本記事は、永谷武久氏の著書『高いから、売れる。 125年続く近江牛の老舗社長が教えるブランド管理術』(イースト・プレス)の中から一部を抜粋・編集しています
恐怖しかなかった事業承継
私は小さい頃から人前に出て話すのが大の苦手です。セールストークも苦手です。極力しゃべりたくはないのです。父がお客さまとコミュニケーションをとることで「モノが売れていく」のを目の当たりにしたことで、余計に引け目を感じるようになっていきました。
しかし、父が亡くなり立場が一変します。父がつくりあげてきた事業をさらに発展させたいと模索するなかで、東京の百貨店のバイヤーを訪れることにしました。アポイントの30分前には必ず到着するようにし、気持ちを整えようにも心臓の音で自分の声も相手の声も聞こえないほどです。結局、何も伝えられずに滋賀へ帰る……という繰り返しでした。
克服のきっかけになったのは「すべての原稿化」でした。紙に自分の伝えたいことを事細かに書き、プレゼンテーションツールをつくったのです。セールストークはすべて原稿化し、事前に何度も何度も読み返しながら営業活動を繰り返し、伝えていったところ、緊張することはなくなりました。うまくしゃべれないことが自分の短所だったのに、つくった資料を覚えることで、苦手ではなくなったのです。いつの間にか、事前に原稿をつくることなく伝えることができるようにもなりました。変わっていく自分に、自分自身が驚きました。
それでも当時、20代の若造だった私は「明日潰れたらどうしよう、家族や従業員の人生を台無しにしてしまったらどうしよう……」と不安にならずに眠る夜はありませんでした。毎日の仕事をしながらその不安が頭全体を占めるまでになり、仕事を放り出して家で布団にうずくまっている時間が増えていきました。
そんなとき、食肉業界の理事も務めていた父がノートに残した挨拶文を見つけました。「親父はこんな大きな視点で業界を見ていたのか」と知れば知るほど、自分がますます小さい人間に見え、劣等感が募ってさらに落ち込みました。
その姿を見た母は「私は何もしてやれない」と泣いていたのです。しかし、いつまでも母を悲しませるわけにはいきません。
奮い立った理由はそれだけでした。「怖がってばかりで、やってみないことが間違いだ。これからは、やってみて、それから考える。頭のなかだけで考えて、結果におびえて、手も足も出ないようなまねは二度としない。死んだ気になってやる!」
そう母に宣言。私はようやく、大吉商店への強い覚悟を持つことができました。
幸いにも、根っこが小心者の「おどおど社長」な私だからこそ、リスクマネジメントの感度は高いようでした。たとえば、産地直送は一つの案件に「贈る方」と「贈られる方」の二人の顧客が存在しています。贈る側は贈られた側にちゃんと届いたかを心配します。もし、届かない場合は配送会社ではなく、われわれにクレームがくるのです。また、産地直送は百貨店の「付属信用」ということもあり、「贈る方」「贈られる方」双方のリスクマネジメントをするためのソフトを自分でつくることになりました。
また、O157だ、BSEだと、これまで国内になかった病原菌管理の問題が急に私たちを襲いました。そこに「HACCP(ハサップ)」など、海外の大変厳しい食品管理技術も入ってくるようになりました。アメリカのアポロ計画のなかで宇宙食の安全性を確保するために発案された衛生管理手法です。その後、食品業界に評価されたことをきっかけに、次第に世界に広がり、今では衛生管理の国際的な手法となりました。それもなんとかクリアしてきました。
自分が社長になったら従業員の半数が辞め、自社店舗も激減
悪いことは続きました。以前は、本店のほかにAコープ安曇川店と、駅前にある平和堂安曇川店の専門店街に出店していました。まず、父が亡くなった翌年、Aコープが安曇川から撤退し、店を1軒失いました。しばらくしてもう1店舗も撤退し、本店だけになってしまったのです。平和堂の専門店街には地元商店が20店ほど集まり、組合をつくって運営していましたが、徐々に集客力が落ちて商店はどんどんと抜けていき、組合さんから共存共栄の理念が消えたことで、私も撤退を決めました。
残ってくれた従業員に本店に来てもらい、業務を続けていましたが、高齢化も重なり、一人抜け、二人抜け、十数人いた従業員が4人にまで減ってしまいました。そのなかには、私がもっとも頼りにしていた父の代からの番頭さんもいました。その方は、残念ながらお亡くなりになられました。
父が亡くなり、店がなくなり、人がいなくなり、それでも店を続けなければいけない自分の運命を憎むようになっていたエピソードでした。
たった一つ、心の支えになったのは、安岡正篤さんの著書のなかで『陰騭禄』という中国・明代の学者袁了凡が息子のために書き与えた本を解説されていました。
「運命」は「宿命」と「立命」によって成り立っている。生まれ育ちといった「宿命」は変えられないが、「立命」は文字通り「自分が立てた命」であるから、すべて変えることができる。そんな主旨の話です。
「宿命」は「運命」の半分にすぎず、あとの半分は自分で変えることができる。このことが心にしみ、頭に残り、体全体に響き、私の経営哲学の本質となりました。意欲をもっと持ちたい、強い意志を持ちたいと願うようになりました。
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