本記事は、平尾丈氏の著書『起業家の思考法 「別解力」で圧倒的成果を生む問題発見・解決・実践の技法』(ダイヤモンド社)の中から一部を抜粋・編集しています
成功しているときこそ失敗を探す
とはいえ、失敗を認められない人も多いと聞きます。
それは、プライドが高いことや、そもそも失敗に気づいてないことが原因です。
失敗はチャンスロスであることを常に考えるならば、成功しているときでも失敗しているかもしれないとチェックし続けなければなりません。
いま、じげんの業績は順調に推移していますが、PER(株価収益率)は15倍程度(2022年1月時点)です。
一方で、業績はじげんと大きく変わらなくても、時流に乗るSaaS企業は100倍になっているところもあります。そう考えると、株主に評価される上場企業としては、SaaS企業のほうが現時点ではうまくいっていると見るべきです。私は、それをある種の失敗と考えたほうがいいと思います。
重要なのは、失敗していないときに失敗しているかもしれないと考える姿勢です。常にチャンスロスが生まれていると考えないと、より良い別解を導く動機が失われていくのではないかと危惧するのです。
高得点を取って喜んでいるうちに、実は失敗に陥っており、その後の成長が滞ってしまうケースが多々あります。人生は長く、世の中は複雑であるなかで、どうやって生き残っていくかを考えることが大事なのです。
最初から周りに成功を宣言する
自尊心が高いことは、決して悪いことではありません。
自尊心が高い人は自己効力感が高く、自己肯定感も強く優秀な人が多いのですが、どうしても優れたやり方に固執してしまうところがあります。優れたやり方はすぐにレッドオーシャンになるので、別解力を高めてブルーオーシャンを開拓してくれる優秀な人が増えれば、世の中はより良くなるだろうと期待しています。
だからこそ、失敗を認めるマインドを持つべきです。
言い訳をしないようにするには、最初から成果を宣言することが近道です。
宣言してから仲間たちを巻き込み、引っ張っていくので、その人は仲間たちから信用の前借りをしていることになります。前借りは返さなければ信用を失います。宣言した成果を出さなければなりませんし、期待を裏切れません。
そのような状況に身を置けば、失敗が起こっても認め、失敗から学び、失敗を糧にして前に進んでいくほうが成長できることに気づくはずです。それが仲間を大事にすることであり、目的を達成する最短距離なのです。
自分ひとりでこっそりやり、失敗したら言わない「不言実行」では、ほとんどの場合失敗を他人に言う必要もないので、失敗に向き合わなくなってしまいます。
行動して失敗する人のほうが得るものがある
人間は社会的な動物なので、自分のために頑張るのは限界があります。
心理学者のマズローは「欲求五段階説」の最上位よりさらに上に「自己超越欲求」を加えていたと言われますが、私も賛同します。人間は周りを巻き込んで成功することを望みますが、失敗したときの情けなさや辛さも引き受けなければなりません。
周りに高らかに宣言して失敗することもあります。そのときは信用を失いますが、対応の仕方次第で回復できるはずです。
「ごめん、俺についてきてくれたのに失敗してしまった。でも、この失敗で学び、結果は出せなかったけれども得るものがあった。それは次の機会に生かそうと思う。みんなの頑張りには感謝しかない」
私は、行動しないから失敗しない人より、行動して失敗する人のほうが尊敬に値すると思っています。行動して失敗した人は、成果としての金銭は手に入らないものの、経験が手に入っています。失敗は回り道ですが、必ずその経験は生きると信じています。
自分が成功できなくても、後から来た若い人がその失敗から影響を受け、育っていくこともあります。それに誇りを持つべきです。宣言する恥ずかしさやリスクより、宣言することによるリターンのほうが大きい。それには成功したときだけでなく、失敗した場合も含まれると考えています。
優れた人との間にある差分をメタ認知する
私は第三者から「あなたは成功した」という評価を受けても、必ずしも成功ではないと考えます。
真の意味で最高な打ち手を打ったのか、最高の意思決定ができたのか。
自分が実行したことを振り返り、そういう視点でメタ認知します。別解を生み出すプロセスにおいて、自分の視座が低くなかったか、範囲は狭くなかったか、安易な方向へ流れなかったかなどについては、常にウォッチしています。
メタ認知という観点で言えば、テスラのイーロン・マスクなど海外の有力起業家との差分、ソフトバンクの孫正義さんなど日本国内の有力起業家との差分など、はるか上にいる起業家と比べたときの差を見るようにしています。
現在の自分の別解力程度では、彼らの別解力にはとてもかなわないという自覚を持つことが重要だと考えているからです。
どうしても人間は、自分に甘くなってしまいます。それを乗り越えて、視座を上げる努力をしなければなりません。
自分を客観視して周りの人の視点から見る
メタ認知するときは、それぞれのやり方で構いません。私の場合は、客観的に自分が周囲にいる誰かになった姿をイメージし、そこから見た実在の自分を評価します。
・後輩や知人から見た自分 ・社外取締役から見た自分 ・監査役から見た自分 ・社員の皆から見た自分 ・家族から見た自分 ・取引先から見た自分
単なる客観視で終わらず、その人たちに感情移入します。自分に近い人から遠い人にまで、自分はどのように見られているのか、常にメタ認知で測っています。
人に会ったときも、客観視は常に発動させています。
「自己紹介したけれど、この部分は反応が良かったのに、この部分は反応が鈍かった」
「仲の良い人たちには受け入れられるけれど、知らない人には見向きもされない」
自己紹介をするだけでも、自分の足りない部分がわかります。これは人間関係や状態が異なるときの自分を浮き彫りにしていく作業です。
知らない人とはじめて会ったときは、1時間後に相手がどう変わったかも見ています。
「会うとファンになってもらえる」 「会ってみたら優しいと言われる」 「意外と親分肌ですね、人間っぽいですねと言ってくれる」
こうした評価の変化も、メタな位置から見るようにしています。
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