2017年4月1日、名古屋に日本初のレゴのテーマパーク「レゴランド ジャパン (LEGOLAND JAPAN) 」がオープンした。世界において8番目のレゴランドだという。

レゴランドは、レゴブロックの世界観をそのままに、自分がレゴブロックの世界に入り込んだような気分になることができるテーマパークである。対象年齢は2歳から12歳の子どもとその家族 (レゴランドの公式ホームページより) ではあるが、大人だけで訪れても大いに楽しむことができるだろう。

今でこそ世界中の人から愛され、人気がある「LEGO」だが、現在に至るまでには紆余曲折があり、一度は倒産寸前だったといわれている。レゴの歴史や魅力、復活劇について紹介する。

レゴの歴史、魅力

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(写真=PIXTA)

レゴは、デンマークに本拠地を置く株式非公開 (未上場) のおもちゃメーカーである。1932年にオーレ・キアク・クリスチャンセン氏によって創立され、現在は創立者の孫のケル・キアク・クリスチャンセン氏が所有している。

オーレはもともと、小さな木工所を営み、家屋の建築や修理を行っていた。世界恐慌で本業が縮小するなか、木製おもちゃの製造販売を開始した。そして1932年に「レゴ」が誕生する。この名称は、日本語で「よく遊べ」を意味するデンマーク語の「leg godt」を掛け合わせた造語である。レゴは、その名称からも分かる通り、今日に至るまで「遊びを通じて子どもの創造性を育む」ことをコンセプトとし続けている。

レゴの大きな転機は、第2次世界大戦が終結して間もない1947年、当時主流だった木造の積み木ではなく、プラスチック製のブロックを積み木代わりとして製造・販売していったことだ。これによって、従来の積み木遊びに加え、ブロックを自由に組み立てたり組み合せたりすることができるようになった。

子どもたちは、自身の発想や想像力をより自由に表現できるようになり、その価値に気がついた親たちからの支持も受け、レゴは世界的なおもちゃブランドに成長した。なお、レゴブロックが現在の形に至ったのは1958年のことだ。

低迷、そして奇跡と呼ばれた復活劇

世界的おもちゃブランドとなったレゴだが、次第に類似品が数多く販売されるようになり、業績は低迷期を迎えるようになる。また、1990年代からはデジタル技術の普及が急速に進んだことにより、子どもたちの生活環境も大きく変化した。「子どもたちの遊ぶ時間」をテレビゲームや小型ゲームなどと奪い合うことになったのだ。

アナログ玩具の代表格であるレゴの業績は低迷していった。業績を回復するために、さまざまなものとコラボレーションや提携を試みるが、特殊なブロックの形となってしまうことで「自由に組み立てたり組み換えたりすることができる」レゴブロックの特徴を活かしきれず、消費者からの信用も失いかけた。同時にブランド力も低下してしまった。レゴグループは一時、倒産間際まで追い込まれたという。

このような背景から、2004年、レゴは社内の改革をはかる。創業の精神である「遊びを通して子どもの創造性を育む」ことに立ち返り、メインの消費者である子どもに着目する。試作品で子どもに遊んでもらい、どの試作品が一番子どもたちが楽しそうに遊ぶかなど徹底した調査や研究を実施した。このような顧客 (子どもたち) 目線の徹底は、次第に、玩具の購入代を負担する親たちの理解も得ていった。

また、デンマーク人に偏っていたマネジメント層のグローバル化を進め、独自の供給網を開拓することによって、販路を拡大することに成功した。SNSの普及に伴い大人からも人気を得ることができ、世界有数のおもちゃメーカーとして再び人気を取り戻すことに成功したのだった。このV字回復の復活劇は「デンマークの奇跡」とも呼ばれている。

原点に立ち返る勇気

企業規模が大きくなると、さまざまな弊害が起こりやすくなる。誰のためにサービスを展開しているのかという原点を忘れて、魅力的な商品開発ができなくなってしまうこともある。しかし、原点に立ち返り、顧客のニーズを満たすための変革を実行したことによって、レゴは復活を果たした。

レゴの復活劇は、企業が原点に立ち返る勇気を忘れてはいけないと考えさせられるエピソードである。この勇気がある限り、デジタル化がますます進むことが予想される今後においても、レゴは子どもたちの想像力を育む商品を提供してくれるだろう。(提供: 大和ネクスト銀行

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