本記事は、バルバラ・ベルクハン氏の著書『無神経なアイツに余裕で言い返す! 大人の会話術』(CCCメディアハウス)の中から一部を抜粋・編集しています。
抱きしめられれば、敵は動けなくなる
横柄な人をおだてるとどうなるでしょうか?
最初はびっくりします。威張った人というのは、基本的には自分の優秀さを認めてもらいたいと願っています。けれども、いざ実際にそうされるとうろたえるのです。こういうとき、ふた通りの反応があります。ひとつは賢い人の場合、それからもうひとつはあまり賢くない人の場合です。
賢い人は、びっくりするような褒め言葉を聞かされたとき、ひょっとして皮肉ではないだろうかと首を捻ります。たとえば、こんなふうに大袈裟に褒められたとき。
「すばらしいですね。私など、お客さまの足元にも及びません」
利口な人は、ここでつまずきます。もともとは、こういうことを言ってもらいたかったのです。ところが、これほど熱心に言われると、まごついてこう思います。〈待てよ、何かおかしいぞ〉。そして抵抗しようとするのです。自分が聞きたがっていたことを言ってもらっただけなのに。
あなたの口からは、ひとことも馬鹿にするようなことは漏れていません。純粋な褒め言葉なのです。ですから、あなたに文句をつけることはできません。
やり返されたのではなく褒められただけだとなれば、手も足も出なくなります。よく言われるように、抱きしめられれば、敵は動けなくなるからです。よほど大げさな見えすいたことを言わないかぎり、あなたは安全です。たしかに相手はちょっぴり疑いを抱くでしょう。〈本当に感心したのだろうか?それともからかったのだろうか?〉
いいじゃないですか、このまま疑わせておきましょう。
褒められれば、敵は黙る
では、あまり賢くない人の場合にはどうでしょうか?
おそらく真に受けるでしょう。結果、あなたはこれからも末永くお付き合いさせていただく友だちができることになります(これが、この返し技のありがたくないおまけです)。
なんといってもあなたは、長い間求めていた褒め言葉をようやく言ってくれた人なのです。頭の片隅で、何かおかしいぞという疑いが起こるかもしれません。でも、それがなんだというのでしょう。たっぷり褒めてもらったのですし、昔から、もらい物には文句をつけないと言うじゃありませんか。
というわけで、相手はすっかり気を良くします。そうなるともう、何も言うことはなくなります。威張ってみせる必要はなくなったのですからね。それで、あなたはまた本来の話題に戻れます。そして、この相手と普通に話を続けることだってできるのです。
おだてというゲリラ戦略
パトリックに話を戻しましょう。「同調し、補強する」という原則がパトリックは非常に気に入りました。正面からやりあったら負けることはわかっています。彼はこの技を「おだてのゲリラ戦略」と名付けました。そして、さっそくやってみて、見事成功したのです。
ごく控え目な褒め言葉で足りました。偉そうな態度の客にはこんなふうに言います。
「ああ、本当によくご存知ですね」。あるいは、「品質にこんなに価値を置いてくださる方は珍しいです」
横柄な客の何人かは、これで難なくさばくことができました。相手はパトリックの話に耳を傾け、アドバイスをまじめに受けとりました。
非常に頑固な知ったかぶりの人たちには、パトリックはごく簡単な方法を見つけました。最初に一言二言褒めます。それから客の希望を書き出します。パトリックが熱心にメモするので、客は自分の意見が尊重されていると感じます。最後に、パトリックは希望リストを読み上げます。そこには客の口から発せられたものも、むろんいくつかありますが、その他はパトリックが書き加えたものです。けれども、客はすべて自分の考えのように思うのです。
こうすることによって客の自尊心は満たされ、かつ高度な機能のパソコンが出来上がります。客を相手に長々と議論する必要はありません。
以前は癪の種だったことが、いまではニヤニヤ笑いの種です。
横柄な人にはご褒美を
セミナーでここまで話すと時々参加者の手が上がります。
「人をそんなふうに扱っていいものでしょうか?ただ威張っているというだけで、お世辞で丸めこむのはフェアじゃないのでは?びっくりさせるようなオーバーな褒め言葉というのは、品が悪くはないですか?」
こう考えるのは、あまりそういう人と接したことのない人がほとんどです。そういう人は、横柄な人に特有の相手を見下す雰囲気が、どれほど不愉快なものか想像できません。
しばしばそういう人の相手をしなければならない人は、この技を妥当だと感じています。それどころか、これではまだ手ぬるいと思っている人もいるのです。そういう人たちは褒め言葉に軽蔑のトーンを混ぜることでしょう。
もしあなたが道徳的な意味でためらっているなら、こう考えてみましょう。何も、心にもないお世辞をいう必要はないのです。横柄な人に本心からの褒め言葉を言えばいいのです。
そんなのはおかしいと思ったとしたら、それは、あなたが横柄な人には褒められる資格がないと考えているからです。高慢ちきな人間をなぜいい気にさせるのか、と。
いいえ。ちっともかまいません。どうぞ褒めてあげてください。
自分をおとしめずに褒める
相手は偉いと思われたい、本心から人に認めてもらいたいと思っています。その望みをかなえてあげてください。一銭もかかりません。自分をおとしめることなく、相手を認めることができるのです。もっとも、この技にはひとつだけ障害があります。評価できるところがまったく見つからないという場合です。
でも、これを変えるのは難しくありません。
私のアドバイスはこうです。相手の尊大さの中に、何か良いところはないか探してください。何か美しいところ、良いものはないかと目を皿のようにして探してください。これがなかなか難しい要求だということは承知しています。人によっては自分の長所を非常に巧みに隠すことができるからです。ですから、あなたは考古学者のように砂やほこりを払って、相手の人格の中に埋もれた価値あるものを掘り出さなければなりません。
必要とあらば顕微鏡を使って、横柄さという泥沼の底に沈んでいる、感じの良い微生物を探し出してください。そして、その小さなものに対するあなたの賞賛の気持ちを示しましょう。
ひとつの生き方
むろん、これは思いがけない要素をはらんでいます。ひょっとすると、その発掘作業において、あなたは目の前の相手が少しも嫌な奴ではないことに気づくかもしれません。その威張った態度はただの罪のないマスクであり、この人の処世術なのかもしれない、ということに。ひょっとするとそれは、あなたのマスクと大差ないかもしれないのです。
あなたと相手との間には、これまで思っていたような大きな溝はないかもしれません。
もしそれに気づいたなら、この問題はすでに解決ずみです。
自信をもって、人とうまく気持ちを通わせることのできるコミュニケーション術を提唱。多くの人にトレーニングを行い、たくさんの要望を受けて、コミュニケーションに関する本を執筆するようになる。
著書は次々とベストセラーとなり、『アタマにくる一言へのとっさの対応術』(草思社、SB文庫)、『ムカつく相手にもはっきり伝えるオトナの交渉術』『ムカつく相手にガツンと言ってやるオトナの批判術』(共にCCCメディアハウス)など邦訳も多数。彼女のコミュニケーション術を修得すれば、相手を傷つけることなく自分の言いたいことを伝えられるようになる。モットーは「戦わずして勝つ」。※画像をクリックするとAmazonに飛びます