コミュニティー・キャピタル論
著者:西口敏宏、辻田素子
出版社:光文社新書
発売日:2017/12/14

日本の経済界において、三井・三菱・住友は三大財閥に数えられる。戦後、GHQは経済民主化に取り組むべく、財閥を解体。現在、「財閥」というかつてのような企業グループは明確に存在しないが、それに近い企業群は今も残り、力を発揮している。

三井・住友が江戸時代に勃興したのに対し、三菱は明治以降に台頭してきた新興勢力。三井や住友もそれなりに強大な力を誇るが、新興・三菱グループの力は抜きん出ている。

三菱が急速に力を増してきた背景には、国家と強固な紐帯関係にあったことが挙げられる。海運業を手始めに造船業・鉱業・鉄道・貿易に進出し、三菱は政府との関係を密にしてきた。

そもそも三菱を創業した岩崎弥太郎も人的ネットワークにより、三菱を巨大な企業群へと成長させた。岩崎は、同じ土佐藩出身の後藤象二郎と懇意にしていた。

明治新政府は倒幕に功績の大きかった薩長土肥出身者を重用したが、政府中枢のポジションを得られたのは薩摩と長洲に限られていた。土佐と肥前は薩長ほど重要なポストを占めることはできなかった。

薩長に比べて冷遇された土佐藩だったが、政府中枢にいた数少ない一人が後藤だった。同じ土佐藩出身ということもあり、後藤は政府の機密情報を岩崎に流し、岩崎はいち早く察知することでビジネスを成功させた。いわば、後藤と岩崎は、同じ土佐藩出身という同郷のよしみでビジネスパートナーとしての関係を築いていた。

政府中枢に食い込むことで、三菱は官業を一手に引き受ける巨大企業へと急成長した。大正に入ると三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)が、昭和に入ると三菱重工業が設立された。九十九商会を源流とする三菱商事が加わり、ここに現在の経済界をも左右する三菱御三家の原型が誕生する。「三菱は国家なり」などと言われるようになるのも、このあたりからだ。

GHQによって解体された旧三菱財閥だが、「組織の三菱」とも形容されるように、グループ全体のまとまりは強固な関係にある。 戦後、三菱グループは三菱を冠しない企業もたくさん生まれた。それでも三菱グループの社員は、グループの商品を優先して購入する"BuyMitsubishi"主義を貫く。家電製品は三菱電機製、保険は東京海上火災、ビールはキリン、カメラはニコンといった具合だ。まさに、"BuyMitsubishi"は三菱の連帯感を現したものと言える。

本書では、「成員と非成員を区別する明確なコミュニティー」に着目し、成員間でのみ利用される関係資本を"コミュニティー・キャピタル"と定義。その重要性を訴える。本書で取り上げるコミュニティー・キャピタルは、近江商人・温州人ネットワーク・トヨタとサプライチェーンの3つだ。

時代も国も大きく異なる中で、出身や同じ釜の飯を食う仲間といった共通した部分を拠り所にしてそれらはビジネスを補完し、発展させてきた。近江商人も温州人ネットワークも、そしてトヨタとサプライチェーンの関係も外敵や不慮のアクシデントたびたび直面した。

それでも、コミュニティー・キャピタルの力でそれらを乗り越えてきた。本書には登場しないが、三菱グループもコミュニティー・キャピタルの最たるものだろう。そして、少しだけ触れられている慶應義塾出身者が組織する「三田会」もコミュニティー・キャピタルとして実業界では隠然たる力を有する。

不変ではないコミュニティー・キャピタル

しかし、コミュニティー・キャピタルの成立要因は、時代とともに変化する。江戸時代までの商人間では、近江出身ということがステイタスだった。幕末期には、それが薩摩藩・長州藩出身に替わった。

そうした血縁や同郷縁をベースにした排外的な信頼関係には、どうしても時代的な環境に大きく左右される。ビジネスの永続的な発展を望むには限界がある。

なぜなら、近江商人も温州人ネットワークもトヨタおよびサプライチェーンも、個人や一企業に傑出した能力が備わっているとは限らない。さらに、時代の趨勢とともに求められる能力も変化する。閉鎖的なコミュニティーに固執・依存することあまり、時代の変化に即応する力は弱まるのだ。

気心知れた仲間によるコミュニティー・キャピタルは、ビジネスが国際化すればするほど、大規模化すればするほどコネで回すことは難しくなる。一定の規模を超えると、コミュニティーを形成してきた成員間のメンバーシップも薄らぎ、新たな紐帯が求められる。それを誤れば、三菱だろうとトヨタだろうと消滅する。

いつの時代もビジネスは激動に晒されているが、時代の変化に合わせて、その紐帯をうまく再構築する能力を持つ企業こそが長きにわたって繁栄する。

本書では、コミュニティー・キャピタルの重要性を説いているが、コミュニティー・キャピタルは不変ではない。そのことも念頭に入れておく必要があるだろう。

小川裕夫(おがわ ひろお)
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者などを経てフリーランスに。2009年には、これまで内閣記者会にしか門戸が開かれていなかった総理大臣官邸で開催される内閣総理大臣会見に、史上初のフリーランスカメラマンとして出席。主に総務省・東京都・旧内務省・旧鉄道省が所管する分野を取材・執筆。