本記事は、やまもとりゅうけん氏の著書『金持ちフリーランス 貧乏サラリーマン』(KADOKAWA)の中から一部を抜粋・編集しています。
「頭でっかちな評論家」になってはいけない
散々「勉強しろ」とお伝えしてきているわけですが、実は勉強には「落とし穴」があります。
単なる「頭でっかちな人間」に成り下がってしまう、という落とし穴です。
あなたの周りにもいるでしょう。自分では何もしないくせに、やけに知識は豊富で、何事にも一家言あるように振る舞う「評論家」気取りの人が。
インプットばかりをしすぎると、頭でっかちになり、フットワークが重くなります。「こうやって成功した人もいるけど、こんなリスクもある」「そのリスクを取り除くにはこんな方法もあるけれど、今度はこんなリスクが出てくる」と、理屈ばかりが頭に入るあまり、その理屈にがんじがらめになって、身動きが取れなくなるのです。
やがてその人は、動いて失敗しそうな人を批判するばかりの、誰からも相手にされない残念な人になります。
あなたはこうなってはいけません。
「頭でっかちな評論家」に陥らないために、どうすればよいか。
私は「学んだ内容をアウトプットすること」をおすすめしています。
TwitterやYouTubeなどで、学んだことや、それについて感じたことを発信するのです。
ただ単にインプットするだけでは、頭の中に負債を抱え込むようなものです。
学んだことを発信したり、実践したりしてアウトプットすることで初めて、インプットに価値が出てきます。
知識・情報に対する「向き合い方」を磨く
「学んだことを発信する」といっても、ただ「今日はこの動画を見ました!ためになりました!」とつぶやくだけではアウトプットとはいえません。
学んだ内容をあなたの頭がどうとらえ、あなたの心にどう響き、それをもとにあなた自身がどう考えるのかを言語化しなければ、アウトプットとは呼べないのです。
インプット・アウトプットで人と差がつくのは、知識や情報に対する「向き合い方」だけです。
その知識を得て、何に活かそうと考えているのか。ここが重要なのです。
億単位の金を稼いでいる投資家も、会社経営者も、どこから情報を仕入れているかと聞くと、そのほとんどが「新聞」「ニュースサイト」「Twitterのトレンド」といった、私たちの誰もが手にできる情報源を答えます。
彼らと私たちとでは、「情報を得る」段階では、同じ土俵に立っているのです。
それなのになぜ、収入額や知識の量で差が出てくるのか。それはひとえに、「その知識を得て、何に活かそうと考えているのか」という、知識や情報に対する「向き合い方」に差があるからにほかなりません。
アウトプット前提のインプットを続けたことで、彼らは大きな収入や知識を得、「お金持ち」側の人間になることができているのです。
わかりやすい「アウトプット」のモデルとなるのが、ビジネス系YouTuberの動画です。
彼らはニュースを自分なりに解釈し、自分の考えを発信するプロ。彼らの動画を見ることで、「ニュースをどのように解釈し、自分の考えをどのように上乗せすればよいのか」の参考にできます。
最初は、真似で構いません。発信している人間が違うわけですから、続けているうちに、あなた独自の解釈が加わるようになり、あなた独自の発信ができるようになります。
意図的な「アウトプット」で知識をものにする
テレビで時事問題を議論するコメンテーターを見ていて「さすがに博学だなぁ」と感心することがありますが、よく考えたらそれは逆です。
「博学だからテレビに出てコメントできる」のではなく、「テレビでコメントしているから、より博学になる」のです。
資本主義においてお金持ちがどんどんお金持ちになるのと同じように、知識量が豊富な人ほど、持っている知識がどんどん増えていきます。
知識量が豊富な人ほど、テレビや雑誌、インターネットでの配信など、アウトブットの機会もまた豊富にあるからです。
専門的な見地から最新の時事問題を解説しなければいけないわけですから、インプットも必死です。そしてそのインプットは必然的に、「アウトプットすることを前提としたインプット」になります。インプットの精度が高まるのは必然というわけです。
政治系のニュースをぼーっと見ていると、ふと「昔学校でならったはずなのに、結構忘れていることが多いなぁ」と感じたりします。
国会の仕組みも、三権分立も、参議院議員の任期も、学校でならったはずなのに、どれもいまいち、あやふやな記憶しかない。それは、インプットしただけで、アウトプットする機会がないまま数十年がたってしまったからなのです。
知識を本当に自分のものにするには、意図的にアウトプットの機会をつくることが大切です。