周囲から財務省の弟分としか見られていなかった金融庁が、静かだが確実に変貌を遂げでいる。1998(平成10)年、総理府の外局として産声をあげた金融監督庁は、2000(平成12)年に金融庁と改組。発足と同時に、大蔵省が所管していた金融制度の政策立案事務を金融庁が引き継いだ。
翌年、中央省庁再編で大蔵省は財務省と名前を変えるが、国家の予算を司る財務省は依然として霞が関全体に睨みをきかせるドンであり、金融庁は格下としか思われていなかった。
『
ドキュメント 金融庁vs.地銀 生き残る銀行はどこか
』
著者:読売新聞東京本社社会部
出版社:光文社新書
発売日:2017年5月17日
力を増してきた金融庁
財務省と金融庁の関係が大きく変わり始めたターニングポイントは、2012(平成24)年の第2次安倍内閣の発足からだ。財政規律よりも経済成長を重視した安倍内閣は、発足当時から「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」という“アベノミクス”3本の矢を掲げた。時流を得た金融庁は、アベノミクスを援護射撃する実働部隊としての趣を強くした。
それでも国家予算を握る財務省と比較すると、金融庁の存在感は決して大きくない。2017年度の予算は、わずか244億円。一般会計予算が97兆円超だから、0.02%程度しかない。しかも、その多くは人件費に回されるため、ほかの省庁のように補助金を出すこともなく、公共事業を手掛けることもない。
そんな小さな省庁のように思える金融庁は、別の物差しを使うとまったく違った顔が浮かび上がる。全国の銀行融資の残高は約480兆円。東証1部上場企業の株式時価総額は約560兆円。個人の生命保険保有高は約860兆円。これら膨大な数字は、金融庁の思惑で左右する。
それらの巨額な資金を背景に、金融庁は力を増してきた。そして、強い金融庁の立役者となったのが、2015(平成27)年に金融庁長官のトップに就任した森信親長官だ。
金融庁長官は2年で交代するのが通例になっているが、安倍晋三総理大臣や菅義偉官房長官をはじめ官邸・自民党などから信任厚い森長官は異例の任期3年目に突入した。森長官は自民党税調に乗り込み、財務省が難色を示すNISAや積立NISAの制度導入を実現させた立役者。いわば、金融庁が掲げる「貯蓄から資産形成へ」という方針の体現者でもある。
その森長官は、講演などを積極的にこなすことでも知られるが、そうした公の場でも銀行をはじめとする金融機関を批判する。そうした部分でも、これまでの長官とは異なる。これが、金融機関からは恐れられるゆえんでもある。
金融の新たな局面を考える上での参考に
本書は、タイトルが『金融庁VS地銀』となっていることもあり、森金融庁と全国の地銀が対立構造にあるかのような先入観を抱かせるが、決してそうした内容に終始していない。もちろん、森長官が取り組む改革には、地銀にとって厳しいものが多い。
マイナス金利によって、地銀は融資で利益を得ることが難しくなった。そのため、銀行は保険や投信などの販売手数料で稼ぐという新しいビジネスモデルを模索している。
森長官は、これを問題視。銀行は自分たちにとって売りやすい(=販売手数料を稼ぎやすい)商品を売っていると映っているのだ。
銀行が売りやすい商品を売る。これでは、ユーザーにとって不利な商品が増えてしまう。それでは、いつまで経っても健全な資産形成の機運を醸成することはできない。森長官が銀行にメスを入れるのは、そうした理由がある。
海外にも打って出られるメガバンクはともかく、地域で営業を続けてきた地銀にとって、こうした稼ぎ口を閉ざされることは死活問題と言っていい。地方は少子高齢化や過疎化、後継者不足といった難題を抱えており、それは経済にも重くのしかかる。本来の業務である融資をしたくても、地銀には有望な貸出先がないのだ。
そうした地銀の窮状は、大阪や名古屋、福岡、札幌といった都市部にも及び始めている。生き残るために地銀の再編が活発化しているが、他方でこれまでとは違った戦略で生き残りを模索する地銀も本書では紹介されている。
今般、フィンテックをはじめとする銀行を介さない融資も存在感を大きくしている。また、銀行融資ではなくクラウドファウンディングなどで寄付を募り、それを資金にして起業を目指す若者たちもいる。
こうした社会の変革が地銀を追い込む。次世代の地銀はどうなるのか? 本書は地銀を通じて、金融の未来図を示そうとする。だが、それは決して地銀だけの話ではない。早晩、メガバンクなども直面することになるだろう。そうした金融の新たな局面を考える上で、参考になる一冊だ。
小川裕夫(おがわ ひろお)
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フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者などを経てフリーランスに。2009年には、これまで内閣記者会にしか門戸が開かれていなかった総理大臣官邸で開催される内閣総理大臣会見に、史上初のフリーランスカメラマンとして出席。主に総務省・東京都・旧内務省・旧鉄道省が所管する分野を取材・執筆。