本記事は、藤野英人氏の著書『プロ投資家の先の先を読む思考法』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。
優秀な会社を探すのか、優秀な経営者を探すのか
大手のライバル企業がなにかを捨て去らなければ変えられないような、業界の構造的な問題があるとき、その問題へのチャレンジこそベンチャー企業が勝つための1つの方法になります。
これはすでに古い話ですが、ごくわかりやすい例が楽天です。
楽天市場ができたとき、小売業界では百貨店やスーパーマーケットの存在感が非常に大きく、インターネット販売は非常にマイナーで規模も小さいものでした。
だからこそ、数多くの店舗や人員を抱えた百貨店やスーパーマーケットはネット販売に突入することができなかったのです。
ネット販売にシフトしようとすれば、捨てなければならないものが大き過ぎたからです。
一方、楽天は既存の店舗や販売員を持っておらず、ネットに注力してビジネスを全面的に展開することができました。
小売り業界の大手企業は、楽天の急成長を指をくわえて見ているしかなく、いよいよネット販売が大きな潮流になったときには、時すでに遅しということになったわけです。
優秀なチャレンジャーは、「大手がなにかを捨て去らなければ参入できない」領域で小さくビジネスを始めて大きくなっていくパターンがよくあります。
このような会社を見つけて投資をすることも、「先の先を読む」話の1つかもしれませんが、それは難しい予測ではなく、論理的にそうなることがわかるものです。
ここで大事なのは、経営者です。
「有望な会社を見つける」という場合、これから伸びそうな業界から個別に会社を探していくというイメージを持つ人が多いかもしれません。
しかし私は、「この業界に構造的な問題がある。そこにチャレンジする会社が出てくれば躍進するはずだ」といった仮説を立てて会社を探すということはあまりやりません。
もちろん、そのようなパターンがまったくないわけではないのですが、どんなに鋭い仮説を立てたとしても、優秀なチャレンジャーがいなければその仮説は成立しないからです。
「人から探す方が早い」のです。
楽天も、三木谷浩史さんという起業家がいたからこそ大きくなったのです。
もし三木谷さんという人が出てこなければ、日本のネット通販業界にはAmazonしかなかったかもしれません。
そのAmazonも、ジェフ・ベゾスという起業家が出てこなければ存在しなかったでしょう。
すっかり古びて構造的に問題を抱えた業界はたくさんあり、日本で言えばテレビ業界はその一つでしょう。
今はNetflixが勢いを増していますが、Amazonに対する楽天のように、Netflixに対する日本企業が見当たらないのは、日本のテレビ業界に三木谷さんのような人が出ていないということなのだと思います。
まるで恋人を選ぶように経営者を選ぶ
「伸びる企業は人から探す」と考えると、経営者をどう評価するかは非常に重要なポイントです。
私は、経営者は全人格的に評価しなければならないと思っています。
ここで「全人格的」と言っているのは、ありとあらゆる面から評価する必要があるということです。
外見は魅力的か、どんな学歴なのか、頭がよいか、行動力があるか、過去にどのような実績があるか、論理的な思考力があるか、運がよいか、どのような仲間がいるのか……評価すべきポイントは幅広くたくさんあります。
これは恋愛や結婚において、「この人と付き合いたいかどうか」「この人と一緒になりたいかどうか」と考えるときと似ているかもしれません。
イケメンかどうか、将来稼ぎそうか、健康そうか、やさしいか、頭はよいか、一緒にいて楽しいか、面白いかなど、「この人と一緒に」と思えるかどうかという場面では、全人格的に相手を評価しているのではないかと思います。
あるいは社員の立場から社長を評価するとすると、ただ会社の売上を伸ばせるかということだけでなく、社長のことが好きか嫌いか、付いていきたいと思えるか、頭がよいか、実績はあるか、人柄に温かさはあるかなど、やはり全人格的に見るでしょう。
もちろんこれは、すべてにおいて完璧でなければならないということではなく、「稼ぎはそこそこかもしれないけれど、健康的で一緒にいて楽しい」「社長はちょっと短気なところがあるけれど、社員のことを本気で考えてくれる人だから付いていきたい」といったように評価することはあるでしょう。
しかし、単に「カッコいいかどうか」「給料をたくさん出してくれるかどうか」といった一面だけ見て評価を確定させることはないはずです。
同様に、投資先として会社を見るときに経営者を評価するというと、「儲けられそうか」ということばかりに目が向きがちですが、「儲けられそうか」という一面だけを見て評価を決めるべきではありません。
経営者を見るときは、付き合う相手や自分が働く会社の社長を見るときのように、あくまでも「全人格的に」評価することが大事なのです。