本記事は、熊谷徹氏の著書『GDPで日本を超えた!のんびり稼ぐドイツ人の幸せな働き方』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

労働形態
(画像=SHOKO / stock.adobe.com)

様々な労働形態

また、残業時間が多い課の課長は、取締役や事業所評議会(企業別組合)からにらまれる。

管理職は、自分の勤務評定が悪くなると、昇進に影響するので、なるべく社員に残業をさせないようにする。

ちなみに、最近ドイツでの働き方は、どんどん柔軟的になっている。たとえば、フレックス・タイム制度を取っている企業が増えている。1990年代の初めまでは、午前9時から午後3時まではオフィスにいることを義務づける会社が多かった。会社にいなくてはならないこの時間帯は、Kernzeit(コア・タイム)と呼ばれた。9時を過ぎて出社、つまり遅刻した社員は、受付の職員に氏名と部課名を伝えなくてはならなかった。受付の職員は、その社員の上司に遅刻の事実を報告する。まるで、小学校のようだ。最近では、こうした制度を取っている企業は非常に少ない。

フレックス・タイム制度を採用している企業では、オフィスにいなくてはならない時間帯はない。重要なのは、労働時間の口座の収支だ。収支がプラスである限り、働く時間を自由に決めることができる。残業時間が多く残っている人は、時間口座のプラスを減らすために、午前10時に出社して午後2時に帰っても、全く問題ない。近年ドイツの企業では社員の自由が拡大する傾向がある。

社員がいちいちタイムカードを押す義務を免除する「信頼労働時間」という制度もある。

企業側は、社員がタイムカードに打刻しなくても、きちんと働いていると見なす。そのかわり、社員は具体的な「成果」を出すことを期待される。

残業代を通常支払わずに、残業時間を「生涯労働時間口座」に蓄積させる会社も増えている。口座にたまった残業時間は、社員が会社を退職する時に、現金として支払われる。

口座に蓄積する残業時間については所得税がかからないので、社員は退職して残業代をまとめて受け取る時まで、税金の支払いを一時的に免除されるという利点もある。または、社員は口座にためた残業時間を利用して、定年退職の時期を早めたり、長期休暇を取ったりすることもできる。勿論、人件費を節約するために、残業代を一切支払わないという会社もある。

残業が多い社員は無能と見なされる

ドイツで残業という言葉につきまとうイメージは、日本よりもはるかに悪い。残業時間が多い社員は、無能と見なされることもある。つまり仕事の能率が悪く、むだやミスが多いので、労働時間が長くなると考えられるのだ。ドイツの企業で優秀と見なされるのは、残業をせずに短い労働時間で、具体的な成果を生み出す社員だ。かつての日本では、夜遅くまで残業をしている社員については、上司が「熱心でやる気のある社員だ」と前向きに評価することもあった。しかしドイツには、そのような上司は滅多にいない。残業時間が多いことを会社への忠誠心の証と考える人は、ほぼゼロだ。

読者の皆さんの中には、将来ドイツに移住して、この国の企業で働こうと考えている人はあまりいないと思う。だが万一そのような奇特な人がいた場合には、なるべく残業をしないことをお勧めする。同じ成果を上げている2人の社員の内、上司の評価が高いのは、労働時間が短い社員だ。残業時間が多く、成果も少ない社員は、出来が悪い社員という烙印を押される。

最近ドイツの企業では、社員に定期的に上司の査定を行わせる会社が増えている。上司について批判的なコメントを書いた社員が、後で上司から仕返しをされないように、査定は匿名で行われ、企業から独立したコンサルタント会社などが結果を集計して、人事部に報告する。したがって、部下に長時間労働を強いるなどして、保護義務をおろそかにしている管理職は、人事部によってその事実を知られる。つまり、部下による査定の結果が悪くなるので、昇進が難しくなる。平社員の意見が、上司の昇進を左右できるのだ。ある意味では、民主的なシステムである。日本でもこのようなシステムを採用している企業があると思うが、どんどん増やすべきだ。

遵法精神が強い

私は、ドイツ人の労働時間が短い理由の1つは、法律に対する態度が日本とは違うことだと考えている。ドイツ人は、日本よりも法律や規則を守ることを重視する民族だ。彼らは日本人よりも自己主張・個人主義が強い。さらにドイツは移民社会なので、欧州以外の文化圏から来た外国人も多数住んでいる。そうした社会を束ねて、空中分解するのを防ぐのが法律と規則である。ドイツ人も外国人も、法律と規則には従わざるを得ない。従わないと、制裁を受けるからだ。ドイツでは法律や規則が多いだけではなく、政府が厳しく法律違反があるかどうかをチェックする。市民や企業も法律に違反しないように細心の注意を払う。つまり法治主義がお題目ではなく、実行されている。

私はこの国に34年間住んでいるが、「ドイツ人は人間の感情よりも、法律や規則を重視する人々だ」と感じたことが何度もある。イタリア人、フランス人、ギリシャ人に比べても、ドイツ人は法律や規則を重視する傾向が強い。良く言えば生真面目であり、悪く言えば融通がきかない。

日本語の「清濁併呑せむ」とか「融通無碍むげ」という言葉には、「物事を杓子定規でとらえない、懐の広い人」という前向きな意味があるが、ドイツにはこのような形容詞はない。日本には「水清ければ魚棲まず」ということわざもある。これは孔子の教えから来た諺だが、「清廉すぎる人は、人に親しまれず孤立してしまう」という意味で、法律や規則にしがみつく人は嫌われるという意味合いがある。このような諺も、ドイツにはない。

むしろドイツ人は、法律や規則によって白黒や善悪をはっきりさせることを好む。竹を割ったような性格の人が多い。ドイツ語に「Zwielicht」という言葉がある。これは光の状態を指す言葉で、夜明け前の薄明のような、明るいのか暗いのかはっきりしない様子のことだ。ドイツでは「ある人がZwielichtの中にいる」というと、疑惑をかけられている状態を意味し、ネガティブな意味が強い。つまりこの国では「清濁併せ呑む」人は悪い人であり、魚が棲まなくなっても水は清くなくてはならない。

ドイツは、グループの調和を重んじる日本に比べると、はるかに個人主義が強い社会である。「Jeder für sich, Gott für alle(全ての人は、自分のことだけを考え、神様は全ての人のことを考える)」という言葉は、個人主義社会ドイツを象徴する言葉だ。だがもしも市民や企業が自分の利益だけを追求し、誰も彼らの行動を制御しなかったら、社会がばらばらになってしまう。まるで熱帯のジャングルのように、弱肉強食のルールがはびこり、強い者だけが生き残り弱い者は死に絶えていくだろう。そうした状態に歯止めをかけるために、法律が使われる。

ドイツ人は、「人々が全体の調和よりも、個人の利益を追求する社会で、最低限の秩序を守るためには、法律や規則で市民や企業の行動を律する必要がある」と考えているのだ。

私は、ドイツ人が法律遵守を重んじる性格は、この国の強烈な個人主義の裏返しだと考えている。厳しい制裁に裏打ちされた法律が、社会がばらばらになるのを食い止めるかすがいになっている。

『のんびり稼ぐ ドイツ人の幸せな働き方』より引用
熊谷徹
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。
著書に『ドイツ人はなぜ、年収アップと環境対策を両立できるのか』『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(以上、青春出版社)、『日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ』(洋泉社)など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム基金賞奨励賞受賞。

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