本記事は、トマス・チャモロ-プリミュージク氏の著書『「自信がない」という価値』(河出書房新社)の中から一部を抜粋・編集しています。

社交
(画像=Yevheniiya / stock.adobe.com)

社交スキルを向上させる3つの方法

社交スキルに対する自信の低さを、社交スキルの向上につなげるには、明確な方法が3つある。この3つの方法は、社交不安障害という極端なケースであっても有効だ。

方法1:悲観的な現実主義

すでに見たように、社交スキルに自信があることと、実際に社交スキルがあることの間の相関係数はほぼゼロになる。その理由は、自信がある人は自分の能力を過大評価するからだ。逆に自信がない人は、自分の欠点や弱点を自覚している。そのため、自信の低さがもたらす第一の利点は、自分の社交スキルを正確に評価できることだ。言い換えると、自信の低さのおかげで、「悲観的な現実主義」を身につけられるということでもある。つまり、自分の社交スキルは理想の状態に達していないと自覚できるということだ。

では、どうやって自覚するのか。それは、否定的なフィードバックに耳を傾けるか、または他人が出す否定的なサインを見逃さないことだ ―― ちなみに自信がある人は、こういうことは絶対にしない。社交スキルに自信がある人は、自分が思っているほど人気者ではないことを示す証拠を無視する傾向がある。それどころか、現実をゆがめてまで、自分は魅力たっぷりでみんなに好かれていると思い込もうとするのだ。

一方で、自信のない人はこの正反対だ。自分が好かれていることを示す証拠は無視し、あえて否定的な意見ばかりに注目する。もちろん、物事の悪い面ばかりを見るのは気が滅入るものだ。しかし、自分のパフォーマンスを向上させ、実力をつけるには、これが唯一の方法になる。自分の弱点を知り、自信をなくしてもかまわないということを知る。何か気になることがあるのなら、気づかないふりをしてはいけない。むしろ対策のために行動を起こすことが必要だ。

皮肉なことに、自信の低さから生まれた悲観主義によってさらに現実的になれるのは、自信の高さから生まれた楽観主義が勘違いにつながるからでもある。昔から言われているように、「目の見えない人の王国では、片目が見える人間は王になれる」ということだ。

方法2:自意識を保つ(お酒の席でも)

お酒を飲んで気が大きくなった経験はあるだろうか? 人はほろ酔い加減になると(泥酔ではない)、なんだか楽しい気分になり、普段なら恥ずかしいことが平気でできるようになる。アルコールには、社交の場面で自信を大きくしてくれる効果がある。もしこの効果がなくなったら、アルコールの消費も激減するだろう。

アルコールの効果は、自信の高さがもたらす効果と似ているかもしれない。人は酔っ払うと、オフィスのクリスマスパーティでカラオケを歌ったり、バーで気になった人に声をかけたりできる。素面しらふだったら絶対に声をかけられないような相手でも、酒の力を借りればできるのだ。社交スキルに対する自信の高さもそれと同じで、自分に対する抑制がなくなり、自然の本能に従って行動できる。一見するとすばらしいことのようだが、本当にそうだろうか?

素面のときに、酔っ払った自分の醜態を見た経験のある人なら(おそらく、ネットに投稿された動画や写真を通して)、アルコールに社交スキルを向上させる効果はないということに気づいているだろう。ただ周りが、酒のせいだからと寛容になってくれるだけだ。それに加えて、人は酒が入ると、自分に対しても甘くなる。実際のところ、そういったことは利点でも何でもない。

もしお酒を飲んでも自意識から解放されなかったら、そもそもバカなことはしないはずだ。そして、それが素面であることのすごい点でもある。自分の行動を絶えず監視することで、「本当の自分」を出すことを抑制するのだ。こう考えると、社交スキルに対する自信の低さは、実は素面の極端なバージョンであることがわかるだろう。そして社交不安障害(社交スキルの自信が極端に低い状態)は、社交スキルに対する自信のなさの極端なバージョンだ。それと同じ意味で、社交スキルの自信が高いのは、酔っ払ったのと同じ状態だ。酒が入ると羞恥心がなくなり、酔いが覚めたら絶対に後悔するようなことをしてしまう。

まとめると、自信が低いと他人の評価が気になり、そして他人の評価を気にすることは社会生活に欠かせないスキルだ。自信が高いのはその逆で、酔っ払ったときと同じように気が大きくなる。羽を伸ばし、人目を気にせずに行動できるが、結局は自分の評価を下げることになる。自分が自分に対していちばん厳しくなれば、他人から批判されることはなくなるだろう。

方法3:とにかく準備を怠らない

社交不安障害は、このままでは他人に悲惨な印象を与えることになるぞという警告の役割を果たしている。それに加えて、恐れているイベントを前にして、失敗して恥をかく確率を最小限に抑えるために、積極的に準備をするモチベーションにもなるのだ。何か社交上の失敗が予想されるとき(たとえば、デート、就職の面接、テスト、ミーティング、プレゼンなど、失敗すると面目を失うようなイベント)、理にかなった行動は一つしかない。それは、とにかく準備、準備、準備だ。

自信の低さは、おそらく実力の低さを正確に反映しているので(たとえ自分に厳しすぎる面も多少はあるにしても)、実力をつけるモチベーションの役割を果たしてくれる。もちろん、自分にプレッシャーをかけすぎてしまう嫌いもあるが、プレッシャーは向上心の邪魔にはならない。現実的な自己批判がきっかけとなって目標ができたのなら、自己批判をせずに失敗を恐れていない状態よりも、能力を高められる可能性が高くなる。

自信があることは、実際のパフォーマンスの段階になれば役に立つだろうが、役に立つと言っても微々たるものであり、それよりも自信があるせいで準備を怠ることのマイナス面のほうがずっと大きい。逆に、自信が低くなるほど、自分のパフォーマンスに関する予想が悲観的になり、さらに念入りに準備しようという気持ちになる ―― そして、準備しすぎるくらい準備していれば、本番で少しくらい失敗してもカバーできるのだ。

学校一の秀才を思い浮かべてみよう。彼らはきっと、試験の難しさを予想するときは悲観的になり、失敗することをかなり心配しているに違いない。そうやって心配が絶えないので、真面目に勉強する。または、就職の面接を控えた人や、大事な試合を控えたアスリート、オーディションを受けるアーティストでもいい。どんな分野であっても、自分の持っている能力を質の高いパフォーマンスに変換できるかどうかは、すべて準備にかかっている。そして、どれくらい熱心に準備するかは、自信のレベルと反比例するのだ。

これらの3つの方法を無視したい、または社交スキルに自信は関係ないという話が信じられないという人には、言いにくいことをあえて言ってさしあげよう。それは、社交スキルの自信を意図的に高くするのは、ほぼ不可能だということだ。

悲観的な人、慎重にリスクを避ける人、用心深い人から、楽観的な人、リスクよりもリターンを重視する人、自己評価が高い人へ、まるでスイッチを切り替えるように変身することはできない。簡単に言うと、社交スキルに自信がない人から、自信がある人に変わろうとしても、本当は自信がないことがすぐにバレて、その結果として失敗するということだ(たとえ他人をだまし通すことができたとしても、自分自身はだませない)。なぜなら、社交の場での性格は、子供のころの体験、さらには遺伝子レベルですでに決まっているからだ。

「自信がない」という価値
トマス・チャモロ-プリミュージク
社会心理学者。ロンドン大学教授、コロンビア大学教授。パーソナリティ分析、人材・組織分析、リーダーシップ開発の権威として知られる。J.P.モルガン、Yahoo、ユニリーバ、英国軍ほか組織コンサルタントとしても活躍。

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