「おやじが創ったスーパーカブを超える夢がかかったプロジェクトだ。絶対にあきらめるわけにはいかない。もう一度最初から考え直しだ」
本田技研工業 <7267> のWebサイトに 「小説」 が掲載されているのをご存知だろうか。上記のセリフはその一節である。創業者の本田宗一郎は、従業員がいい加減な仕事をすると、全身を震わせて叱りつけたという。本気で叱ってくれる本田を従業員は敬愛を込めて「おやじ」と呼び、慕った。
そんな「おやじ」が生み出し、世界中で愛され続けた二輪車がスーパーカブである。同社の調べでは、1958年に開始したスーパーカブの生産台数は2014年3月時点で8700万台を超え、輸送用機器の1シリーズとして世界最多を記録している。
おやじのスーパーカブの「存在」を超える自動車を創りたい。
1989年、開発陣の想いを胸に立ち上げたプロジェクトは結実する。新しいスポーツカーと未知数を意味する「X」を合成した “New Sports Car X” から名付けられたそのモデルこそが、初代「NSX」である。
バブル期に誕生した「新しいスポーツカー」
1990年から2005年まで販売した初代 NSX は、その名の通りスポーツカーの「新しい概念」を取り入れたクルマであった。
たとえば、軽量化を図るために採用されたオールアルミ・モノコックボディは量産車としては世界初の試みであった。エンジン、シャシー、足廻り、シートの構造部材に至るまでアルミ合金を使用した。
エンジンは「3.0L V型6気筒 DOHC VTEC」を横置きで搭載。ちょうどドライバーのお尻の下に敷くような位置関係から、開発チームでは「座布団エンジン」とも呼ばれた。
その「座布団エンジン」の最高出力は280ps、最大トルクは30.0kgmであった。加えて、4チャンネルデジタル制御アンチロックブレーキシステムや、トラクションコントロールシステム、SRSエアバッグなど数々の新しい安全・快適装備を採用したのも大きな特徴である。
購入の際にはショートストロークが特徴の5MTと、専用開発のATから選ぶことができた。価格はMTが800万円、ATは860万円で当時の日本車としては最高額である。
初代NSXは、あらゆる面で「新しい概念」を取り入れたスポーツカーであった。だからこそ、ホンダの顔とも呼べる存在となれたのであろう。