2018年は、明治維新から150年という節目の年だ。世界有数の長寿企業国である日本では、2018年に創業100周年を迎える企業はなんと1,760社にのぼる。現代の経営に通じる気づきを与える百年企業の歩みを見ていこう。

百年企業の内訳

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(写真=dnd_project/Shutterstock.com)

東京商工リサーチの調べによると、今年100周年を迎える企業は1,760社である。業種別に見ていくと、最多は製造業の538社(全体の約30.6%)だった。ついで、卸売業の357社(約20.3%)、小売業304社(約17.3%)、建設業215社(約12.2%)となる。地域別では、関東が523社(約29.7%)でトップ、ついで近畿が375社(約21.3%)だった。

1918年はどんな時代だった?

1918年(大正7年)の欧州は、第1次世界大戦のさなかである。1914年(大正3年)のドイツ軍によるベルギー・フランス侵攻を皮切りに、ヨーロッパ中へ戦火が広がっていた。遠く欧州の戦争は、日本にも影響を及ぼした。英国の同盟国として日本も艦隊を派遣。1914年(大正3年)のアメリカ西海岸地域への派遣についで、1917年(大正6年)にはインド洋から地中海にも艦隊を出動させている。

戦争の影は、暗いだけではなく明るい面もあった。日本は、戦場から遠く離れた工業国として、特需景気にわくこととなったのである。輸出拡大の波によって貿易黒字が拡大し、債務国から債権国へと転換。財閥は莫大な利益を得た。工業化への転換で、農村部から多くの労働者が都市部へと働きに出るようになり、給与所得者になったのだ。ただ、好景気の中でインフレ率が急上昇し、こうした給与生活者を苦しめることになる。貧富の差が拡大することで、米騒動などの社会現象も起きた。

「これからは電気の時代」、1918年に起業した松下幸之助

1918年に起業した人物の代表格は、パナソニックの創業者である松下幸之助だ。少年時代からの丁稚奉公を経て、約6年間勤務した大阪電灯会社(現関西電力)を1917年に退職した松下は、1918年に松下電気器具製作所(1935年に松下電器産業に改称)を創設した。

当時、工場の動力は蒸気機関が主流だったが、松下は「これからは電気の時代が来る」と先を読んでいたのだ。特に戦争で欧州からの輸入が途絶えるようになり、電機部品の国産化が急がれていた。松下の予想は当たり、第1次世界大戦が終わるころには、工場用動力の多くが電気に置き換わったのだ。そして、街中でも人々の家や街頭に電灯がともるようになった。電車が走り電信電話線が張り巡らされるようになっていたのである。

松下は一代でパナソニックを築き上げた一方で、PHP研究所や松下政経塾を設立して後進の育成にも注力。パナソニックは、総合電機メーカーとして日本を代表する企業となり、松下は「経営の神様」と称されるようになったのはよく知られている。また、2018年に100周年を迎える企業はパナソニック以外にも、帝人やトヨタ紡織、りそな銀行、シチズン時計など、各産業分野で日本を代表する顔ぶれが並ぶ。

石川県で創業1300年を迎える旅館も

2018年に何らかの周年を迎える企業は、全国で13万9,359社である。最古は、創業1,300周年を迎える石川県の旅館「法師」を経営する善吾楼だろう。創業した718年(養老2年)といえば奈良時代だ。同館は、粟津温泉の開湯と時を同じくして、白山開祖の泰澄法師の命によって開業した。花山天皇や小堀遠州、蓮如上人といった歴史上の人物ともゆかりのある名湯だ。

代々の当主は「善五郎」の名を継ぎ、2018年現在は46代目となっている。このほか、創業700周年は群馬県の産業機械販売・小保方鋼機。創業300周年は静岡県の酒類販売業・山中兵右衞門商店などの8社だ。創業200周年は岡山県で燃料や建材販売を手掛ける服部興業など50社となっている。

百年企業の歩み、現代経営においても参考にすべき

100年前と現代では、ビジネスを取り巻く状況が異なるのは当然だ。しかし、急速な技術の発展によるビジネス環境の変化や、グローバル世界での政治状況、人々の暮らしに対する不安感など、共通項も多い。100年にわたって伝統と事業を守り続けてきた百年企業の歩みは、現代経営においても参考にすべき点は多いだろう。(提供:百計オンライン


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