本記事は、藤野英人氏の著書『プロ投資家の先の先を読む思考法』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。
日本人の資産が欧米人より増えない理由
ここで、日本人が「投資」に対して抱いているイメージについて調べたアンケートの結果を見てみましょう(図4)。
「投資」に対するイメージの1位は「損をする」、2位は「リスクが高い」、3位は「勉強が必要」、4位は「怖い」、5位は「商品が難しい」、6位は「面倒」、7位は「騙されそう」……見事なまでにポジティブな言葉が出てきません。
「投資」と聞いて、日本人の多くの人が思い浮かべるのは、「損をすることの痛み」なのでしょう。
読者の皆さんの中には、「それは当たり前だ」と思う人もいるかもしれません。
しかし海外では、Investment(投資)という言葉はとてもポジティブな意味で使われます。
実際、英語の辞書でInvestmentを調べると、「なにかに多くの時間やエネルギーや情熱などを注ぐこと(when you spend a large amount of time, energy, emotion etc on something)」「なにかを成功させるために、時間や労力を惜しまないこと(the act of giving time or effort to a particular task in order to make it successful)」「将来のために、今行動したり保有したりすること(something that you do or have in order to have more in the future)」といった説明を読むことができます。
投資に対してネガティブな人が多いため、日本ではアメリカやイギリスと比べて家計に占める株式や投資信託の割合が少なく、それは家計金融資産の推移に表れています(図5)。
およそ20年間で家計の金融資産がアメリカで3.32倍、イギリスで2.46倍になっているのに、日本では1.54倍にしかなっていないのです。
損をすることに対する痛みを強く感じすぎるために、お金を貯め込んで投資をしてこなかった結果が明確に表れています。
「勝つか負けるか」ではなく、「勝つか学ぶか」
私は、失望最小化戦略の人を減らして、希望最大化戦略の人を増やしたいと思っています。そこでいつも言っているのが、「勝つか負けるか」ではなく「勝つか学ぶか」だ、ということです。
「勝つか学ぶか」は、私自身が基本としている考え方です。
勝負をして失敗したり負けたりしても、そこからは必ずなにか学びが得られます。失敗から学んでミスの要因がわかれば、次はより高い確率で成功することができるでしょう。
勝負をすることは、結果にかかわらず成功に一歩ずつ近づくことなのです。
実際、私は数多くの起業家を見てきて、「成功するためには何度失敗しても、繰り返し挑戦し続けることこそ重要なポイントだ」と思っています。
打席に立つ機会が多く、バットを振る回数が多いほど、バットにボールが当たる可能性は高まります。
もちろん回数を増やせば失敗も増えますが、行動しない人よりも、行動する人の方が成功する確率が高いことは間違いありません。
成功するためにはとにかく手数を多くすることが重要であり、そのためには、行動することのハードルを下げる必要があります。
「勝つか学ぶか」は、自分の行動を促す魔法の言葉になるのではないかと思います。
「失敗から学べ」ではなく、「ミスをしろ」という教え
GIIS(Global Indian International School)という、未来のグローバルリーダー育成を目指すインターナショナルスクールを視察したときのことです。
学校の中はいたるところにポスターが貼ってあり、そこにいろいろな言葉が書かれていたのですが、私はそこで子どもたちに伝えられている言葉が日本とはほぼ真逆であることに驚きました。
ポスターの1枚には、confidentが大事だと書かれていました。confidentとは、日本語で言えば「自己確信」というような意味で、自分が自分であることを誇るべきであるという考え方です。
私は私であるから尊ばれるということを教え、子どもにconfidentを付けさせるということは、日本の教育の中ではほとんど重要視されていないように思います。
次の1枚に書かれていたのは、responsibleという言葉です。これは、社会に対してあなたは何事かをなす責任を持っている、責任を果たす人であるという意味でしょう。
そして、次の1枚にはinnovative、つまり革新的であれということが書かれています。
ビジネスの世界でinnovativeであることの重要性が説かれることはありますが、日本の教育において私自身はinnovativeということを言われたことがありませんでしたし、今も多くの学校では言われていないのではないでしょうか。
Question the answerと書かれたポスターもありました。「答えを疑え」という意味です。
つまり、「それが先生の言ったことであっても、本当なのかどうかを疑ってチェックしろ」ということになります。
日本の大人からすると、そんなことを教えたらややこしい子になりそうに思えます。先生が「これやりなさい」と言っても、「なぜですか?」「私はそれは好きではありません」「それは効率的だとは思えません」など、質問されたり反論されたりするようになるでしょう。
しかしエリート教育をするこの学校では、それこそが学生の正しいあり方だと考えているわけです。
もう一つ目に留まったのは、Why ask whyというポスター。「なぜかというところを問い続けろ」という意味でしょう。
そのポスターのそばには、ニュートンが重力を発見したのは「なぜリンゴは木から落ちるのか」というところを問い続けたからだというエピソードが紹介されていました。
この学校では、子どもたちが「Why」を問うことの重要性を教えられているのです。
私が「これは重い言葉だ」と思ったのは、Make Mistakesです。子どもたちに、この学校では「ミスをしなさい」と言っているのです。
「失敗を気にするな」「失敗から学べ」と言っているのではありません。失敗することが手段であり、目的なのです。
この言葉の背景にあるのは、失敗をしていない状態はよくない、mistakeをしていることそのものが、あなたが新しいことや難しいことをしている証であるという考え方でしょう。