不正会計問題に端を発した東芝の経営危機。富士フイルムHDでも不正会計問題が経営に大きな影響を与えている。過去にも、カネボウやオリンパス、ライブドアといった粉飾決算による経済界を揺るがす事件はたびたび起きている。これらの不正は、損益決算書や賃貸対照表などの数字を操作したことで発生した。
経営陣は、自社の経営状態をよく見せようとする心理が働く。ゆえに、粉飾決算に手を染める。最近では、粉飾決算という言葉に「負」のイメージがつきすぎてしまったためか、東芝の一件以降は、企業側もそして報道するマスコミ側も「不正会計」という言葉を使うようになった。不正会計と表面上は言葉が変わっても、それが意味するところは同じだ。
経済界を揺るがした事件は、その一方で会計学という学問の存在意義を脅かした。会計学や会計士は第三者的に、その会社の経営状態を点検することが求められている。つまり、不正会計は会計学や会計士の大前提を崩壊させたことでもある。会計学や会計士が信用を失えば、それは経済全体を混乱させ、ひいては国家を衰退させることにもつながるだろう。
『会計学の誕生――複式簿記が変えた世界 』
著者:渡邉泉
出版社:岩波新書
発売日:2017年11月22日
信用取引のため生まれた複式簿記
会計学の源流をたどると、最初に行きつくのは中世ヨーロッパの商人たちだ。それまでの商取引が現金決済であったのに対して、中世ヨーロッパでは次第に売掛・買掛といった信用取引の比重が大きくなっていった。
信用取引ならば、実際に自分が持っている現金の数倍のカネやモノを動かすことができる。いわば、信用取引が世間に浸透していくことで、経済も同時に発展した。しかし、信用取引と言っても、相手の信用のみを担保にしてカネやモノを貸し借りしているわけではない。
貸し借りしたカネやモノは、きちんと文書として記録に残す必要がある。こうして、簿記が誕生した。誕生当初の簿記は、現在のように複雑なものではなかったが、時代とともに社会や経済は変化し、簿記も同様に発展を遂げていった。
それまでのビジネスは親戚や近隣住民、知人から金を出資してもらい起業するのが一般的だったが、そのうち組合という組織になり、それが株式会社へと発展する。株式会社は、不特定多数から広く資金を集める仕組みだ。
不特定多数の出資者から資金を集めることにより、より多額の資金を企業活動に注ぎ込めるようになった。資金が膨大であることは、企業活動にとって有利に働くが、一方でカネを集めた経営者は株主に経営状態を説明する責任を負う。経営者が経営状態を説明しても、出資者がその説明を即座に判断することは難しい。そこで生まれたのが、会社の経営状態を第3者的な立場から見る会計士だった。
会計士が適正に会社経営を点検し、それが会社の信用を得る。会計士の誕生は、いわば企業活動の活発化を促進し、社会全体が経済発展を遂げるための潤滑油でもあった。不正会計は、経済発展に大きく貢献した会計学と会計士が積み上げてきた歴史を踏みにじる行為でもある。
必須のビジネススキルへとなりつつある会計学
不正会計が世をにぎわしたことで、会計学に注目が集まったことはチャンスでもある。専門的ではないにしろ、最近では『週刊ダイヤモンド』や『週刊東洋経済』といった経済誌でも決算書の読み方などを特集する号が発売され、売れ行きは好調だという。800年の歳月を経て深化した会計学は、必須のビジネススキルへとなりつつあるのだ。
一昔前なら、ほとんどの人は会社の経営状態がどうなっているのか?などという疑問を抱くことはなかった。会社の経営状態に注目が集まるようになった背景には、日本経済が必ずしも右肩上がりではなくなり倒産してしまう企業が出てきたことが一因としてある。
実際に勤めるにしても、経営が危なそうな企業は誰だって避けたい。個人投資家だったら、投資先を選ぶ指針として決算書・財務諸表を参考にするだろう。自己防衛・資産防衛というような意味合いから、会計学への関心が高まった。
金融庁の森信親長官は、就任後から「貯蓄から資産形成へ」を掲げており、NISAをはじめジュニアNISA、つみたてNISAといった投資を後押しする制度を次々と打ち出している。政府・金融庁の後押しもあり、環境は整ってきた。肝心の国民の意識は追いついていない。
それは、会計学も同様だ。会社の経営状態を記録する会計学は、社会に連動して深化を遂げてきた。19世紀に入ってから減価償却という概念が生まれ、それらは今や当たり前に扱われている。
誕生時にはPLと呼ばれる損益計算書だけが作成されていた。それが、BSと呼ばれる貸借対照表も合わせて作成されるようになった。そして、現在ではCSと呼ばれるキャッシュフロー計算書も一般的になっている。
日本において、国内外を問わず子会社や関連会社のある企業にCFの作成が義務付けられたのは2000年。だから、CFはまだ新しい考え方と言える。経済の動きが著しい昨今、会計学も激動の渦に飲み込まれている。最近では、決算書や財務諸表に、"未来予測"の役割も付け加えられようとしている。
あくまでの過去の記録情報でしかない会計学よりも、企業に出資する投資家たちは先行き見通しという未来の情報を欲するようになった。過去の取引を記録することから生まれた会計学が、未来の情報提供はできない。経済学と会計学は、ここが厳密に異なる。
著者は「経済学は経済学で重要」と前置きした上で、資本提供者(株主)に対して経営者が説明責任を果たすための客観的な事実を示すツールが会計であり、淡い期待を抱かせるものではないと論じる。
だから会計学が企業側の経営状態をよく見せようという意図に加担してはならない。信頼される損益計算という原点回帰が求められていると、著者は訴えかける。
小川裕夫(おがわ ひろお)
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者などを経てフリーランスに。2009年には、これまで内閣記者会にしか門戸が開かれていなかった総理大臣官邸で開催される内閣総理大臣会見に、史上初のフリーランスカメラマンとして出席。主に総務省・東京都・旧内務省・旧鉄道省が所管する分野を取材・執筆。