本記事は、バルバラ・ベルクハン氏の著書『無神経なアイツに余裕で言い返す! 大人の会話術』(CCCメディアハウス)の中から一部を抜粋・編集しています。
あなたも傷つきやすい?
すぐ傷ついてしまうという人がいるものです。ちょっとした不用意な発言でもショックを受けてしまうのです。もしあなたもそうなら、これからの提案は大変役に立つでしょう。もう少したくましくなれる方法をお教えします。おかしな発言だからといって、それが必ずしもあなたを傷つけるものとは限らないのです。
言葉による攻撃とは、そもそも何でしょう?それは何でできているのでしょうか? ただの言葉です。口に出された言葉、とどのつまり、響きであり、音声でしかありません。言われたとたん、消えてしまいます。いいですか。言葉なんて、実は本当にはかないものなのです。
すべては脳の産物
相手が発した音に意味を与えるのは脳の働きです。知覚はすべて、脳によって解釈され判断されます。私たちは何かを聞き、嗅ぎ、味わい、感じ、見ます。けれども、それらが私たちにとってどういう意味をもつのかを判断するのは脳です。良いのか悪いのか、楽しいものか不愉快なものか、と。
判断をする際、私たちの脳はいつも以前の経験を基準にしています。
たとえば、ケンカしたことのある相手だと、神経質になって、何を言われても悪く受けとる傾向はありませんか? 会ったときに、相手がただ「やあ」とか「あら」と言っただけでも、あなたはむくれます。〈なに、あの『やあ』って。私には『こんにちは』って言うのも惜しいってわけ?〉
嫌な経験だけでなく楽しい経験も、私たちの現在の考えに影響を及ぼしているのです。
何か言われると、それがどういう意味なのか、私たちはすぐに解釈します。その際、問題なのは、自分が考え出したことを鵜呑みにして、あたかもそれが事実であるかのように振るまってしまうことです。そうなると、事は面倒になります。
危険な解釈
ある若い男性が私に訴えました。
「先輩が僕を抑えつけようとするんです」
「どうしてそんなことがわかるんですか?」私は言いました。
「先輩は僕にこう言ったんですよ。君はまだ経験が足りないから、ここでいろいろ勉強することだねって。僕を自分の思いどおりにしようとしてるんですよ」
この男性の頭にあるのは、実際に発せられた言葉と、その言葉に対する自分の解釈です。先輩の言葉は、それ自体としては無害なものです。それに、ひょっとすると当たっているかもしれないのです。先輩の目から見れば、その男性はまだ経験が足りず、学ぶことがたくさんあるのかもしれません。どういう意図で先輩がそれを言ったのかはわかりませんが、男性が腹を立てたのは、それを自分に対する攻撃だと受けとったからです。
彼の脳は、先輩が自分を抑えつけようとしていると告げました。そして彼は、そのまま信じたのです。そのよりどころは自分の感情です。つまり、僕は腹を立てたのだから、この考えは正しい。
残念ながら、しばしば私たちは、自分の考えを正当化するために感情を引き合いに出します。だいたいこんな具合です。〈私は傷ついている。ということは、あれは侮辱だったんだ。でなければ、こんなふうに感じるはずはない〉
感情の生ずるプロセス
私たちの感情は、ある考えを通してはじめて生じます。あれは侮辱だったんだと思えば、私たちはそのように感じます。ただ口が滑ったんだと思えば、大してみじめな気持ちにはなりません。「これはいいや。さっそくいま書いている本に使おう」などと思えば、うれしくなります。
傷つけられたという感情は、相手の言葉ではなく、その言葉に対する私たちの解釈によって生まれます。
実際的な話に戻りましょう。ある会合で昔の同僚とばったり会ったとします。この同僚は、すぐにあなただと気がついてこんなふうに挨拶します。
「ああ、また君か。どこに行っても君の顔が見られるね」
一瞬のうちに、あなたの頭にはいくつかの考えが飛び交います。〈これって、どういう意味?〉
さて、あなたはどう思いますか?
いまあなたの頭の中をよぎっていることが、あなたの感情を、したがって対応の仕方を決めます。大げさに言えば、自分がどう思うかで、あなたは天国にも地獄にも連れて行かれるのです。
あなたの脳が、これは感じの悪いコメントだと告げたとしましょう。それを信じれば、むろんあなたは気分を害します。無愛想にこう言うかもしれません。
「そうね。でも、あなたの顔を見るのもそんなに良い気持ちじゃないわよ」
相手もちょっとムッとするでしょう。さて彼は首を振って、辛辣な口ぶりで言います。
「これはまた、ご挨拶だね」
そして去っていきます。あなたは思います。〈やっぱり思ったとおりだった。悪意があったんだ!いまのあの態度がその証拠だ〉―こうして、ただの考えがあなたの頭の中で揺るぎのない事実になってしまうのです。
そう、私たちは自分の解釈や考えが正しいと思いたがるものです。たとえ、それによって結局のところ自分がみじめな思いをしたとしても。
不愉快になるプロセスを自覚するのはとても大切です。
何もかも一瞬のうちに起きるとはいえ、そこにはやはりプロセスがあり、それは次のようなものです。
「ああ、どこに行っても君の顔が見られる」と言われる。
一瞬にしてある考えが頭をめぐる。無礼だとか、この人は私が好きではないんだ、とか。
この考えをあなたは信じる。
それに基づいてあなたは侮辱されたとか、けなされたとか思う。
あなたはムッとして、腹立たしげな態度をとる。
けれども、幸いなことに、このプロセスは変えられるのです。
発言の受けとり方は選択できる
そのためには、自分の考えを頭から信じこまないこと。これが第一歩です。というのは、あなたが気分を害した原因は、まず第一にあなた自身のネガティブな解釈だからです。けれども、何もそれを受け入れる必要はないのです。
これからは自分の考えにもっと注意を向けるようにしましょう。もし怒りを感じたりショックを受けたりする方向へ行きそうになったら、ちょっと立ち止まってみます。そして、その流れをせき止めて、次のことを思い出してください。〈相手の言葉をどう受けとるか、それを選ぶのは私だ。そして、たくさんの解釈の仕方があるのだ〉と。
ユーモアを!
あなたの同僚が言いました。
「ああ、どこに行っても君の顔が見られるね」
あなたは決心します。〈今日は気持ちのいい日にしよう。だから、気にしないでおこう〉。
そして、これを悪意のない挨拶ととります。〈そうそう、いるよね、こういう人。ばったりだれかに会ったときに、どうやって話の糸口を作ったらいいのかわからないんだ。気にしない、気にしない〉
もしあなたがこんなふうに考えれば、落ち着いて挨拶を返すでしょう。
「あら、お会いできてうれしいわ」
もちろん他のやり方もあります。相手が言ったことを文字どおり受けとるのです(ついでながら、これは私が好きでよく使う手です)。
彼はそこらじゅうであなたを見かけると言いました。これを言葉どおりにとってみます。〈え、そこらじゅうに私がいる?それって奇跡じゃ……〉。そう、すべての場所に同時にいることなんかできないのですからね。それとも、国じゅうにあなたのポスターが貼ってあるとか? そこらじゅうであなたのクローンが歩いているとか?
ここから、いくつかユーモアあふれる返事が生まれます。ひょっとすると、いまあなたはニヤリとしているかもしれませんね。ユーモアが生まれるのはこういうときです。
ちょっと奇妙な挨拶でも、あなたは意識的にユーモラスに解釈することができるのです。
言わせておこう
相手が何を言うか、残念ながらあなたが決めることはできません。けれども、それをどのように解釈するかはあなた次第。ある発言を侮辱だと感じるよう命じる権利はだれにもありません。
何よりもまず、最初に生まれたネガティブな解釈を頭から信じこまないことです。
もう少し自分本位になっていいのです。陽気になれる、あるいは、せめて心の平和が得られる解釈を選ぶようにしましょう。そして、それを習慣にしましょう。この本は、そのお手伝いをします。次の項では、気持ちが軽くなるような解釈をいくつかお教えします。
最後にひとつ。この同僚は何を言いたかったのでしょう?
それはわかりません。私たちは人の頭の中をのぞきこむことはできないのです。もし知りたければ、尋ねることです。やまびこトークをしてください。
「どこに行っても私の顔が見えるって、どういう意味ですか?」
けれども、ここで胸に手を当ててよく考えてください。あなたは本当にそれを知りたいですか?
ここだけの話ですが、オリジナルな解釈を考えて、ユーモアのある返事をするほうが、ずっと楽しいのではないでしょうか。もしあなたがそれを面白がることができるなら、その解釈は正しかったことになります―少なくとも、あなたにとって。
自信をもって、人とうまく気持ちを通わせることのできるコミュニケーション術を提唱。多くの人にトレーニングを行い、たくさんの要望を受けて、コミュニケーションに関する本を執筆するようになる。
著書は次々とベストセラーとなり、『アタマにくる一言へのとっさの対応術』(草思社、SB文庫)、『ムカつく相手にもはっきり伝えるオトナの交渉術』『ムカつく相手にガツンと言ってやるオトナの批判術』(共にCCCメディアハウス)など邦訳も多数。彼女のコミュニケーション術を修得すれば、相手を傷つけることなく自分の言いたいことを伝えられるようになる。モットーは「戦わずして勝つ」。※画像をクリックするとAmazonに飛びます