『人工知能が金融を支配する日』――こんな衝撃的なタイトルの書籍(東洋経済新報社)を昨年上梓した櫻井豊氏。東京銀行時代に英国ロンドンでトレーディングなどを経験、その後ソニー銀行の立ち上げに参画、市場運用部長などを歴任した。現在はリサーチアンドプライシングテクノロジー(RPテック)で役員を務めている。本書では金融業界関係者のみならず広くビジネスパーソンに向けて、金融業業界でいかにAIが使われてきたかという歴史や、将来の展望などについて分かりやすく解説、考察している。金融業界におけるAIの存在感が日に日に大きくなるなかで、本書を著した意図とは。日本の金融業界に対する思いとは。(聞き手:濱田 優 ZUU online編集長)
超高速ロボ・トレーダーを早くから使っていたのはヘッジファンド
さくらい・ゆたか
金融市場と金融商品、および金融技術の専門家。1986年早稲田大学理工学部数学科を卒業し、東京銀行(三菱東京UFJ銀行)入行。2000年にソニーのネット銀行設立メンバーとなり、ソニー銀行執行役員市場運用部長などを経て2000年からリサーチアンドプライシングテクノロジー株式会社取締役。入行以来ほぼ一貫して金融市場におけるさまざまな金融商品を用いたトレーディング、資産運用などの業務に従事、金融市場の実態、理論とそこで使われれる技術を熟知する。著書に『数理ファイナンスの歴史』(きんざい)がある。
――2016年は専門家に向けた『数理ファイナンスの歴史』を出され、さらに一般読者向けにAIに関する本書『人工知能が金融を支配する日』も刊行されました。周囲の反応や今取り組んでいることについて教えてください。
専門家向けに書いた『数理ファイナンスの歴史』(きんざい、568ページ)は20世紀の最初から現代にいたる金融工学の歴史を振り返るものです。ただ以前から「これからはAIが伸びる」という確信があって、人工知能に関する本書を初めて上梓したわけです。
本書は一般向けとはいえ専門性もある程度高いため、読者の数はそう多くないのかもしれません。しかし読んだ方には強く印象を残せたようで、いろいろ反響は来ています。やはりAIについての相談がぐんと増えました。たとえば国外にある日本人運営のヘッジファンドなどから、「AIを使った運用を考えているが、どうしたらいいのか」といった相談が複数来ています。金融機関からの相談もありますね。
今は機械学習でどんなことが、どの程度できるのか探りたいと思っています。「かなり有望かもしれない」という気がしていますが、あまり具体的な事は言えません。この世界の特徴で、「いいやり方」を見つけても出しませんから。まず自分で稼げるかどうか試さないと。逆に言うと「外に出されるモノ」は、ある意味で“2流品”。自分が「秘密にしておく必要が無いようなモノ」ですから。今はPythonやR言語(アール。オープンソース・フリーソフトウェアの統計解析向けのプログラミング言語)を使って、いろいろと試している状況ですね。
――Pythonは解説書も多数刊行されるなど触り始めている人も多い印象です。
ただ金融について言うと、ヘッジファンドはともかく個人レベルでちゃんと使えてる人は世界的にもまだ少ないですね。特に日本は少ないと思います。
まあそもそもツールとなるAPIを提供している業者自体があまりない。私はOANDA(オアンダ)という米国企業のFXツールを使っています。同社はAPIを解放していて、自作のツールが為替取引に使えるのですが、個人や小さなファンドが実用レベルで“使える”というものは世界的にもOANDAなどほんの数社くらいしかなく、特に日本では選択の余地はほとんどないように思います。
――「為替」は人工知能を使った金融取引の中では一つ大きなジャンルでしょうか。
そうですね。特に短期取引をやる人にはやはりいい市場です。24時間ほとんど動いてるし、流動性もありますから。特にユーロドルやドル円でしょうね。本書でも触れましたが、為替市場も、原油先物市場など流動性が高い取引市場は超高速ロボ・トレーダーだらけですから。
100万分の1秒を競うようなコンピュータアルゴリズムで動くロボ・トレーダーですが、その活躍はここ十数年の話です。その以前からヘッジファンドの一部がコンピュータのアルゴリズム活用した取引をしていました。
――ヘッジファンドといえばソロスファンドなどが知られていますね。
ソロス氏のようにグローバル経済のマクロ要因を材料にして取引をするグローバルマクロのほかに、ロングショートやイベントドリブンなどいろいろなスタイルがあります。いろいろなスタイルを持ったヘッジファンドがある中で、数学的モデルやコンピュータのアルゴリズムを活用しているのがクオンツファンドです。数理・統計的な理論やモデルによる価格分析を重視して取引をします。20世紀の代表的な存在の一つがルネッサンス・テクノロジーズです。
――メダリオンというファンドを立ち上げた、ジェームズ・シモンズ氏が創業したファンドですね。
シモンズ氏はパターン認識と暗号解読の専門家ですね。彼らの手法は、パターン解読の技術を使って金融商品の値動きのトレンドを予想するものです。短期トレンド解読に集中して過去20年間の年率換算の平均リターンは35%を超えていました。リーマンショックのあった2008年は98%を超えるリターンをたたきだしています。多くのファンドがマイナスの中で、です。そのルネッサンスは超高速ロボを早くから導入していたといいます。
シモンズ氏は引退しましたが、IBMから採用した音声認識の専門家が後継者となってルネッサンスのパターン認識には磨きがかかっています。このパターン認識はAIでも技術進歩が著しい分野です。ルネッサンスは今でも優秀な技術者を積極的に採用しているそうです。
そして最近成長している新興ファンドがツー・シグマです。コンピュータ技術者と、数学オリンピックのメダリストでもある統計の専門家の2人が創業者です。米国株を対象に、AIを使ってビッグデータ分析をしています。過去の株価以外にもニュースや財務指標、Twitterなどの情報も含めて解析しているそうです。
ディープラーニングをはじめとしたAIのアプローチは統計分析を飛躍的に発展させたものと考えられます。AIでビッグデータを分析すれば、リアルタイムで信用リスクをモニタリングすることもできます。
――日本の研究開発やツールは遅れているのでしょうか。
なくはないですが、ちゃんとした研究という意味ではまだまだですね。私も詳しく確認したわけではないことはお断りしておきますが、ざっと見る限りは。一生懸命これで儲けようとしてる感じがありません。
数学では数学的に証明できることを大事にしますが、AIは数学というより工学です。部分では、数学でいう定義や公式が使われていますが、全体でいうと工学。「どうすればパフォーマンスが出せるのか」といった目的があるわけです。
たとえばディープラーニングなんかで、「どうしてパフォーマンスがいいのかはよく分からないけど、良い」ということがあるんですね。でも……。
――数学だとそれが証明できないとダメだと。
そうなんです。学者からすれば、そういう「きちんと論理的に証明できないことは認めない」というところが、研究とかアカデミックの分野にはある。世界中でそういう傾向はあるんだけれども、日本は、特に金融分野ではそれが強過ぎる気がします。
――櫻井さんはアカデミックより実業のほうに関心があるのでしょうか?
両方ありますが、ただ私は学者のように理論にスティック(固執)していないです。デリバティブもそうですが、数学的に説明できるようなアプローチやモデルだけでは限界があるんですよ。単純化しないと、数学的に扱えなく、展開できなくなってしまうから。あるいは計算が膨大になりすぎるから。従来の理論から中心に行ったアプローチは、非現実的なぐらい抽象化することによってモデル化を可能にしているわけです。