(本記事は、島崎晋氏の著書『「お金」で読み解く日本史』SBクリエイティブ、2018年5月15日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

【『「お金」で読み解く日本史』シリーズ】
(1)秀吉が作らせた「天正大判」の現在の驚くべき価値
(2)江戸幕府を崩壊させたのは「両替屋」だった
(3)三井、住友、三菱、安田--明治の巨大組織「四大財閥」はどのように生まれたか
(4)「格差社会の到来」を決定づけた金融ビッグバン・IT革命を振り返る

お金で読み解く日本史
(画像=Webサイトより ※クリックするとAmazonに飛びます)

国を頼れない自己責任の時代に

昭和62年(1987)10月19日(月曜日)、ニューヨーク証券取引所で起こった史上最大規模の株価大暴落であるブラックマンデーは、世界の各市場に連鎖した。

日本では昭和61年(1986)以来の、実体経済と乖離したバブル景気は終わりを告げ「失われた20年」と呼ばれる低成長期に突入した。

平成8年(1996)11月、第二次橋本龍太郎内閣は市場の活性化や国際化を図ろうとして、金融市場の規制を撤廃・緩和する大改革を提唱した。

この大改革は、昭和61年にイギリスのサッチャー首相が実施した証券市場の大改革を、宇宙の始まりの大爆発に例えて「ビッグバン」と呼んだことから、それと区別するため「日本版ビッグバン」と呼んだ。

英米の場合とは違い、銀行・証券・保険の三分野にわたる改革を情報通信産業の発達と絡めて行おうという点に日本の独自色がある。

これにともない、銀行の統廃合や銀行と証券会社の相互参入、変額保険の登場、郵政民営化などが実施され、庶民が年金と定期預金の金利だけで安楽な老後を送ることは、ほぼ不可能になった。

銀行は人件費抑制や効率化のため、都市銀行を中心に統廃合を進め、そのたびに銀行名が変わった。

銀行と証券会社は似て非なる存在で、両者が混然一体となれば預金者や投資家の利益を脅かしかねないため、両者の業務が分離されてきたが、平成10年(1998)には金融自由化の流れを受け、銀行・証券・保険三者の相互乗り入れが合法化された。

金融ビッグバンを砕いて言うなら、国や金融機関をあてにするのではなく、自己責任でやれ。老後の生活資金はもとより日常生活で足りない部分も各人で工面しろということであり、否が応でも国民に自活への努力と覚悟を強いるものである。

国家が国民の生涯を通じて面倒見る時代は終わり、自己責任の時代に入ったという意味が込められており、労働者も企業へ永久就職という意識は失われていった。

吹き飛ばされた一億総中流意識

お金で読み解く日本史
(画像=Filipe Frazao / Shutterstock.com)

平成13年(2001)に発足した小泉内閣は「改革なくして成長なし」を唱え、経済と社会の非効率な部分を取り除く路線から、長らく掲げてきた郵政民営化を実現させた。

郵便・郵便貯金・簡易生命保険の郵政三事業が日本郵政公社へと引き継がれ、その後、日本郵政公社が担う四つの機能がそれぞれ別会社となった。

これにより国庫の負担は大きく軽減されたが、営利事業となれば赤字局を維持できず、人口の少ない地域ではバス会社が配達を一部代行したり、商店が切手の販売窓口になるなど地域ごとに工夫を凝らさざるをえなかった。

金融ビッグバンの始まりはIT革命の始まりと時期を同じくした。

より多くの情報を入手して、よりよい答えを見出し、実行にこぎつけられた者が勝利するIT革命は、年功や家柄、経験に関係なく、能力と実績がすべての競争社会を本格化させた。それは一億総中流意識を完全に吹き飛ばし、格差社会の到来を決定づけるものでもあった。

合法的に得た富だが、はなはだしい富の偏在は社会不安を招くのが必定だ。累進課税では富の再分配は不十分で、高所得者に寄付をはじめ社会への還元が求められている。

島崎晋(しまざき・すすむ)
歴史作家。立教大学文学部史学科卒業(東洋史学専攻)。著書に『目からウロコの世界史』『目からウロコの東洋史』『世界の「美女と悪女」がよくわかる本』(以上、PHP研究所)、『さかのぼるとよくわかる世界の宗教紛争』(廣済堂出版)、『人の流れでわかる世界の歴史』(実業之日本社)、『日本人が知らない世界の宗教タブーと習慣』『世界史暴君大事典』(以上、徳間書店)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『一気に同時読み!世界史までわかる日本史』(SB新書)など多数。