要旨
- 昨年9月21日に日銀がイールドカーブ・コントロールを導入して、もうじき一年が経過しようとしている。この一年を振り返ってみると、同政策の導入が発表された際には、まず「中央銀行が長期金利をうまく操作できるのか?」というオペレーション面での懐疑的な見方が台頭したが、この一年に限れば、長期金利の操作は成功したと言える。指値オペや国債買入れ増額などを駆使した結果、長期金利は概ね▲0.1%~0.1%の範囲に収まっており、「ゼロ%程度」が維持されたと見なせる。また、導入後は日々の金利変動幅も縮小し、低位での安定化が図られた。ただし、今後について過度の楽観はできない。これまで以上の金利上昇・低下圧力がかかった際に、うまくコントロールできるかについては未だ不透明感が残るためだ。
- 次にイールドカーブ・コントロールの政策効果を見てみると、金利を抑制できたことを通じて円安や貸出の増加が一定程度促されたとみられ、日本経済にとってプラスに働いたと考えられる。ただし、同政策の最終的な目標である物価に対するプラスの影響は未だ確認できない。物価上昇率はイールドカーブ・コントロール導入後も低迷を続けており、日銀の目論見通りには運んでいない。
- 最後に、イールドカーブ・コントロールの副作用について確認しておくと、同政策を続けることによって、様々な副作用が水面下で蓄積していると考えられる。具体的には、債券市場の機能低下、政府の財政規律の緩み、銀行等の収益悪化、緩和の出口におけるハードル上昇などが挙げられる。
- 物価目標達成までかなりの距離が残っている以上、日銀は今後も長期にわたってイールドカーブ・コントロールを続けると見込まれるが、効果が中途半端な反面、副作用は着実に蓄積されているとみられるだけに、これまで以上に十分な途中検証が必要になる。
トピック:導入から1年、イールドカーブ・コントロールの評価
昨年9月21日に日銀がイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、図表中ではYCCと表記)を導入して以降、もうじき一年が経過しようとしている。一つの節目を迎えるにあたり、この一年間を振り返り、同政策の評価を行う。
◆金利操作自体は成功
イールドカーブ・コントロールの仕組みは、昨年初に導入した(日銀当座預金への)マイナス金利適用に加え、長期金利(10年国債利回り)に「ゼロ%程度」の誘導目標を設定することで、イールドカーブ(利回り曲線)のコントロールを図るものだ。近年、他国で実践された例はない。従って、昨年導入が発表された際には、まず「そもそも中央銀行が長期金利をうまく操作できるのか?」というオペレーション面での懐疑的な見方が台頭したが、この一年間に限れば、長期金利の操作は成功したと言える。
イールドカーブ・コントロール導入後の長期金利の動きを見ると、概ね▲0.1%~0.1%の範囲内に収まっており(表紙図表参照)、「ゼロ%程度」が維持されたと見なせる。この間、トランプ政権への期待や米利上げ観測に伴って米長期金利が大きく上昇し、本邦長期金利にも強い上昇圧力がかかる場面が幾度かあったが、日銀は指定する利回りで国債を無制限に買い入れる指値オペ(3度実施)や国債買入れ増額などの様々な手段を用いて市場に「これ以上の上昇は許容しない」とのメッセージを発し、金利上昇を強力に抑制することに成功した。
また、イールドカーブ・コントロール導入後は日々の金利変動幅も縮小し、低位での安定化が図られた。長期金利の前日差(絶対値)の動きを見ると、イールドカーブ・コントロール導入後に変動幅が縮小したことがわかる。導入前一年間の日次変動幅と比べると、導入後には半分程度に縮小している。日銀の許容範囲がイメージとして徐々に市場に浸透し、上にも下にも動きにくくなったためだ。また、20年国債の利回りも変動が抑制された。直接の操作対象ではないものの、長期金利の変動が抑制されたことが波及した形だ。
ただし、今後について過度の楽観はできない。これまで以上の金利上昇・低下圧力がかかった際に、うまくコントロールできるかという点については未だ不透明感が残るためだ。この一年間の米長期金利は最高2.6%止まりであったが、今後もし米経済が好調を維持し、FRBの断続的な利上げが織り込まれることで米長期金利が3%台を目指す展開となれば、日銀はこれまで以上の抑制対応を迫られることになる。また、逆に米経済への悲観が高まることで米長期金利が大きく低下するなどし、本邦長期金利が急低下する事態への対応にも課題が残る。この一年間は急激な金利低下が起きなかったため、日銀は金利低下を止めるための本格的な対応を実施したことがない。金利低下を止めるために指値オペや大幅な国債買入れ減額を実施する場合、日銀の緩和姿勢が後退したとみなされ、円高を招く恐れがある。日銀はそのリスクを踏まえたうえで難しい対応を迫られることになる。
◆政策効果は一定認められるものの、肝心の物価が低迷
次にイールドカーブ・コントロールの政策効果を見てみると、前述のとおり、金利を抑制できたことを通じて一定のプラス効果があったことがうかがわれる。
本来、日本の金利は米金利との連動性が強い。日米の長期金利の関係性を見てみると、(マイナス金利政策決定後)イールドカーブ・コントロール導入前までは、「米長期金利が1%上(下)がった場合に日本の長期金利は平均して0.32%上(下)がる」(図表「日米長期金利の関係性」内の計算式参照)という関係にあったが、導入後はこの値が「0.16%」に下がっており、米金利変動の影響を受けにくくなったことがわかる。イールドカーブ・コントロール導入時を基点とすると、米国の長期金利はその後に最大約1%上昇しており、従来の関係性であれば、日本の長期金利も0.3%程度押し上げられたはずだが、実際の上昇幅は最大で0.1%強に留まった。期間を通じてみると、平均で0.13%の金利押し下げ効果があったと試算される。
米長期金利上昇に対して日本の長期金利の上昇が抑えられたことは、為替面で円安に働いた。日米の長期金利差は為替に大きく影響するためだ。具体的にみると、マイナス金利決定後の平均的な両者の間には、「1%の日米長期金利差拡大は、12.6円の円安ドル高に繋がる」(図表「日米長期金利差とドル円レートの関係性」内の計算式参照)という関係性が確認できる。従って、イールドカーブ・コントロールによって日本の長期金利が抑えられ、日米金利差が期間を通じて平均0.13%分拡大したことは、1.6円分の円安ドル高に寄与したことになる。昨年終盤以降の円高是正の主因はあくまでも米国側の事情(トランプ政権への期待など)に伴う米金利上昇だが、イールドカーブ・コントロールも円安をサポートする要因になったと考えられる。
また、イールドカーブ・コントロールによって金利を抑制できたことで、銀行貸出を通じたプラス効果も一定程度あったとみられる。同政策の導入後、もともと低かった銀行の新規貸出金利は過去最低レベルにまで低下した。貸出金利の指標である国債利回りが低位で安定したうえ、当面の金利上昇が実質的に否定されたことで、低金利競争に拍車がかかったようだ。銀行貸出残高は、イールドカーブ・コントロール導入前から増勢を強めていたが、導入後には伸び率をさらに拡大している。同政策による貸出金利の低下が一定程度寄与していると考えられる。
このように、イールドカーブ・コントロールによって円安や貸出の増加が一定程度促されたとみられ、そのことが日本経済にとってプラスに働いたと考えられる。
ただし、同政策の最終的な目標である物価に対するプラスの影響は未だ確認できない。消費者物価上昇率はイールドカーブ・コントロール導入後も低迷を続けており、直近7月時点でも生鮮食品を除くベースで前年比0.5%、海外要因であるエネルギーを除くベースでは0.1%に留まっている。
物価の低迷を受けて、日銀はイールドカーブ・コントロール導入後も2度にわたって物価目標達成時期の先送りを行っている。物価への影響は現状かなり限定的で、日銀の目論見通りには運んでいない。
◆副作用は水面下で蓄積中
最後に、イールドカーブ・コントロールの副作用について確認しておくと、同政策を続けることによって、様々な副作用が水面下で蓄積していると考えられる。
まず、市場金利の動きが抑制されたことで、債券市場参加者は収益機会を失い、債券売買が縮小、市場機能が低下している。今後、有事の際や出口局面において金利が大きく変動するリスクが燻っている。
また、金利が超低位に抑えられていることが財政規律の緩みに繋がっている面もある。政府は未だに「2020年度のプライマリーバランス黒字化」の旗を降ろしていないが、財政健全化に向けた取組みは乏しい。本来、市場金利には財政リスクを反映することで財政悪化に警鐘を鳴らす役割があったが、現在はその機能が完全に停止している。
さらに、超低金利継続に伴う金融システムへの悪影響も懸念される。銀行の収益は貸出金利の低下によって圧迫されており、昨年度も減益決算となった。銀行などの金融機関は基本的にストック型ビジネスであるため、超低金利が長引けば、過去の比較的高金利の資産が超低金利の資産に置き換わることで収益が圧迫される。現時点では、全体として大きな問題はないとみられるが、イールドカーブ・コントロールが長期化すれば、金融システムに悪影響が出てくるリスクが高まる可能性がある。
そして、イールドカーブ・コントロールを続けることで金融緩和の出口におけるハードルが上がっていることにも留意しておく必要がある。イールドカーブ・コントロールでは、金利を抑制するために大量の国債買入れを続ける必要がある。主要国中銀の資産規模(の対GDP比)を見ると明らかなように、日銀の緩和規模は既に突出しているが、日銀が資産を拡大するほど、出口局面での日銀の財務内容悪化や金融市場の動揺といったリスクも高まることになる。
物価目標達成までかなりの距離が残っている以上、日銀は今後も長期にわたってイールドカーブ・コントロールを続けると見込まれるが、効果が中途半端な反面、副作用は着実に蓄積されているとみられるだけに、これまで以上に十分な途中検証が必要になる。
日銀金融政策(8月)
◆(日銀)現状維持(開催なし)
8月はもともと金融政策決定会合が予定されていない月であったため、必然的に金融政策は現状維持となった。次回会合は9月20~21日に予定されている。
次回会合では新たに審議委員に任命された鈴木氏と片岡氏が議論に加わることになる。これまで現行金融緩和に否定的な見解を示してきた木内氏と佐藤氏が退任し、日銀内での活発な議論が損なわれていないか、決定会合後の公表文書(主な意見・議事要旨など)の内容が注目される。
今後の金融政策に関しては、2%の物価目標達成が依然として見通せない状況が続くため、日銀は「モメンタムは維持されている」という主張を繰り返すことで長期にわたって現行金融政策の維持を続けるとみられる。その際、長期金利目標も長期にわたって現状の「ゼロ%程度」で維持されるだろう。なお、年間約80兆円増としている長期国債買入れペース目処については、少なくとも黒田総裁の任期中(2018年4月まで)は存置されると見ている。80兆円の目処も今後ますます形骸化していくだろう。
金融市場(8月)の動きと当面の予想
◆10年国債利回り
8月の動き
月初0.0%台後半でスタートし、月末は0.0%台前半に。
月の上旬は0.0%台後半での推移が続いたが、米朝関係緊迫化に伴う地政学リスクの高まりを受けてリスク回避姿勢が強まり、11日に0.0%台半ばへ低下。その後も、日銀オペで需要が確認されたことや米政権の先行き不透明感が強まったことなどを受けて低下基調が続いた。さらに北朝鮮が弾道ミサイルを発射した30日には0.0%付近にまで低下。月末はリスク回避姿勢がやや緩和し、0.0%台前半で終了した。
当面の予想
米金利の低下を受けて、足元では小幅ながらマイナス圏に突入している。来週開催されるECB理事会ではテーパリングの議論が開始される可能性が高く、欧州金利の上昇を受けて本邦金利も一旦やや持ち直す可能性がある。一方、米政務上限問題と来年度予算成立の期限が月末頃に控えるが、米政治の混迷から一筋縄には行かないとみられ、月終盤には投資家の警戒感が高まることで質への逃避によって金利が押し下げられそうだ。また、北朝鮮情勢への警戒も金利抑制・低下要因として燻り続けるとみられ、月末もマイナス圏で低迷する可能性がある。
◆ドル円レート
8月の動き
月初110円台前半でスタートし、月末は110円台半ばに。
月初110円台での推移が続いた後、北朝鮮情勢の緊迫化を受けたリスク回避的な円買いにより、9日には110円を割り込む。さらに米物価指標の予想割れにより、14日には109円台前半まで下落した。その後15日には北朝鮮情勢の緊張緩和により110円台を一旦回復したが、人種差別問題を巡るトランプ大統領発言やスペインでのテロ発生を受けて18日には再び109円台に。以降、109円台での一進一退が続いたが、29日には北朝鮮の弾道ミサイル発射によりリスク回避姿勢が強まり、108円台後半に。月末は北朝鮮情勢への警戒が緩和したうえ、米経済指標の改善もあり、110円台半ばへ上昇した。
当面の予想
昨日の米物価指標低迷を受けて、足元は110円台前半で推移。目先は本日夜の米雇用統計の内容(特に平均時給)次第だが、北朝鮮情勢に加え、米債務上限問題、来年度予算期限切れへの警戒から、当面ドルの上値が重い展開が予想される。米財政への警戒が最も高まる月末にはドル安圧力が一層強まり、再び109円を割り込むと見ている。今月20日のFOMCでFRBは資産縮小開始を決定すると予想しているが、市場ではほぼ織り込み済み、かつその影響は限定的と見なされており、ドル高材料にはなりにくい。
◆ユーロドルレート
8月の動き
月初1.18ドル台前半からスタートし、月末は1.18ドル台後半に。
月初、1.18ドル台前半でスタートした後、米経済指標の下振れなどから2日に1.18ドル台後半に。その後、良好な米雇用統計を受けて1.18ドルに下落した。さらに、北朝鮮情勢の緊迫化を受けて持ち高調整のユーロ売りが入り、9日には1.17台前半に下落。以降もECB議事要旨でさらなるユーロ高への警戒が明らかになったことなどもあり、1.17ドルから1.18ドル台前半での上値の重い展開が継続した。月下旬にはジャクソンホール会合でドラギ総裁がユーロ高けん制を行わなかったことでユーロ買いが進み、一時1.20ドルを突破したが、利益確定のユーロ売りが入り、月末は1.18ドル台後半で終了した。
当面の予想
足元も1.18ドル台後半で推移。ドル円同様、目先は本日夜の米雇用統計次第だが、来週開催されるECB理事会ではテーパリングの議論が開始される可能性が高く、ユーロの支援材料になる。さらに月終盤には米財政への警戒が高まることでドル安圧力が強まりそうだ。ただし、ユーロはこれまで急ピッチで上昇してきただけに利益確定売りが入りやすいうえ、前回のECB議事要旨でさらなるユーロ高への警戒感が示されたこともあり、ユーロが急騰する可能性は低いとみている。
(お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。
上野剛志(うえの つよし)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部
シニアエコノミスト
【関連記事 ニッセイ基礎研究所より】
・
日銀は物価目標の位置付けを再考すべき~金融市場の動き(7月号)
・
日銀、「6度目の正直」も困難か~金融市場の動き(5月号)
・
相場の転換点はいつか?~マーケット・カルテ9月号
・
膠着の今、ドル円レートを再点検~金融市場の動き(4月号)
・
2017年はどんな年? 金融市場のテーマと展望~金融市場の動き(12月号)