本記事は、トマス・チャモロ-プリミュージク氏の著書『「自信がない」という価値』(河出書房新社)の中から一部を抜粋・編集しています。

実力
(画像=NOBU / stock.adobe.com)

根拠のない自信から本物の実力へ

それでは、もっと実力を高めたい場合はどうすればいいのだろうか。それは、世間の常識とは正反対の方法、つまり自信を低くすることだ。

自信過剰の人は現実から目を背け、その結果として成長もできないが、自信のない人は自分を正しく評価し、成長につなげている。自信がないと感じるのは、たいていの場合、実力が伴っていないからだ。自信のなさは、努力するべき点を教えてくれるメッセージだ。

自信がないという感情は大切にしなければならない。自信のなさは自分を正しく評価している証拠であり、自分を正しく評価できれば成長につながる。自分を知らなければ、特に欠点を正しく把握しなければ、絶対に成長はできない。

そのことを理解するには、「実力がないのに自信はある」状態について考えてみればいいだろう。ここまで読んできた人なら、その状態に利点はほとんどなく、欠点なら山のようにあることがわかるはずだ。他にも、実力があって自信がある状態と、実力があるのに自信がない状態も考えられるが、実力がなくて自信がない状態や、実力がないのに自信がある状態に比べればごくまれなケースだ。

『「自信がない」という価値』より引用
(画像=『「自信がない」という価値』より引用)

自信と実力の関係を視覚的に理解するために、上の図を見てみよう。ここではこの図を「自信と実力のグリッド」と呼ぶ。

(1)実力の伴わない自信

自信家と呼ばれる人たちは、たいてい(1)の「実力の伴わない自信」のカテゴリーに属する。彼らの自信の源は、本当の実力ではなく、勘違いだからだ。つまり、正しい自己評価ができていないということであり、他者から本当はどう見られているかもわかっていない。このタイプでもっとも大きな問題は、自分で自分をだます自己欺瞞だ

「実力の伴わない自信」というレッテルが厳しすぎると感じる人は、もう一度よく考えてもらいたい。第一に、彼らには実力がない。第二に、自信があることで、実力のなさがさらに大きな害を生むことになる ―― 簡単な例で説明すると、車通りの激しい道路を、車が途切れるのを待たずに徒歩で横切るようなものだ。そんなことをしたら、間違いなく車にひかれて死んでしまうだろう。この自信過剰を、キャリア、人間関係など、何かを達成することが必要な分野に当てはめて考えてみれば、うつ状態の人がこんなにたくさんいるのもうなずけるはずだ。

そして第三に(これがいちばん重要だ)、自分が何を知らないかを知らなければ、知識を増やすことはできない。ここでのいいニュースは、ただ周りからのフィードバックを得るようにするだけで、この問題は簡単に解決できるということだ。周りからの評価を見れば、自分の本当の実力がわかる。だから自信はあるが実力がないという人は、自己評価を周りの評価に合わせるようにすればいい。そうすれば、「自信と実力のグリッド」で、(1)から(2)に移動できる。(2)に入るのは、自分を現実的に見て、自信喪失している人たちだ。

この本を読んでいる人の中に、実力の伴わない自信家がたくさんいるとは思えないが、世の中の大部分の人の性質を理解しておくのも悪くはないだろう。いつか役に立つこともあるはずだ。今度、自慢の多い人に出会ったら、すごいと素直に感心するのではなく、実力の伴わない自信家なのだなと思ったほうがいい。

(2)現実的な自信喪失

これは、実力の伴わない自信家よりはずっとましなカテゴリーだ。自分の弱点や限界を自覚するのは、成長するために欠かせない要素になる。

そう考えると、「現実的な自信喪失」には2つの大きな利点がある。1つは、自分を正しく評価できるということ。それに自分を正しく評価している人は、他者からの評価も正しく理解している。そしてもう1つは、向上心の源になるということ。自分の実力に満足していない状態は、向上したいという強い動機につながるからだ。それに、自信がないという状態を改善するのも簡単だ ―― ただ実力を高めればいいのだ。この状態にある人は、自信のレベルと実力のレベルが一致しているが、もっと実力をつければこの均衡を破ることができる。そもそも実力をつけるという目標のほうが、自信をつけるという目標よりもずっと重要だ。

アメリカの心理学の父と呼ばれるウィリアム・ジェームズは、1896年という非常に早い時期から、自尊感情は達成した目標と達成できていない目標の比率で理解されるべきだと言っている。つまり、目標を達成するほど自尊感情が高まるのが本来の姿だということだ。

(3)完璧主義的な自己批判

この「完璧主義的な自己批判」というカテゴリーに当てはまるのは、実力があるのに自信がない人たちだ。彼らはどんなにすごいことを達成しても、まだ自信が持てない。プロのアスリート、高名な芸術家、財を築いた起業家といった成功者たちの多くが、このカテゴリーに当てはまる。そもそも、そういう性格だから成功できたのだとも言えるだろう。

ここで考えてみよう ―― 自分の達成したことに満足し、自信がついたら、もう成長したいという意欲はなくなってしまうのではないだろうか?

面白いことに、「完璧主義的な自己批判」のカテゴリーに入る人たちは、自己評価と他者からの評価がまったく一致していない。また、自己評価のほうが他者からの評価よりも低いだけでなく、実際の実力よりも自己評価のほうが低くなっている。そのため彼らは、自分よりもさらに成功している人と自分を比べることが多い。

一般的に、上を見て自分と比較するのは、自信喪失につながるのでよくないと考えられている。たしかにそれも一理あるが、実力をつけるという観点から考えれば、たとえ自信喪失という欠点を差し引いても、このカテゴリーには利点のほうが多い。自分が自分のいちばん厳しい批評家になるほうが、いちばん熱心なファンになるよりも、実力を高めるチャンスがはるかに大きくなる。

そのため、このカテゴリーに属する人に対するアドバイスはたった1つだけ ―― それは、「自信のなさを隠せ」だ。大きな成功を収めた人たちは、たいてい自信のなさを隠すのがとてもうまい。なぜこれが重要なのか? それは、たとえ本当に実力があっても、自信のなさを表に出していると、実力もないのだろうと勘違いする人が出てくるからだ。特に自信と実力をきちんと見分けることができない人は勘違いしがちであり、そしてたいていの人が、自信と実力を見分けることができない。

(4)現実的な自信

最後は(4)のカテゴリーだ。「現実的な自信」に含まれる人は、自信と実力の両方を高いレベルで備えている。論理的な人間の考える理想の状態であり、それ自体に問題はまったくない。しかし初めに指摘しておくが、自分の高い実力を正しく評価すると、それが自己満足につながる恐れがある。自分自身と、自分の達成したことに、無批判に満足しているという状態だ。

そのため、このカテゴリーに当てはまる人にアドバイスするとしたら、何よりもまず「自己満足に陥るな」と言いたい。そこに注意していないと、(1)の「実力の伴わない自信」のカテゴリーに転落してしまう恐れがある。それ以上スキルを磨かずに安穏としていると、いずれ他の人に追い抜かれてしまうだろう。そしてある日突然、自分が思っているほど優秀ではなくなってしまったことを悟るのである(それも、目を覚ませばの話だが)。

とはいえ、このカテゴリーにも利点はいくつかある。第一に、ここに当てはまる人は自分を正しく評価しているので、他者からの評価も正しく理解できる可能性が高い。第二に、このカテゴリーに入る人は、自信があって実力もある人だと周りから思われる。そして第三に、自信があることの利点を本当の意味で楽しめるのは、このカテゴリーに含まれる人だけだ。自信があれば安心できるし、それに本物の実力ほどいい気分を味わわせてくれるものはない。

まとめると、(1)の「実力の伴わない自信」から始まり、時計回りに成長していって、最後に「現実的な自信」に到達するという流れになる。自己の成長とは、つまるところ自信と実力のギャップを埋めていくことだ。それはすでに達成しているというのなら、今度は自己満足に陥らないよう気をつける必要がある。その注意を怠ると、「実力の伴わない自信」にあっという間に転落してしまうだろう。

「実力の伴わない自信」と「現実的な自信」という2つの状態が、自己成長の最初の段階と終わりの段階と言えるかもしれない(「実力の伴わない自信」の状態が成長につながることはめったにない)。自分を正しく評価しているなら、自信と実力のギャップをある程度は埋めることができる。そして実力を高めることのほうにエネルギーを注げるようになるだろう。そしてあなたが最終的に目指すのも、実力を高めることであるべきだ。

「自信がない」という価値
トマス・チャモロ-プリミュージク
社会心理学者。ロンドン大学教授、コロンビア大学教授。パーソナリティ分析、人材・組織分析、リーダーシップ開発の権威として知られる。J.P.モルガン、Yahoo、ユニリーバ、英国軍ほか組織コンサルタントとしても活躍。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます。
ZUU online library
※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます。