだけのニューロテックでは、実際に利用価値のある明確なシグナルは得られず、反対に手術で埋め込むタイプの装置は(手術がどれだけ簡単なものであっても)リスクが高すぎて広く普及しないと見られている。マスクの言う注入可能なニューラル・レースなら、こうした問題は解決でき、それ以外にもさまざまなメリットがある。

「個人の意識」はクラウドに移行する

ここで話は最後の大移動につながる。通常の脳をベースとする個人の意識から、クラウドベースの集団意識への移行だ。それはハイブマインドの誕生であると同時に、真の冒険とは宇宙に出ていくことではなく、自らの心に分け入ることだという事実の再認識でもある。

イーロン・マスクとブライアン・ジョンソンがともに主張するように、経済的観点からもこの移行は必要だ。人間が人工知能と競争する世界においては、「コストを抑える」という昔ながらの動機づけが働く。だが動機づけは他にもある。

自分の脳をクラウドに接続すれば、私たちの処理能力と記憶能力は大幅に高まる。そして少なくとも理論的には、インターネット上で地球上のあらゆる頭脳にアクセスできることになる。

こんなふうに考えてみよう。コンピュータは1台だけでもおもしろい。だが何台か接続し、ネットワークをつくれば、ワールド・ワイド・ウェブの原型ができる。

このコンピュータが、既知の宇宙で最も複雑なコンピュータとされる人間の脳だったらどうだろう?

そこで思考だけでなく、感情や経験も互いにやりとりできたら?

そしてもしかしたら、ひょっとしたら、生きる意味もそこに加わるかもしれない。そんなことが可能になったら、私たちはいつまでも自分だけの意識にしがみついているだろうか。それともインターネット上で進化しつづける集団意識に少しずつ移行するだろうか。

この問いに答える前に、あと三つ、考えてほしい点がある。

まず私たち人間は、どこまでも社会的な種だ。さまざまな研究によると、孤独は現代人の最大かつ最悪の恐怖の一つだという(※75)。他者とつながりたいという願望は人間の基本的欲求であり、心理学用語で言えば内発的動機づけだ。ただ、考慮すべき要因はこれだけではない。人類がこれまで経験したなかで最もハイブマインドに近いのは「グループフロー」、つまり集団で共有するフロー状態だ(※76)。

例を挙げれば、最高のパフォーマンスができているチーム、すばらしく有意義なブレインストーミング・セッション、第4クォーターでの驚くべき大逆転、劇場の屋根が吹き飛ぶぐらい盛り上がったバンドのコンサートなどだ。このうえなく愉快な状態ともいえる。

心理学の調査で被験者に好きな経験をリストアップしてもらうと、常にトップに挙がるのはグループフローだ。このためグループフローをいつでもオンデマンドで経験できる機会があるとなれば、集団意識に移行する強力な動機づけになるだろう。


  1. Matt Williams, “Musk Gives an Update on When a Mars Colony Could Be Built,” Universe Today, September 25, 2018. https://www.universetoday.com/140071/musk-gives-an-updateon-when-a-mars-colony-could-be-built/.
  2. Amanda Kooser, “Elon Musk Expects Spacex Ticket to Mars Will Cost $500,000,” CNET, February 11, 2019. https://www.cnet.com/news/elon-musk-expects-spacex-ticket-to-mars-willcost-500000/.
  3. Jung Min Lee, “Nanoenabled Direct Contact Interfacing of Syringe-Injectable Mesh Electronics,” Nano Letters, 2019. http://cml.harvard.edu/assets/Nanoenabled-Direct-Contact-Interfacing-of-Syringe-Injectable-Mesh-Electronics.pdf.
  4. https://www.youtube.com/watch?v=MZ3Q638aMlA.
  5. Guosong Hong, “A Method for Single Neuron Chronic Recording from the RetinAIn Awake Mice,” Science, June 29, 2018. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6047945/.
  6. Eric Lutz, “Elon Musk Has Created “Threads” to Weave a Computer into Your BrAIn,” Vanity FAIr, July 17, 2019. https://www.vanityfAIr.com/news/2019/07/elon-musk-neuralinkcreated-threads-to-weave-computer-into-your-brAIn.
  7. Laura Kauhanen, “EEG –Based BrAIn-Computer Interface for Tetraplegics,” Computational Intelligence and Neuroscience, September 19, 2007. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2233767/.
  8. “BrAIn-Computer Interface Enables Paralyzed Man to Walk Without Robotic Support,” Kurzweil, September 25, 2015. https://www.kurzweilAI.net/brAIn-computer-interface-enablesparalyzed-man-to-walk-without-robotic-support.
  9. Rafeed Alkawadri, “BrAIn–Computer Interface (BCI) Applications in Mapping of Epileptic BrAIn Networks Based On Intracranial-EEG: An Update,” Frontiers in Neuroscience, March 27, 2019. https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fnins.2019.00191/full
  10. Linda Xu, “Humans, Computers and Everything In Between: Towards Synthetic Telepathy,” Harvard Science Review, May 1, 2014. https://harvardsciencereview.com/2014/05/01/synthetic-telepathy.
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  12. Natalie Gil, “Loneliness: A Silent Plague That Is Hurting Young People Most,” Guardian, July 20, 2014. https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2014/jul/20/loneliness-britAInssilent-plague-hurts-young-people-most.
  13. Keith Sawyer, Group Genius (Basic Books, 2017).(『凡才の集団は孤高の天才に勝る』金子宣子訳、ダイヤモンド社、2009年)
2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ
ピーター・ディアマンディス
Xプライズ財団CEO。シンギュラリティ大学創設者、ベンチャーキャピタリスト。連続起業家としては寿命延長、宇宙、ベンチャーキャピタルおよびテクノロジー分野で22のスタートアップを設立。1994年に創設した「Xプライズ財団」は、おもに民間宇宙開発を支援し、20年来の友人であるイーロン・マスク(スペースX、テスラCEO)、ラリー・ペイジ(Google創業者)らが理事を務める。2008年、グーグル、3Dシステムズ、NASAの後援を得て、人類規模の課題解決をめざす教育機関「シンギュラリティ大学」をシリコンバレーに創設。
MITで分子生物学と航空工学の学位を、ハーバード・メディカルスクールで医学の学位を取得。2014年にはフォーチュン誌「世界の偉大なリーダー50人」に選出され、そのビジョンはイーロン・マスク、ビル・クリントン元大統領、エリック・シュミットGoogle元CEOらから絶賛されるなど、シリコンバレーのみならず現代アメリカを代表するビジョナリーの1人である。
スティーブン・コトラー
ジャーナリストにして起業家。身体パフォーマンスの研究機関フロー・リサーチ・コレクティブのエグゼクティブ・ディレクター。ディアマンディスとの共著に『楽観主義者の未来予測』(早川書房)『BOLD』(日経BP)がある。ジャーナリストとして手がけた作品は、2度にわたりピュリッツァー賞候補に上っている。

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