友人ゼロ高齢者を減らしていくために

では、なぜ友人がいない高齢者が他国に比べて日本は多いのだろうか。誰もが生まれてから友人がいないまま生きてきた人はおそらくいない。学校や職場等を通じて、自然に誰かと友人関係を築いていったはずである。

しかし、年を重ねるなかで特に高齢期を迎えると、その貴重な友人が1人、2人と去っていく。永遠の別れを積み重ねていった結果、気づけば1人もいなくなってしまった、というのが「いずれもいない(友人はいない)」と回答した方々と思われる。ただ、年を重ねて友人を失っていくことはどの国も基本的には変わらない。それにも関わらず、前述のように実態が異なるということは、何かが違うということである。

その違いは何だろうか。一般的に聞かれるように、特に男性において、高齢期になってから新たな友人を作ろうとする人が日本は少ないということ、また作れる機会が他国よりも日本は少ないということではないだろうか。

日本人は非常に律儀であり、他人に対する配慮や気兼ねの意識が強く、また身内(仲間)かそうでないかで極端に態度が異なる(=ウチ・ソト文化)(*5)と言われている。こうした日本人特有の意識(精神性)が、もしかしたら高齢期に新たに友人を作るという行為を抑制してしまっているのかもしれない。

他の理由としては、長年の人生経験から、人間関係の煩わしさばかりが強調される結果、高齢になって新たな友人を作ることを妨げてしまっているといったことも考えられる。

いずれにしても、友人はいないよりもいたほうが良いことは前述のとおりであり、社会としては友人を作れる機会をさらに提供していくことが肝要であろう。特に高齢者の日常的な行動範囲である「地域(自治体)」にその役割が期待される。

高齢者の社会参加を促す取組みは、これまでも各地で百花繚乱のごとく行われてきていることは確認できるが、何かを催しても出てくる人はいつも同じ人で、出てこない人はいつも出てこないのが実態と思われる。この出てこない人の中に友人ゼロの人が多いと思われる。難しい問題ではあるが、この出てこない人に出てきてもらう新たな取組みを地域が提供できるかどうかが、友人ゼロの高齢者を減らす鍵となろう。

例えば、高齢者向けの「仕事」の場を積極的に創るということも一つの解決策になろう。普段の地域活動には参加しない(興味がない)人でも、経済的なことや健康や生きがいのために軽易な仕事を求める人は少なくない。仕事の場があれば必然的に仲間ができる可能性が高い。

また、各地で見られる「還暦式」のような催しも、集まって懇親を楽しむだけではなく、参加すれば何らかの特典が得られるようなもう一段の工夫ができないものだろうか(各自治体における行政サービス上での特典等)。人の意識や行動を変えるには何らかの“アメ"が必要である。

さらなる策としては、半ば強制的に社会参加を義務付けるようなことも一案になりえるかもしれない。好き嫌いに関わらず地域社会の活動に参加してもらうことが、住民同士のつながりの強化になり、めぐりめぐって本人のためになるという考えである。

例えば、「セカンド小学校(仮称)」のような形で、一定の年齢になれば一定期間、その地域の学校に通ってもらうことを義務付けるようなことである。かなり大胆な取組みであり、実現に向けては課題も少なくないと考えるが、仕事の場と同じく、参加しなければならない場があることは、人とのつながりを築くきっかけになることは言うまでもない。

以上のようなことも含めて、高齢になって相談する相手もいない寂しい日々をおくる高齢者を一人でも減らしていくように、地域社会における新たな「機会」づくりが活発になることを切に願う次第である。

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(*5)広井良典「コミュニティを問いなおす」(ちくま書房、2009年8月)の中で日本人特有の精神性として紹介されている。
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前田展弘(まえだ のぶひろ)
ニッセイ基礎研究所 生活研究部  主任研究員

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