本記事は、永谷武久氏の著書『高いから、売れる。 125年続く近江牛の老舗社長が教えるブランド管理術』(イースト・プレス)の中から一部を抜粋・編集しています

「WAGYU」はなぜ世界共通語になったのか

和牛
(画像=Sunrising/PIXTA)

農林水産省が2007年に発表したガイドラインによると、「和牛」はそもそも牛の品種に着目した区分で、日本で長い時間をかけて品種改良されてきた黒毛和種など4品種以外は「和牛」と表示することができません。

日本三大和牛と称される「近江牛」「松坂牛」「神戸牛」のルーツはすべて同じ、但馬産の黒毛和種ではじまりました。和牛は昭和19年に日本固有の肉用種に認定されました。ちなみに「松坂牛」は牝牛のみ、「近江牛」「神戸牛」は雄牛(去勢牛)と牝牛の両方を扱っています。

一方の「WAGYU」は、和牛がオーストラリアやアメリカに持ち込まれ、外国種との掛け合わせで品種改良されたハーフ牛のことです。「WAGYU」は日本で生まれ育った和牛とは体格がちがい、飼育環境も品質も異なり、日本では交雑牛として区別されています。ですから、「WAGYU」を逆輸入して、日本で「和牛」として売ることはできません。

現在ではアメリカのブラックアンガス牛や、オーストラリアのアンガス牛と交配させて、「アメリカWAGYU」「オーストラリアWAGYU」がつくられています。

結果的に、「WAGYU」のおかげで、「和牛」の人気が世界的に高まることになりました。「WAGYU」とは一線を画すジューシーな味わい、柔らかくとろけるような食感、特有の甘い香りが〝世界最高峰〟と評されるに至り、タイ、台湾、中国でも「オリジナルWAGYU」をつくろうと躍起になっています。

ここでみなさんに知ってほしいのが、優良顧客とともに神ブランドをつくる原則の2つ目、「グローバル化」です。

ほかにはない、頂点を極めた「本物」「極上」は、国境を超えて、目の肥えた消費者に注目され、評価されます。

「WAGYU」と同じように、加速度的に世界の共通語になったものには、ほかにも「Sushi」「Tempura」「Manga」「Anime」などがありますよね。

空前の日本ブームが起こったフランスでは「Bento」が浸透し、共通語として使われています。弁当づくりも流行し、フランス人観光客のなかには、日本でカラフルなお弁当箱を大量買いする人もいるそうです。また、「Teriyaki」は、今やアジアでなくてもメニューのなかに一つは見つけられるほど、ポピュラーな味付けになっています。

神顧客は日本人だけとは限らないのです。日本の中小企業は、世界に評価される高い技術や商品開発力、センスを持っています。あなたの会社も、狭い国内に閉じこもっている場合ではありません。

では、なぜ「和牛」はそこまで外国人の舌を虜にしたのでしょうか。それは、和牛の一番の特徴である「きめ細やかな霜降り肉」が、世界の価値観として認められる唯一無二の存在だったからです。

外国では長い間、草を飼料として牛を育ててきました。国土の広い国では牧草もそだり、資源も多くあります。肉質は毎日でも食べられるような赤身中心で、タンパク源の多い食事です。しかし、片や日本は、もともと牛を食用ではなく、農耕用として飼育していました。1つの労働力として家族同様に育てられ、自分たちが食べる大豆や穀物を牛にも資源がないがゆえに食べさせていたのです。

その風習によって、赤身の間に細かい脂肪が網の目のように入った霜降り肉になり、その肉質ゆえにすき焼きといった料理が生まれ、牛肉を楽しむ独自の文化が発展していきました。そして、現代になってそのおいしさが世界に称賛され、一気にグローバル化したというわけです。

そうした海外の動きに、私は人との出会いで教えていただきました。しかし、世界に打って出てみると、風がこちらに吹いていることが肌でわかりました。

これはあなたにも起こりうることだと思います。自分たちの価値に気づいて、グローバルを目指すという高い志が、さらに神ブランドに磨きをかけるのです。

「世界」はどんどん近づいている

「グローバル化」について、もう少し話を続けます。

私が海外を目指したのは、日本の流通システムに阻まれ、売る場所がなかったからです。滋賀県の大吉商店が、東京で近江牛のロースを売りたいと思っても、どこもほかの同業者が長年取引を行っており、容易く入り込む余地はありません。そこで考えたのがまったく未開の海外挑戦でした。

海外への展開をもたらしてくれたのは、百貨店とのつながりです。それは本当に偶然でした。新規参入した産直事業では、長い年月をかけて、多くの百貨店やギフト会社との信頼関係を築き上げてきました。会社対会社はもちろんですが、百貨店のバイヤーやマーチャンダイザーの方々とは、深いつながりを持つことができました。

そのなかで、香港の大手高級スーパーのバイヤーさんから、「海外で勝負しませんか?」と声をかけていただいたのです。私たちは早速取引を開始し、牛肉の輸出方法などはすべてこの方々に教えていただきました。

その後は地方自治体が輸出を促進するブームもあり、折よく、滋賀県が主催するシンガポールでの商談会に参加。私は、香港時代から付き合いのある、気心の知れたマレーシア人の友人を通訳に、商談会に臨みました。

商談会では、1社当たり20分程度の時間で、顔合わせを行い、名刺を交換して業務内容を確認しておしまいというのがほとんどです。「本格的な商談は、次にこの地を訪れたときにしましょう」というのが慣例です。つまり、商談会とは口約束のみの集団お見合いみたいなもので、ここから実際に取引を始めるケースはほとんどありません。

当然口約束では次の機会など永遠に訪れませんし、他社に先を越されて契約を結ばれてしまうこともあります。そこで私は、商談会の場ですぐにアポイントをとり、その日のうちに1社と面会し、具体的な商談を行いました。シンガポールでは、その1社と近江牛の取引契約を結びました。

数社のなかからその1社に決めた理由は、会社の大小ではなく、気持ちが通じ合ったからです。本気の商売の話が通じるか、「この人と三方よしが築けるか?」をイメージできたからです。

小さい会社でも、真面目に味やクオリティを重視して商品を取り扱っている会社なら、売上が伸び、自然に取引が大きくなるものです。反対に、大きな会社だからといって、私たちのメリットとはなりません。なぜなら、いくら大きな取引ができるといわれたところで、こちらは限られた量の肉しか用意できませんし、商品の価値が伝わらない商売をされれば、取引は必ず失敗に終わるからです。

シンガポールで取引を始めた食品卸会社は、それまで「和牛」を扱ったことのない会社でした。しかし、食品に対する姿勢や、近江牛を扱いたいという熱意がほかの会社を上回っていました。同世代だったということもあり、私も一緒にやりたいと思うことができました。そして、その熱意が実を結び、その会社の取扱量はとても伸びたのです。

その後、私はセミナーや日本での商談をいくつか経験し、海外での商売の方法をさらに学んでいきました。現在も国の輸出計画拡大の潮流に乗り、輸出国は徐々に増えています。アジアが中心ですが、香港、シンガポールのほかに、オーストラリア、フィリピン、タイ、マレーシア、台湾の7カ国と取引が始まっています。

これらの国では、近江牛は日本国内の倍以上の価格で取引されています。大変に高価なものです。仕入れているのは、ほんの一部のセレブリティしか訪れない一流ホテルや高級レストランです。

アメリカ、ヨーロッパは大手食肉加工メーカーやそこに関連する商社がほぼ牛耳っています。私たちが入り込む隙はありません。でも、アジアはマーケットが小さいので、彼らが行っても逆に商売にならないのです。だからこそ、私たちにビジネスチャンスがあるというわけです。そう考えると「世界は近い」ともいえます。

今は世界中で「和牛」が食べられています。「日本食、何がいい?」というとき、これまでは寿司が筆頭でしたが、そこに和牛が入ってくるようになりました。ドバイでは寿司より和牛のほうが高級な扱いをされています。

また、海外の和食レストランでは、和牛をメニューに取り入れるのが当たり前になっています。「和食に牛肉」はもはや世界の常識となった印象です。

日本にインバウンド需要がやってきたとき、必ず訪日外国人に和牛が好まれると思って準備していました。あっという間に、京都の老舗の和食店などでも和牛を扱うようになりましたね。

そういう〝波〟に間違いなく乗るためにも、海外の動きに目を向けることが必要だと思います。新しい需要を生み出せる環境はすでに身近に存在しているのです。

高いから、売れる。 125年続く近江牛の老舗社長が教えるブランド管理術
永谷武久(ながたに・たけひさ)
創業125年「大吉商店株式会社」代表取締役(4代目社長)。1969年、京都府伏見区生まれ、23歳のときに3代目の父が急逝。経験ゼロのまま、「大吉商店」の4代目社長に就任。先代と比較され、苦悩するが、近江商人の経営哲学に基づき、前例のない改革を次々と成功させる。「肥育・枝肉卸・精肉・加工品・外食・通販」のキャッシュポイントを作ることで、「6次産業化」を実現。

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