日本社会では1980年代に「新人類」という言葉が表れて以降、バブル世代、ロスジェネ世代、ゆとり世代、さとり世代などと一定の年代をくくり、表現するようになった。
中国では80后(1980年代生まれ)という言葉がその嚆矢(こうし)である。大きな世代間ギャップを感じさせる存在として登場し、日本の新人類という語感と大差ない。その後矢継ぎ早に、90后、95后、00后という表現が登場する。
日本と同じようにみえるが、内容は異なっている。日本では若い世代対する戸惑いは薄れ、時代を表すコピーのようになった。しかし中国では、若い世代に対する戸惑いは、深まるばかりだ。
その結果、若い世代の分析は、一層盛んとなっている。今回、ニュースサイト「今日頭条」が00后(2000年代生まれ)の分析を掲載した。彼らはどのような存在なのだろうか。
00后は“独二代”
2018年は00后が成人となる元年である。陸続と社会に登場する00后たちは、中国社会に何をもたらすのだろうか。IT大手、騰訊(テンセント)が「騰訊00后研究報告」を発表した。
それによると00后とはこの時代の中国にしかない特性を持つ。それは“独二代”であることだ。両親が一人っ子、当人も一人っ子という意味である。
中国人都市家庭の子女数は次のように推移している。
1965年 5.94人
1971年 2.88人
1981年 1.55人
2000年 0.94人
完全に一人っ子となったのは正に2000年からであった。両親世代は一人っ子とはいえ、少なからぬ舅姑や、叔父叔母があり、一族は健在だった。00后たちはそうした基盤が薄い。両親は共働きである。00后の関心は、友人など同世代との交流へ向かった。そして早く自立したいと願うようになる。それは
目上の人にも堂々と自分の考えを述べる……53%
問題に遭遇した時、専門家に頼るだけでなく、自分で調べる……69%
もっと友人と時間を過ごしたい……75%
全体の利益は個人の利益より重要……61%
などのアンケート結果から読み取れる。
経済成長とインターネット
2000年~2018年、IMFによる中国と日本の名目GDP推移を見てみよう。
西暦年 中国 日本
00年 1兆2149億ドル 4兆8875億ドル
05年 2兆3088億ドル 4兆7554億ドル
10年 6兆0664億ドル 5兆7001億ドル
15年 11兆2262億ドル 4兆3950億ドル
18年 14兆0925億ドル 5兆1671億ドル(18年は推計)
中国が11.6倍に成長しているのに対し、日本は見事な横ばいである。日中両国はまったく別の時間を過ごした。そして00后は、前代の中国人とも違う世界を持った。日本のように、ゆとりやさとりとは無縁のダイナミックな時間だった。しかし高度成長に浮かれていたわけではない。
そのカギはインターネットである。中国でインターネットが普及したのは2002年からだった。ちょうど90后たちが中学時代を過ごしていたころだ。00后が中学生となる2012年には、移動端末の新時代が幕を開けていた。
これは00后たちに負担を強いた。授業以外の勉強時間が90后の3倍となったからである。彼らは簡単にアクセスできるネットの知的資源を利用して、自らの個性を追求していった。得意分野を設定し、その深堀りに熱中した。時間もお金も存分に投入した。これまでの世代にはなかった生活である。
00后の消費傾向
このようにして培われた00后たち独特の価値観は、社会経済にどのような影響をもたらすのだろうか。彼らはただちにソーシャルメディアを使いこなしてしまう。そして客観性のあるより上の消費体験を求めている。
1 広告に対する柔軟性、識別能力に富む。
2 オピニオンリーダーや各種の営業手段を信用しない。理性的態度を保持する。
3 輸入品を崇拝しない。国産品の品質向上に目を向けている。
といった傾向を持つ、たくましい消費者である。一人っ子政策、経済成長、ネット時代の到来などを背景に、自立心に加え、公共利益の重視など、世界性、普遍性をも備えつつある。00后は中国を変えていくことになるだろう。
一方では、佛(仏)系、喪文化という、無気力系の言葉も蔓延している。従来世代の戸惑いは増すばかりだ。こうした若者分析の増えていること自体が、その何よりの証拠である。今後はステレオタイプの対応は避け、中国人の変化には注意を怠らないようにしたい。(高野悠介、中国貿易コンサルタント)