本記事は、齋藤孝氏の著書『教養のある人がしている、言葉選びの作法』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

本質を捉え、笑えるのが究極の理想

人気のMC・コメンテーターに切り取り方を学ぶ

笑顔,ビジネス
(画像=Jacob Lund/stock.adobe.com)

私がコメンテーターとしていつも狙っているのは、本質を突いていて、なおかつ笑えるコメントです。人気のMC、お笑い芸人の方は、しゃべりのプロですから、その都度、その都度のコメント、言葉のセンスに感心させられることがしばしばあります。

中でもTBSのアナウンサー・安住紳一郎さんは驚くべきセンスの持ち主です。

以前『ぴったんこカン・カン』という番組で、女優の芦田愛菜さんを伴って我が家・齋藤家で百人一首を教わるという趣旨の企画を収録したことがありました。

安住さんがリビングや書斎を探検し、さまざまな本がある中で、「先生、私は見つけてしまいましたよ」と『闇金ウシジマくん』のコミック単行本を探し出してきたのです。そして「先生はなぜこの本を読んでいるんですか」と切り込んできました。

ここで『ウシジマくん』を持ってくるセンスはさすがです。「よくぞ、見つけたな」と唸りつつ、「これを読むと、お金の世界の奥深さを知って怖くなって。人生、気を引き締めて生きていかなければと思えるんですよ」といった返事をした記憶があります。

言葉や教育の専門家である私に、その種の本で切り込んでも面白くない。安住さんは我が家を探索して『ウシジマくん』を見つけ、これを私に突き付けたら、どんなコメントを返すか、そのギャップの面白さを瞬時に理解したに違いありません。

そして、「私はこれを読んで具合が悪くなって、翌日会社を休みました」と、安住さんならではの面白コメントを付け加えたのです。

別の回ですが、俳優の高橋一生さんと、あるショップで帽子をセレクトするシーンがありました。そこに競艇の審判帽そっくりの紅白の帽子があったので、高橋一生さんが「審判みたいですね」と言うと、安住さんはとっさにその帽子をかぶり、直立して手を上げ、大声で「3号艇失格!」と競艇の審判のモノマネをして爆笑を誘っていました。彼の一切迷いのない「間の良さ」に、高橋一生さんもつられて「僕もやりたい」と競艇の審判のモノマネをし、さらに大きな笑いが生まれていました。

安住さんは私の教え子でもあるので、後に番組で会ったときに「あのシーンは爆笑したよ。よく思いついたね」と言ったところ、「競艇を見ていたら、審判が違反を告げる場面が面白かったので、覚えていて、ついやってしまった」ということでした。

自分の記憶の引き出しの中にある経験や語彙を、目の前の状況から判断してとっさに組み合わせるマッチング能力は、やはり言葉のセンスの1つです。これがうまくハマって笑いを起こすことができると、言葉のセンスがいいということになるのです。

的確な番組の回し、硬軟取り混ぜられるコメント力

東京ローカルの番組に東京MXテレビの『5時に夢中!』という番組があります。少し前までは芸人のふかわりょうさんがMCでした。私も出演させてもらったことがあるのですが、そのときミッツ・マングローブさんもいらして、ものすごくいい雰囲気で番組を回されていました。

以前、ふかわさんのお笑いのネタを見たときには、「クセのある面白さ、独特の芸風の人だな」くらいの感想しか抱いていませんでしたが、番組でのコメンテーターへの振りやその受け返しを見ていると、生放送で流れるように見事に仕切られており、こんなに司会のうまい人がいるんだと感心しました。

心遣いのあるフォローでゲストが気持ちよく過ごすことができ、そのいい雰囲気が視聴者に伝わっている。東京MXテレビの看板番組となったことがすぐに納得できました。ふだん何気なく見て面白い番組だなと思っていましたが、実際に番組に出てみると、非常に技術のある方たちとスタッフとの連携によって、まるでプロスポーツを見ているようなワクワク感を味わうことができました。

『5時に夢中!』は曜日ごとに多彩なレギュラー陣がいます。中でも私は木曜日の岩井志麻子さんと中瀬ゆかりさんの2人の言葉のセンスに毎回、唸らされています。

彼女たちの会話は普通の会話ではなく、ほぼ下ネタ、それも、ギリギリというよりアウトなコメントも飛び出します。岩井さんが、言ってはいけない言葉を発言しながら、自ら鐘をチーンと鳴らす。それがまた絶妙な感じで、ハマってしまいます。下ネタがあんなにも公共の電波に乗り、しかもそうした放送が長く続いているということに私は感心しています。

ただし、下ネタについては一般の方は真似されないほうがいいでしょう。そこには言葉のプロならではのセンスがあるのです。

岩井志麻子さんは『ぼっけえ、きょうてえ』という抜群のホラー小説で山本周五郎賞を受賞した立派な作家ですし、中瀬ゆかりさんは新潮社の名物編集者で今は部長を務められている方。その2人の掛け合いは、語彙の豊富さや取り上げる言葉のセンスの良さもあって、下ネタだろうが何だろうが面白く聞かせます。ときに行き過ぎた表現もありますが、それを作家と編集者の当意即妙の掛け合いによって流していく。縮こまりつつある言論の世界を広げていく感じがあります。

実は今、下ネタ全体は若い人に嫌われがちな傾向があります。おじさんが何の気もなしに下ネタ風なことを言っただけで、セクハラや炎上につながりかねません。そういう、今では言えないようなことを岩井さんが攻め続け、それを中瀬さんがうまくいなしながら、ときには増幅させて盛り上げる、このコンビのトーク芸にはたまらない魅力があります。私はこの番組に関しては録画してでも観ることにしているほどです。

作家と名物編集者、膨大な量の本を読んできた者同士が徹底的にふざける。しかも教養と語彙力があるから、取り上げるニュースに対しても非常に的確でユニークな視点がある。加えて、唯一無二の切り口、思いもよらぬ角度から硬軟取り混ぜたコメントが発せられるから、素晴らしいのです。

生放送、長丁場を仕切るまとめ力

年末恒例のNHK『紅白歌合戦』の司会にも、言葉のセンスが求められます。

日本全国、老若男女から注目が集まる、長丁場の生放送番組を仕切っていくには相当な力が必要とされます。

昨年(2021年)の年末、男性司会者を務めた俳優でタレントの大泉洋さんは、番組終了後、ネットなどで「ふざけすぎ」などと言われましたが、あれほどの長時間の生放送を、分刻み、秒刻みで進行する中で、自分の持ち味を出していく瞬発力はすごいものだと思いました。

また、それに的確に対応した女性司会者の女優・川口春奈さんの受け答え、そして2人をプロのアナウンサーとしてフォローし、まとめ上げていたNHKの和久田麻由子アナウンサーのそつのない進行力とコメント力は光っていました。

私も生放送番組に出演したことがありますが、その緊張感は経験したものでないとわからないところがあります。

ましてや『紅白』です。進行のミスや言い間違いなどは許されません。

生放送ほど、コメント力がわかるものはありません。緊張感があるからこそ、用意周到に準備を重ねつつ、ときには気の利いたアドリブを交えて発信する。それもリラックスした普通の感じで電波に乗せてお茶の間に届けなければならないのですから、やはりテレビで活躍する俳優やタレント、そしてプロのアナウンサーのそれぞれの言葉のセンス、スタイルは参考になります。

生放送を観るときは、言葉の使い方や言葉の選び方、進行の仕切り方に注目してみると、楽しみながら、言葉のセンスが学べると思います。

トークセンスを学ぶのに最適、古くて新しいラジオの世界

ラジオ
(画像=africa-studio/stock.adobe.com)

私自身、テレビとラジオ両方のメディアに出演することがありますが、どちらかというとラジオのほうが好きです。

なぜかというと、テレビよりもしゃべる言葉の数、語数が確保しやすいからです。ラジオはトークの時間が割と長く許されているのと、多少早口でしゃべってもかまわないこともあって、言葉だけに集中して話せる良さがあります。

ラジオはリスナーの表情が見えないので、何かを伝えるためには言葉にかけるしかありません。言葉のセンスというものをトレーニングできる古くて新しいメディア、それがラジオだと思います。オススメは好きな芸人さんの番組を聴くことです。また安住紳一郎さんのTBSラジオ『日曜天国』は、テレビ以上に彼の言葉のキレ味が楽しめます。

ラジオの生放送で活きる言葉のセンス

私自身、「お笑い」が大好きなものですから、芸人さんがパーソナリティーを務める深夜放送のラジオもよく聴いています。

とくに好きな番組に『おぎやはぎのメガネびいき』があります。お笑いコンビ「おぎやはぎ」の小木博明さん、矢作兼さん、お二人の力の抜けた軽妙洒脱なしゃべりが秀逸です。

たとえば芸能界のスキャンダルなどを、熱くならずにちょっと離れたところから気楽に物言うスタンスが何とも耳に心地いい。言葉が軽やかに聞こえます。「俺たちは責任が持てないけどね」というさじ加減。悪く言うと無責任、いい加減なのですが、しょせんは他人事という噂話の雰囲気がいい。

ただ最近、こうしたラジオでの発言が、ネットニュースで一部分を切り取られて、重々しい雰囲気で活字にされてしまうのはどうかなと思います。これは私のお願いですが、ネットニュースを編集されている方、ラジオトークを文字に起こすのはぜひやめていただきたい。

と言うのも、ラジオというのは最後に残された言葉の聖域なのです。言葉でのみ成り立っている世界、パーソナルな世界とも言えます。公共電波ですが、テレビとはまったく別物です。

テレビの視聴率1%というのは相当な数字です。子どもが何気なく見ていて、もし差別的な発言があったら問題です。

もちろん、ラジオでも差別的な発言は問題ですが、ちょっとふざけた物言いで、その場では和やかな笑いが生まれているのに、いざ活字になってしまうと、ジョークだったものが真面目に言ったコメントと受け取られる文面になりかねません。番組を聴いていれば、ネットのコメント欄に、「いや、そんな感じでなく、ただの冗談だったんだけど」と書かれるくらいのものなのですが……。

ネットニュースでそうした報道を見ただけの人の間で悪い評判が立ち、小木さん、矢作さんが委縮してしまったりしたら、ファンとしてはつまらないと思うわけです(たぶん彼らはそんなことはないと思いますが)。

夜中に「おぎやはぎ」のラジオを聴いている人は、「クソメン、クソガールしかいない」のですから。これは私の口が悪いのではなくて、『おぎやはぎのメガネびいき』では、番組リスナーのことを、いわばパーソナリティーとリスナーとの親和性があって成り立つ関係性のもと、そう呼んでいるのです。

ラジオに投稿してくるリスナーも、「クソメンの〇〇です」と自称し、その呼称を楽しんでいます。こういう関係性を知らずに、たまたまその言葉をネットで見かけただけで、「おぎやはぎ」はリスナーをクソメン、クソガールと差別的なひどい呼び方をしていると受け取ってしまうかもしれません。それでは面白くも何ともなくなってきます。部外者がそこだけ切り取るのはやめてほしいと切に思います。

あくまでも内輪のパーティー。そういう空気感がラジオにはあり、それが深夜放送の真骨頂なのです。伊集院光さんには伊集院光さんのファンがいる。私などもビートたけしさんの『オールナイトニッポン』以来のラジオファン、深夜放送のリスナーです。そこでは「テレビでは言えなかったけど、裏ではこういうことがあったんだよ」と芸人さんが話しかけてくれる親密な雰囲気があります。そういうラジオを通して、芸人さんの飲み会に参加しているような気になって楽しくなってくるのです。

ラジオは言葉が続かなければ無音の放送事故になってしまいますが、そんな空白に言葉を紡ぎ、とぎれることなく言葉で埋め続けていく。そんなラジオトークの話術のすごさを考えると、言葉のセンスを学ぶための方法として、BGMのようにラジオを流して聴いてみるのもいいのでないかと思います。今ではradiko(ラジコ)というアプリもあり、たとえ聞き逃しても、好きなときに好きなパーソナリティーの話術を楽しむことができます。

教養のある人がしている、言葉選びの作法
齋藤孝
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー著作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社文庫、毎日出版文化賞特別賞)、『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス、新潮学芸賞)、『雑談力が上がる話し方』『1冊読み切る読書術』(ダイヤモンド社)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)など多数。

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