この記事は2024年9月3日に三菱UFJ信託銀行で公開された「不動産マーケットリサーチレポートvol.252『パワーカップルの都心居住 ~新築マンション以外の選択肢~』」を一部編集し、転載したものです。
目次
この記事の概要
• 本稿では都心居住の選択肢として注目される中古マンションと賃貸マンションにフォーカスし、パワーカップルの住宅選びについて考察する。
• 都心において新築マンションの代替となってきた中古マンションだが、パワーカップルにとっても価格上昇に追随しにくい状況となりつつある。今後は相対的に割安感のある賃貸マンションへの選好が強まるだろう。さらには、従前以上に都心5区以外の都区部、郊外への流出も想定される。
注目される新築マンション以外の選択肢
建築費と用地取得費の上昇を背景に東京都心での新築分譲マンション(以下、「新築マンション」)の価格は上昇している。2023年の都心5区における新築マンションの70㎡換算価格は2014年比で2.2倍の1.6億円となっており、世帯年収1,500万円以上のパワーカップル(1)にとっても高嶺の花となりつつある。
一方、職住近接へのニーズの高さ自体は近年の学術研究(2)でも明らかになっており、とりわけ夫婦ともに就業するパワーカップルはその傾向が強いと思われる。そうした中、都心居住の代替手段として相対的に価格・賃料の上昇率が低い中古分譲マンション(以下、「中古マンション」)、賃貸マンションが注目されている。
パワーカップルの目線では現在の市場環境はどのように映るのだろうか。本稿では新築マンションの代替財となる中古マンション、賃貸マンションにフォーカス(3)して、不動産業界においても注目されるパワーカップルの住宅選びについて考察する。
1:パワーカップルの年収面の定義については、ニッセイ基礎研究所の「夫婦ともに700万円以上」、三菱総合研究所の「夫の年収600万円以上、妻の年収400万円以上」等様々である。本稿では世帯年収1,500万円以上の共働き世帯と定義する。
2:例えば、早川季歩・田島夏与『都心高額住宅地の成立条件:東京23区における中古マンション等取引価格情報を用いた実証分析』(都市住宅学会都市住宅学99号・2017年)では、「中古マンションの取引価格は住宅そのものの質や最寄り駅からの徒歩分数をコントロールしたうえで、雇用の重心からの距離が短いと高くなること、山の手であると高くなること」を明らかにした。同研究で明らかにした全産業従業者数の雇用の重心は千代田区隼町(東経139.74度/北緯35.68度)であり、都心5区の中でも中心に近い座標となる。
3:国交省「住宅市場動向調査」(2022年度)によれば、最終的に新築マンションを購入した世帯が比較検討した住宅(複数回答)は他の新築マンション85.1%、中古マンション34.0%の一方、分譲戸建25.0%、注文戸建12.8%であった。新築・中古の別よりも住宅タイプを重視した住宅選びが主となっているため、本稿では戸建等の選択肢は検討していない。
中古マンション:パワーカップルにとっても価格上昇に追随しにくい
以下では統計データを用いて中古マンション市場の現状を考察する。結論から言えば、中古マンションを都心居住の選択肢として検討するハードルは、パワーカップルにとって高くなっていると筆者は考える。世帯年収対比で平均的にも手が届きにくくなっていることに加え、特に千代田区・港区・渋谷区においては富裕層と個人投資家の増加で高価格帯の物件において価格上昇が大きくなっており選択肢を狭めている。
まず、図表2は筆者が国土交通省「土地総合情報システム」に登録された成約情報から算出した都心5区(千代田区・中央区・港区・新宿区・渋谷区)の中古マンション価格のヘドニック・アプローチ4による推計値である。住宅ローンの借り入れは年収の5倍~7倍が目安と言われる5が、図表内では世帯年収1,500万円・2,000万円の当該ゾーンを示した。中古マンションは都心5区の単純平均で+64%上昇した。その結果、千代田区・港区・渋谷区については年収1,500万円世帯の年収倍率7倍弱となる1億円をこの5年間で超えており、中央区・新宿区についても1億円に近い水準にまで到達している。
4:不動産の価格と特性に関する大量のデータから統計的手法を用いて特性毎の金額換算値を求め、品質調整を行う手法を指す。
5:住宅金融支援機構「2022年度フラット35利用者調査」によれば、新築分譲マンション取得者の平均年収倍率は7.2倍、中古分譲マンションは5.9倍だった(全国ベース)。
次に、図表3は50㎡以上の中古マンションの成約価格について、成約価格の階層ごとのばらつきを可視化するため第1四分位(成約価格の下位25%)、中央値、第3四分位(上位25%)で表現したグラフである。千代田区、港区、渋谷区については、中央値が1億円を既に超えており、さらに中央値と第3四分位の価格幅が拡大、つまり相対的に高い価格帯で成約価格のばらつきが大きくなっていることが分かる。この背景は、金融資産の保有が多い富裕層と個人投資家の増加(6)があると思われる。これら3区においては、都心の中古マンションを主に扱うマンション仲介担当者へのヒアリングによれば「国内の富裕層のマンション取得意欲は旺盛」(7)で、居住目的と投資目的の取得が入り乱れるが、住宅地としての認知度、専有面積の広さや共有部のグレードの高さ、交通利便性や周辺の繁華性等の投資対象として見た際の条件を満たす物件には人気が集中しやすいという。結果として、従来パワーカップルが購入の対象としていたような物件も、世帯年収2,000万円世帯の年収倍率7倍である1億4000万円を超える水準までも値上がりしてしまうケースが多くなる。
6:野村総合研究所「野村総合研究所、日本の富裕層は149万世帯、その純金融資産は364兆円と推計」(2023年3月)によれば、2013年から2023年にかけて純金融資産を5億円以上保有する超富裕層、1億円以上保有する富裕層はそれぞれ67%、46%増加している。
7:本稿を執筆している2024年7月下旬から8月上旬においては、日米の金融政策やその金融市場における見通しの変化などから、株価の乱高下が生じた。富裕層のマンション購入原資となる金融資産の目減りにつながり購入意欲を低下させる可能性があるため(負の資産効果)、今後の金融市場の動向には注視が必要である。
一方、中央区・新宿区については、中央値は1億円に近づいているが成約価格のばらつきは小さい。実需層の割合が高く、富裕層等による価格上昇への影響が小さいためと考えられる。今後の価格上昇の余地という観点では、千代田区・港区・渋谷区ではパワーカップルが買わない場合でも富裕層等による取得が期待できるが中央区・新宿区では上昇余地は小さいと思われ、都心5区内で市場の二極化が生じる可能性があると考えられる。
いずれにしても、さらなる価格上昇にパワーカップルは追随しにくいだろう。実際、足許では1億円前後は中古マンションのマーケット形成において一つの壁になっている。図表4は過去3年間の都心5区の駅毎の価格変化率を分析したチャートだが、2018年から2020年の平均坪単価が400万円台半ば(70㎡換算1億円の物件の坪単価は472万円)を超える駅では、価格上昇率の高い駅(平均上昇率+1σ以上(8))が見当たらない。この背景として、パワーカップルが価格上昇により手を出しづらくなることで、需要層が薄くなっていると推察される。
賃貸マンション:パワーカップルの賃借需要は増加する見通し
このように、パワーカップルにとって中古マンションも都心居住の選択肢として検討しにくくなっているが、賃貸マンションはどうか。筆者はパワーカップルにとっての選択しやすい状況が続いていると考える。2023年の賃貸マンションの賃料は2014年比で5区単純平均+17%の上昇と、世帯収入の増加+23%に収まるためだ(9)。ファミリータイプの賃貸マンションの60㎡換算の月当たり家賃は区によって幅があるが20万円台前半から後半である(5区単純平均は26.1万円)。
賃貸マンションの賃料の割安さには理由がある。ファンド等を筆頭とした投資家の賃貸マンションへの投資意欲が強く、利回りが低下しても結果的に供給が行われてきたことだ。図表6は筆者の都心5区の賃貸マンションの価格変化の試算だが、2014年比+88%も上昇している。
このうち、6割は利回りの低下によるもので、物件価格の上昇の過半を投資家が負担していたことになる。投資家による物件取得を背景とした賃貸マンションの供給は続いており、東京都における賃貸マンションの着工戸数は2023年4.2万戸と2年連続で4万戸を超えている。新築マンションの供給戸数の1.4万戸、中古マンションの売買成約件数の1.9万戸を遥かに上回る水準である。パワーカップルの立場では、賃料水準が抑えられているうえ、立地やグレードの観点でバラエティ豊かな物件が選択肢に入るため住宅を選び易い環境となっている。
8:-1σ~+1σに収まる割合は約68%であり、+1σ以上は平均上昇率の上位約16%を指す。
9:「都民のくらしむき」東京都生計分析調査報告(年報)によれば、2023年の東京都の勤労世帯における世帯当たりの平均の実収入は一か月あたり72.0万円であり、2014年比+23%増加となる。さらにパワーカップルは勤務先からの家賃補助を得られる世帯も多いと想定される。厚生労働省『令和2年就労条件総合調査の概況』によれば、従業員数1,000人以上の企業の61.7%で住宅手当関連制度が導入されている。
これまで分譲マンションを大きく下回ってきた賃貸マンションの賃料上昇率だが、今後は上昇率の差を縮める展開が予想される。就業環境の回復や出社回帰のトレンドに加え、新築ないし中古マンションを検討していたパワーカップル等が割安感のある賃貸マンションを選ぶようになることが想定されるためだ。弊社アンケート調査「賃貸住宅市場調査」では(図表7)、稼働率やテナント入れ替え時の賃料の上昇傾向は勿論、ダウンタイムの短期化と広告費・フリーレントの増加が止まる傾向(ファミリータイプでは減少傾向へ転換)が確認された。東京都心の物件保有割合が高い(10)住宅特化型リートの保有物件における賃料変動を見ると(図表8)、入居者が入れ替わる際の賃料上昇率は5%を超える水準まで上昇している。退去率が低下し空室が生じにくくなっている傾向(11)も生じており、賃料は今後さらに上昇しやすい地合いである。
一般的に不動産価格の変動に賃料は遅行することが知られている。これまでは供給の多さで賃料が割安だった賃貸マンションも分譲マンションに遅れてようやく賃料が上昇してきたと言えよう。都心居住を志向するパワーカップルが賃料上昇の遅れを享受できる残り時間は次第に短くなってきていると考えられる。
10:日本アコモデーションファンド投資法人の東京23区比率、都心5区比率はそれぞれ33.7%・88.5%(2024年2月29日時点)、コンフォリアレジデンシャル投資法人は31.3%・86.4%(2024年4月11日時点)である。
11:日本の賃貸マンションにおいては、借地借家法に基づく一般借家が未だに大半であり、足許のような賃料の上昇局面では暗黙の賃料引き上げ抑制効果を生じさせることで入居者の滞留を生じさせていると思われる。国土交通省『2022年度住宅市場動向調査』によれば、民間賃貸住宅に住み替えた世帯の賃借契約は普通借家94.8%、定期借家2.1%、無回答3.1%である。定期借家は2000年3月の導入から20年以上経った今でも、民間の賃貸住宅の賃貸借契約においてほとんど普及していないことが分かる。既往研究においては、慶応義塾大学名誉教授の瀨古美喜氏が、「日本家計パネル調査(JHPS/KHPS)」を用いた研究で、借地借家法の恩恵(支払い家賃が相場家賃よりも低い状態)を受けている入居者は長く、同じ賃貸住宅に留まる傾向があることを明らかにしている。詳細は『日本の住宅市場と家計行動』(東京大学出版会・2014年)を参照されたい。
従前以上に都心5区以外の都区部、郊外への流出も想定される
パワーカップルという概念は、橘木俊詔氏・迫田さやか氏が著書の「夫婦格差社会-二極化する結婚のかたち」(2013年・中公新書)において初めて言及されたが、それから10年以上の月日が経った。購買力の高さと職住近接の志向から、不動産業界では分譲マンションの購入者、ないし賃貸マンションの入居者として都心における主な顧客層として扱われてきた。
本稿で論じたように、この位置づけは時間とともに変化しており、新築マンションは勿論、中古マンションも選択肢として検討がしにくい状況にありつつある。都心居住の選択肢としては、当面は賃貸マンションが分譲マンションの代替財としてのニーズを集めるだろうが、さらには従前以上に都心5区以外の都区部、郊外への流出も想定される。住宅市場を方向付けるパワーカップルの動向を、今後もウォッチしていきたい。