本記事は、吉田貞信氏の著書『ふるくてあたらしいものづくりの未来』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。
豊かさを生み出すブランドの要件
高度経済成長の時代では、量的な成長が社会全体のシンプルな目的とされていました。そのなかでの指標は、国ではGDP(国内総生産)であり、企業であれば売上や利益でした。個人では物質面で不自由なく満たされていることが豊かさの条件でした。
19世紀以降の経済成長により、人々の生活環境は大きく改善され、医療や福祉の充実とともに人類全体の寿命は伸び、人口爆発が生み出されました。地球規模では、この傾向は最低でも今後数十年は続くと予想されています。
一方で、社会学者の見田宗介氏が緩やかな成長カーブを「高原」の時代と表現したように、欧州や日本などの先進国では経済的低成長の時代へ移り変わりつつあります。
1980年代頃までに社会にものが行き渡った結果、私たちはものの良し悪しや好みで比較して取捨選択するようになりました。さらに時代が進み、もの自体の価値よりも、ものや消費行為自体にまつわる意味で取捨選択するというように、選択の基準も段階的に変化してきました。
SDGsに代表される地球と社会全体への配慮や、一人ひとりの個性や多様性を満たす取り組みなど、従来の基準では測りにくい価値観がより重視されるようになってきています。
これまで一部の社会活動家や、市民の草の根活動のレベルだったこちらの動きが、経済成長を第一優先と考えてきた人たちの間でも重要視され始めてきたことに、本質的な意味とインパクトがあると私は考えています。
マーケティングの大家として有名なマイケル・ポーターは、2011年に発表した論文のなかで、未来におけるビジネスの考え方としてCSV(Creating Shared Value)という概念を提唱しました。これは、企業が事業活動で利潤をあげると同時に、社会的な課題解決も実現していく考え方です。まずは本業で利潤をあげ、その利潤の一部を社会課題に還元するという、CSR(Corporate Social Responsibility)の発想をさらに推し進めたものになっています。
ネスレ、グーグル、ユニリーバ、インテル、ウォルマートなど、各分野で世界をリードするマーケットリーダーは、これを基幹戦略として導入し、実践を進めています。日本でも、たとえば味の素はASV(Ajinomoto Group Shared Value)と称して、経営戦略の中核に置いています。ほかにも、トヨタ自動車、キリンビールをはじめとした大手ブランド企業も、事業のなかでCSVを実践してきています。
「モノ消費からコト消費へ」という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。もの自体がもたらす価値よりも、ものに付随する「体験や経験によって生まれる感覚や感情」に重きがおかれる消費傾向を指し、「エクスペリエンス・エコノミー」と表現されることもあります。
私たちは大衆として扱われ、大量に生産された画一的な商品・サービスを消費するだけではもはや満足できません。人それぞれの体験やそれを通じた意味という個人的な価値と結びつくことで、初めて満足を得られるのです。
そのような消費者の変化に対し、企業やブランドは、大衆やセグメント(分類)として括っていた人々を、改めて「個」として識別し、その個を尊重しているというメッセージが伝わるよう、商品やサービスをパーソナライズすることが求められるようになっています。
時代の価値観に即した企業が選ばれ、生き残ってきたように、これからの時代の価値観を理解し、そのなかでの豊かさをつくり出せる企業やブランドが、新しい時代の担い手となり、社会や顧客の支持を得ていくことでしょう。
そのためにも、これからの時代の豊かさとは何か、その豊かさを生み出すための行動や環境とはどんなものかを考えながら、「豊かさを生み出すブランド」の要件を見出していきます。
精神的な充足を生み出す
これからの時代の豊かさとはどういうものでしょうか。
前章でも取り上げた山口周氏は、地球全体で従来の価値観による資本主義経済が行き詰まるなか、真に豊かな社会を目指すための示唆や方向性を提示しています。
経済合理性にハックされた思考・行動様式を、「喜怒哀楽に基づく衝動」によって再びハックし返すことで、経済合理性だけに頼っていては解けない問題の解決、あるいは実現できない構想の実現を図る山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』
これからの社会では、経済合理性では解けない問題こそが重要になります。経済合理性で扱うことができた問題はあらかた解決し、それでは解けない問題が無数に散らばっている状態とも言えます。そして、それらの問題を解く際に、便利かどうか、得をするか、という価値観ではなく、喜怒哀楽に基づく衝動を満たすかどうかという観点こそが役に立つようになるということです。
「喜怒哀楽に基づく衝動」を噛み砕くと、それは人が純粋に感じる喜びや感動、安心や信頼などの感情ということになります。
商品やサービスによっても異なりますが、自分たちが提供するものが、顧客の人生や社会にどんな喜びや感動を生み出すのか。どんな安心や信頼をもたらすのか。事業を通じて、これらの抽象的な問いに対する具体的な答えを提示していくことが、「これからの時代の豊かさ」を生み出す企業やブランドに求められるのです。
理念やヴィジョンとして、喜びや感動、安心や信頼を満たすことが掲げられ、企業活動や一人ひとりの行動につながっていること。また、それらが顧客や社会にも理解され、評価されていること。これこそが「豊かさを生み出すブランド」の要件として重要なポイントになるでしょう。
「そうは言っても、そんなご立派な考え方は大企業のもので、中小企業にはそぐわない」と思われる人もいるかもしれません。けれども、経済合理性ではない部分で勝負をしていく考え方は、経営資源の少ない中小企業こそ取り入れるべきです。
経済合理性に基づく価値を突き詰めると、競争すべきポイントは品揃えや金額、利便性の高さなどに絞られていきます。これらのポイントで競争するのは、中小企業には圧倒的に不利です。
このパワーゲームの覇者が、言わずと知れた世界一のオンラインリテーラーであるアマゾンです。アマゾンと同じような量や品揃え、さらに規模の経済を活かした価格などで勝負できる企業は、世界は広いといえども、数えるほどしかないでしょう。
しかし、特定の顧客を深く喜ばせたり、感動を与えるということならば、中小の事業者であってもアマゾンを凌げるかもしれません。むしろ規模が小さいからこそ、画一的にならずに個々の顧客に深く寄り添うことができるとも言えます。
経済合理性を突き詰めた先にあるのは、規模の経済やそれに伴う「一人勝ち(ウィナー・テイク・オール)」の世界だとすれば、そもそも経済合理性のゲームに乗らない選択肢は、大きな資本や事業基盤を持たない中小企業にこそ残った勝ち筋ではないでしょうか。
ザッポスという会社をご存じでしょうか。「アマゾンが屈服した」「ジェフ・ベゾスがどうしても欲しがった」などの謳い文句で語られる靴のオンラインECの会社です。
ここでは「世界に幸せを届けること」を経営理念に、顧客とスタッフを幸せにするという企業文化が徹底的に共有され、それを具体的に実現していくことで、創業10年で1200億円近い売上をあげるまでに成長しました。
お客様を幸せにするために、スタッフが楽しんで仕事に取り組める企業文化をつくりあげ、他の会社には絶対に真似できないような独自性、つまり競争優位を築き上げてきました。経済合理性でなく、喜びや感動を唯一無二の価値とした事例です。