本記事は、やまもとりゅうけん氏の著書『金持ちフリーランス 貧乏サラリーマン』(KADOKAWA)の中から一部を抜粋・編集しています。
「お金」から目を背けるから貧乏になる
お金持ちはなぜ「お金持ち」なのか。
それは、資本主義の「本質」を受け入れ、その流れに沿った行動をとり続けているからです。
資本主義の「本質」とは、「この世はお金で評価される世界である」ということです。
「お金で評価される」わけですから、お金持ちは「資本主義の勝利者」を意味します。
そして人はみな、「勝っている人」と仕事をしたい。すると自分も「勝っている人」 にあやかり、勝てるチャンスが増えるからです。 そのため、「資本主義の勝利者」であるお金持ちのもとには、人も情報も、そしてお金も集まる。だからお金持ちは「お金持ち」であり続けるのです。
「世の中、お金じゃないよね」と考える人は多くいます。
「お金はあまりないけれど、やりたい仕事ができているからいい」。そんな声を聞くこともあります。
もちろん、考え方は人それぞれです。しかし資本主義の世界で生きている以上、「お金」から目を背けた途端に「貧乏」への道を歩み出すのだということは覚えておいてください。
私は就職活動のさなかにリーマンショックに巻き込まれた、いわば「リーマンショック世代」です。
それまでは、大学時代を有意義に過ごし、学生団体を主宰したり、ビジネスコンペに参加したりして自分を高める大学生が多くいたのですが、リーマンショックが起こったことにより、価値観が一気に変わりました。
彼らは「意識高い系」と呼ばれ出し、一部の人から嘲笑されるようになったのです。
リーマンショックによって平均給与は一気に下がりました。
長くて熾烈な就職活動を乗り越えて一流企業に就職しても、報われない。そもそもいい大学に入学しても、優良企業に就職できるとは限らない。閉感がはびこり、学生たちの間には「頑張っても報われない。なのになぜ頑張るの?バカじゃないの?」「いい企業に就職できなくても、高い給与をもらえなくても、幸せな人生はいくらでもあるよ」と、頑張る人を 揶揄 する風潮ができあがっていきました。
しかし私は頑張る人を揶揄するその風潮こそが、日本における貧乏人の数を増幅させたのだと考えています。
頑張る人を揶揄する。それは結局、自分が「頑張らなくていい」という合理的な理由を得たいだけなのではないでしょうか。
お金持ちは「この世はお金で評価される世界である」という資本主義の本質を直視し、お金を稼ぐために頑張ります。
一方、「お金がすべてじゃない」と言う人たちは、お金のために頑張る人たちを揶揄することで「自分たちは正しい」と自分に言い聞かせ、お金を稼ぐ努力から目を背けます。
彼らは、本当は「お金が大事だ」と気づいています。それは「お金がすべてじゃない」という言葉からも明らかでしょう。そして彼らも、「そんなにお金を毛嫌いするのなら、明日から給料ゼロで働く覚悟があるのか」と問われれば、「それは話が違う」と反発するでしょう。
資本主義の中では、お金を求めない生き方のほうが、実は不自然なのです。
やはり資本主義は、お金がすべてです。
「お金のために頑張る」で何が悪いのか
私がフリーランスとして独立し、プログラミングを学ぶ有料講座をつくったり、エンジニアの転職をサポートするサービスを始めたりしたところ、一部のプログラマーから否定的な意見をいただきました。
「プログラミングをお金稼ぎの道具にしてはいけない」というのです。
私はこの意見に、強い違和感を覚えます。
自分の長所を武器にお金を稼ぐのは、いけないことなのでしょうか。
世界に目を転じると、私が覚える違和感の理由をわかっていただけるでしょう。
GAFAをはじめとする世界的大企業群で働いているとても優秀なエンジニアたちは、みんな「お金のため」に働き、実際に大きな収入を得ています。
とくに顕著なのがインド国籍のエンジニアです。
ご存じの通り、インドにはカースト制度があります。カーストの下層から一発逆転するには、エンジニアとなって大きな収入を得るしかありません。彼らのモチベーションは「お金持ちになって家族を救い出す」の一点です。そのため、少々のことでは挫折しませんし、技術を吸収するスピードも速い。何のたとえでもなく、まさに「ハングリー精神が旺盛」なのです。だから企業側も喜んで彼らに仕事を発注し、十分なお金でいます。
一方の日本人は、「お金のために頑張るのはけしからん」という謎の美学に縛られながら働いていますから、どうでもいいところで悩んで、挫折して、頑張りきれないところがあります。
「お金のために頑張る」。素直にその考え方で仕事をすればすべてがうまくいくはずなのに、勝手に謎の美学に縛られ、勝手に物事を複雑にしてしまうのが日本人なのです。
「お金がほしい」。素直にそう認め、お金を得るために頑張ることが、資本主義の「本質」に沿った生き方だといえます。