米国の労働市場では雇用者数が大きく増加している割に「賃金の伸びが低い」状況が続いている。8月の米雇用統計ではこの状況が継続するのか、それとも改善が見られるのかが一つの注目点となる。改善がうかがえない場合には、なぜ変化しないのかを探る必要があるかも知れない。

間もなく発表される、8月の米雇用統計のポイントを整理してみよう。

雇用が増加しても「賃金が伸びていない」

前回(7月)の非農業部門の雇用者数は前月比20万9000人の増加だった。また、失業率は4.3%で前月から0.1ポイントの低下となり、今年5月に付けた14年ぶりの低水準に並んだ。

雇用者数の増加は2カ月連続で「20万人超え」となり、7月までの3カ月平均も19万5000人増となっている。「人口増加を吸収」するのに必要な増加は10万人程度であることを踏まえると、2倍のスピードで雇用が拡大しており絶好調といえる。

一方、7月の平均時給は前年同月に比べ2.5%増加した。4カ月連続で横ばいとなり、底堅いと見ることもできるが、ウオール街の市場関係者からは「雇用者数の増加の割には驚くほど低い」との意見も聞かれる。

かつて、イエレンFRB(米連邦準備制度理事会)議長は「賃金の伸びは3%ないし4%が適正」と発言していることを考えても「2.5%」はやはり低いと言わざるを得ない。ちなみに、2%の物価目標を達成するには「3.0%から3.5%」の伸びが必要と考えられており、その点からも現状の賃金の伸びの低さには違和感を覚える。

ギグエコノミーの進展等も影響している?

7月の結果については、パートが増加しフルタイムが減少している点も不安材料だ。同月はパートが39万3000人増加する一方でフルタイムは5万4000人減少した。

フルタイムでの就労者数は4月をピークに伸び悩みとなっており、過去2回の景気循環ではフルタイム就労者数のピークが景気の山とほぼ一致していることから「景気のピークアウト」が心配されている。

ちなみに、4月のフルタイムは1億2599万人で7月は1億2592万人だった。今回発表される8月の数字で4月を超えることができれば安心だが、超えられないようだと「景気が循環的な下降局面に入った」可能性も浮上するので注意が必要だろう。

ともあれ、いくら雇用者数が増えていても「パートばかりが増えている」のであれば、平均的な賃金の伸びが低いのもうなずける。

最近ではUBERなどに代表されるギグエコノミーの進展により、労働形態は多様化している。しかし、ギグワーカーは労働者や産業を保護する従来の規制からも自由な存在であり、労働条件が必ずしも良いわけではない。

こうした構造的な労働形態の変化も賃金の伸びを抑制している可能性がある。

高齢化も賃金の伸びを抑制か

もう一つ気になるのが、高齢化による賃金の伸び抑制である。

ニューヨーク連銀の調査によると、新たな職に就く際に受け入れる最低年収の平均は7月時点で5万7960ドルと4カ月前の5万9660ドルから低下した。低下は昨年11月から続いており、特に高い年齢層で顕著となっている。

高齢者は賃金が下がってもそれを受け入れる心の準備ができているとも考えられ、この傾向は今後ますます強まることも予想される。

賃金の伸びが鈍いのは、企業が賃金をカットしているわけではなく、高齢化に伴って賃金の低下を受け入れやすくなっているということなのかも知れない。

物価の伸びが低いほど実質所得は増える?

物価が目標の2%に届かないとなんとなく景気が良くないのではないかと心配になるが、構造的に賃金の伸びが2%台半ばとなっていることを事実として受け止めるなら、物価は2%よりも1%台半ばのほうが景気にとってはプラスとも考えられる。

もちろんデフレになっては困るが、賃金の伸びを一定とすると物価の伸びが低いほど実質所得は増える計算になるからだ。

実際、物価の伸びが高かった今年1~3月期は個人消費が低迷し、物価の伸びが鈍化した4~6月期に個人消費が持ち直している。個人消費の回復に連動して、GDP成長率も1~3月期の1.2%から4~6月期は3.0%にまで高まっている。

物価の上昇に賃金の伸びが追いつかないとインフレ調整後の所得が低下してしまい消費に悪影響を及ぼす恐れがある。要するに、賃金の上昇スピードが物価に負けなければ良いわけだ。

賃金に対しこれまでとは「異なる見方」も

8月の雇用者数は18万人程度の増加(30日現在)が見込まれており、引き続き堅調を維持する公算が大きい。

そうなると、注目はやはり賃金の伸びとなる。これまでは、賃金の低い伸びはスラッグ(緩み)を示唆しており、景気に対しては警戒信号であった。しかし、足もとの好景気を踏まえると、物価の伸びが低いのであれば景気拡大にそれほど高い賃金の伸びは必要とされていないのかも知れない。

このように考えるのであれば、賃金の伸びが横ばいでも低インフレ環境では個人消費には追い風となり、景気拡大を支援することになる。

これはFRBの追加利上げを肯定することになり、賃金の低い伸びで利上げを先送りするというこれまでのフレームワークが崩れる可能性がある。

政治的要因が見通しを複雑にしている?

こうした状況を踏まえると、堅調な雇用拡大とさえない賃金の伸びに対する「マーケットの反応」も読みづらくなる。さらに、北朝鮮問題、政府閉鎖やデフォルトのリスクなども見通しを複雑にしている。

地政学的リスクやトランプリスクの高まりもあって12月のFOMC(米連邦公開市場委員会)での利上げ確率が低下している。それどころか、最近では利下げ見通しも出始めている。

8月29日現在のフェドウォッチによると、9月FOMCでの利下げ確率は3%、据え置きが97%、利上げはゼロ%だ。12月FOMCでは利下げが2%、据え置きが67%、利上げは31%となっている。12月の利上げ確度は7月下旬にはほぼ五分五分であったことから、この1カ月で利上げ見通しが大きく後退したことが分かる。

おおむね事前予想通りの数字となれば、個人消費には追い風となることから、株高・ドル高が見込まれる。賃金の伸びが2%台半ばで足踏みした場合でも、物価目標の達成には不十分かもしれないが、消費を拡大するには十分であり、景気にとってはプラス材料となるだろう。ただ、政治的な要因で反応が鈍る可能性には注意したい。

また、ADPが予想上回る増加となり、4~6月期GDP成長率も予想外の上方修正となるなど既に期待値が高くなっている。当日の反応を見極める上でこの点も念頭に置く必要があるだろう。(NY在住ジャーナリスト スーザン・グリーン)

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