タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)が世界各国の大学におけるAI(人工知能)研究の発展度を評価した結果、日本は論文発表数では世界3位であることなどが分かった。
しかし日本のAI研究・開発環境は多くの国に比べて大きく出遅れており、優秀な研究者の育成が今後の成長のカギをにぎっているものと思われる。
また発表数では首位の中国の引用スコアが34位など、「調査の質と量はかならずしも比例しない」点も指摘されている。
ランキングはTHEが世界最大規模の抄録・引用文献データベース、Scopusのデータに基づき、2011〜2015年にかけて発表された4.1万件の研究論文を分析したもの。
AI関連の論文を発表した大学が最も多い10カ国
まずは発表している論文の数から見てみよう。中国は3位以下の国の3倍以上に匹敵する、3.7万件を超えるAI関連の論文を発表している。米国は2.5万件強、日本は1.2万件強だ。
10位 イタリア
9位 韓国
8位 フランス
7位 スペイン
6位 インド
5位 ドイツ
4位 英国
3位 日本
2位 米国
1位 中国
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論文からの引用の影響力が最も大きい10カ国・地域
しかし「研究の量」と「研究の質」には、かなりの差が見られるようだ。論文から抽出した被引用回数に基づいた「引用影響力スコア」では、ラインクインした国・地域や順位が大きく入れ替わる。
トップ3はいずれも論文数が2500件にも満たない、スイス、シンガポール、香港が占めている。中国はここでは34位となった。
10位 英国 1.63
9位 ベルギー 1.64
8位 ドイツ 1.66
7位 オーストラリア 1.69
6位 オランダ 1.71
5位 イタリア 1.74
4位 米国 1.79
3位 香港 2.00
2位 シンガポール 2.24
1位 スイス 2.71
AI研究力が高い大学10校
さらに大学自体のAI研究力を比べてみると、首位のマサチューセッツ工科大学、2位のカーネギーメロン大学、5位の南カリフォルニア大学と、米国勢が目立つ。
アジア圏では3位に南洋理工大学が、9位にシンガポール国立大学がランクインしたシンガポール。香港からは8位に香港理工大学、10位に香港中文大学と、主力が集中化している印象を受ける。
7位の中国科学院大学は、500件以上の論文を発表している唯一の中国の研究機関である。日本経済新聞と学術出版大手エルゼビアによるAI論文動向調査 でも、シンガポールの南洋理工大学に次いで3位となった。
10位 香港中文大学(香港) 2.09
9位 シンガポール国立大学(シンガポール) 2.14
8位 香港理工大学(香港) 2.20
7位 中国科学院大学(中国) 2.26
6位 ミュンヘン工科大学(ドイツ) 2.27
5位 南カリフォルニア大学(米国) 2.35
4位 グラナダ大学(スペイン) 2.46
3位 南洋理工大学(シンガポール) 2.51
2位 カーネギーメロン大学(米国) 2.53
1位 マサチューセッツ工科大学(米国) 3.57
MIT など、AI分野でトップを独走する米国の大学
1位のマサチューセッツ工科大学(MIT)は1950年代という早い時期から、AIおよびロボット工学分野の研究に乗りだしていたことでも有名だ。いわばAIの老舗大学である。
2003年にMIT人工知能研究所とMITコンピュータ科学研究所を合併させ、コンピューター科学・人工知能研究所「MIT CSAIL」 を設立して以来、より高度で専門的な研究に取り組んでいる。
施設内ではAIのほか、ロボット工学から言語学習、計算理論、計算生物学まで、研究分野は幅広い。データベースやコンピューター・アーキテクチャー、分散システム、ソフトウェア工学、プログラミング方法論など、システム分野も手掛けている。
カーネギーメロン大学(CMU)は昨年、ついに人間を打ち負かすまでに進化したAIシステム「リブレイタス」の開発で話題を呼んだ。コンピューター科学科のツォーマス・サンドホルム教授と、博士課程学生のノアム・ブラウン氏が共同開発した。
また脳をリバース・エンジニアリングし、そのアルゴリズムをコンピュータに応用するプロジェクト「MICrONS」 を通し、研究資金を調達している 。MICrONSは米国政府が推進する脳研究プロジェクト「ブレイン・イニシアティブ」の一環で、IARPA(米国防高等研究計画局による情報先端研究プロジェクト活動)が1億ドルの予算を投じて進めているものだ。
トップを狙うシンガポールや香港
これまでAI分野の発展で独走してきた米国を追い上げるのは、シンガポールや香港だ。南洋理工大学やシンガポール国立大学(NUS)は政府の強力な支援を受けている点が、今後の発展の最大の強みとなるだろう。
ITを屈指したスマート国家への移行を目指す同国の政府は今年、AIおよびデータ科学への投資強化に向け、2つのイニシアティブを立ち上げた。
そのうち一つは国家研究基金(NRF)と政府機関の提携による国家プログラム「AI.SG」 の一環で、NUSで研究技術を担当するホー・テック・フア副学長が指揮している。NRFは今後5年間にわたり、このプロジェクトに最大1.5億シンガポールドルを投じる。
香港からは香港理工大学と香港中文大学がランクイン。昨年に引き続き、今年7月にはAmazonやMicrosoft、IBM、Googleを含む多数の国際IT企業をスポンサーに、「AIサミット」を開催するなど、ビジネスを主体とするAI活性化が目立つ。
香港中文大学にはコンピュータービジョンの権威で、深層学習の第一人者と名高い、シャオウ・タン教授 も在籍している。またタン教授のマルチメディア研究室を母体に2014年に設立されたAIユニコーン、センスタイムの企業価値は、今年に入り1億ドルを突破。深層学習画像認識技術を中心に、セキュリティーからマーケティングの領域へと活躍の幅を広げている。
中国に秘められたAI発展の可能性に期待?
最多論文数にも関わらず、引用数や研究能力では出遅れていると評された中国はどうなのだろう。
「世界一のAI先進国」の野望に燃える中国政府は自国を世界一のAI先進国に押し上げるため、2030年までに1500億ドル市場に成長させる計画を明らかにしている(フィナンシャル・タイムズ紙 より)。
産業政策がかならずしも結果に反映するとは言いがたいものの、中国に秘められたAI発展の可能性はおおむねポジティブにとらえられている。
MicrosoftやGoogleのリサーチ部門でキャリアを積んだ後、北京でベンチャーキャピタル、シノベーション・ベンチャーズを立ち上げたカイ・フー・リー氏は、2030年よりも早い時期に中国AI産業が発展すると予測。
才能、人材、データの宝庫である事実に加え、オンライン利用者は米国の2倍、7.3億人に達している。モバイルデバイス市場も他国の市場に類を見ない成長ぶりだ。
また中国という特殊な市場に敏感に対応する上で、自国の消費者動向を把握した研究機関の存在は今後ますます拡大するものと思われる。
現時点では「質より量」の傾向が強い研究成果が、こうした需要の高まりとともに洗練された質の高いものへと移行していく可能性は十分に考えられる。
他国に大きく出会遅れた日本 国際舞台での勝負に期待
論文発表数で世界3位となった日本だが、残念ながら評価に対する詳細などは記載されていない。現状はどのようなものなのだろう。
革新知能統合研究センターの所長を務める東京大学の杉山将教授 は、「日本のAI研究が他国に遅れをとっている」と評価している。
15年前からAI研究を進めていた米国を筆頭に、欧米諸国ではAIがすでに産業の一部となっている。しかし日本はようやくそのスタート地点についたばかりだという。
昨年末にスペインで開催された機械学習の国際会議に、他国からはGoogleやAmazon、Facebook、国際大手や研究機関が多数参加したにも関わらず、「日本からは一握りが参加しただけ」とその差を指摘している。
そもそも「国際レベルで通用するAI研究者が日本には50人程度しかいない」と、中々手きびしい。専門家から見た客観的で率直な意見といったところだろうか。
日本のAI発展は人材育成環境の整備がカギ?
杉山教授は日本のAI投資への消極性が、こうした落差の原因の一つとなっていると見ている。例えば米国では一企業が年間数億円を投じてさらなる発展を試みているのに対し、日本の新センターの新年度予算案は約30億円。ますます差が広がるのも無理はない。
また日本の研究者のAI開発に取り組むスタンスも、遅れをとった原因だという。鉄腕アトム(手塚治虫のSF漫画作品)のような人型ロボットのイメージが定着した日本では、研究者にもそうした固定観念が強かった。そのため2006年に深層学習の論文が発表された際も、ハード面に組み込むという研究路線に走ってしまい、数学的要素の強い新たなアルゴリズムに興味を示さなかったそうだ。
なまじ若い研究者が機械学習を学んでも、国内の研究機関で適切なポジションを探すのは困難を極めた。多くの学生は修士課程を取得した後、研究を続けるよりも就職を選ばざるを得なかった。つまりAI開発・研究を発展させるための、人材育成環境が整っていなかったわけだ。
一方米国などAI発展国ではGoogleなどの大手企業が若い研究者の育成に投資し、さらなる発展を遂げている。
革新知能統合研究センターは日本のAI研究の遅れを取り戻すべく、昨年設立された。杉山教授は日本の現状を正確に把握し、少数ながらも優れた理論研究者を支援することで、「世界の土俵で勝負する意気ごみだ(読売オンラインより)。
カナダの大学教授はAIブームに警鐘
このようにテクノロジーが急速な進化を遂げている近年、企業だけではなく大学の研究機関でも、特にAI分野に関する調査や実験が著しく活発化している。ITの発展に向けた研究・開発環境を整え、高水準な人材を育成・確保するという戦略は、世界共通の傾向といえるだろう。
カナダのウォータールー大学システム・エンジニア設計科のアレキサンダー・ワン教授は、「自動運転車の開発競争が欧米や中国でのAI研究・開発を加熱させている」という。同校は国内で初めて政府から自動運転車の路上テストの許可を取得した。THEの「引用影響力スコア」では11位だ。
ワン教授は長年にわたり低迷していたAI研究が急速に加速し始めた現在、「大学の研究機関の存在がさらに重視されている」と指摘している。
しかしその一方で、AI分野への取り組みがある種のブームと似た盛りあがりを見せている点に対し、警告を発している。(アレン・琴子、英国在住フリーランスライター)