米中貿易戦争が終わるとすれば、どのようなシナリオになるのだろうか。トランプ流で考えると、対立が行くところまで行って、和平交渉が突然オファーされるだろう。その時の中国への要求は、大規模な輸入拡大・市場開放となる。逆に、覇権争いの様相を強めると、通貨調整に足を踏み込む可能性もあると言われる。日本の立ち位置から言うと、自由貿易の推進を貫くことが役割だと考えられる。日本から、中国がTPPに参加できるくらいに貿易ルールの遵守、透明化を進めるように促すことを提案してもよいと考えられる。

仮に貿易戦争が止まるとすれば

 7月6日に米国の対中報復関税が開始された。知的財産権の侵害に対する報復第一弾340億ドル分への関税適用である。中国は速やかに同額の報復関税適用で応じた。

 ほとんどの識者が、こうした保護貿易的な応酬が長期化するとみており、その点について筆者も全く異論はない。ただ、それでは未来は暗すぎると思う。深い霧の中でも、何か光明を得るために打開の道を探りたいと思う気持ちもある。そこで、あらゆる可能性に目を向けて、好ましい落とし所を考えてみることにした。もちろん、「可能性は低いだろうが」のお断り付きである。

 まず、トランプ流交渉術のセオリーを考えてみる。丁度、北朝鮮に対する首脳会談が、その典型例となるだろう。当初は、強硬姿勢を露わにして、衆目を怯えさせる。チキンレースを相手に迫って、どこまでもエスカレートする印象を与える。衆目は、感情的になって思考力を奪われていく。そこで、トランプ大統領は突然、妥協案を提示して、相手に不平等条約を結ばせる。相手を勝った気持ちにさせて、その実はいくつも相手に不利な条件を飲ませる。トランプ大統領自身は、Win-Winの成果だと声高に自画自賛して終わる。トランプ大統領を支持する人は、私たちがどんなに暗い気持ちになっても、「トランプ大統領は、悪いようにはしない」とトランプ流の結末を先取りして、楽観的である。

 もしも、トランプ流のセオリーが米中貿易戦争に当てはめられるとするとどうなるだろうか。米中が双方とも高関税をかけ合うことは誰の目にも無益に見える。ゲーム理論で言われる「囚人のジレンマ」の悪しき典型である。本来ならば、囚人同士が協力して行動することでジレンマは解消できる。そう考えると、この先トランプ大統領はいずれ一転して習近平主席に関税の協調引下げを呼びかけるのではないか。つまり、和平交渉をオファーするタイミングがどこかで到来する。まだ、7月6日の関税適用は、最初の500億ドルのうちの340億ドルを発動したに過ぎない。あと2,000億ドルの関税適用を待ってから和平交渉をオファーすると考えることもできる。チキンレースは、行くところまで行ったという達成感がなくては止まらないところが困った点である。中間選挙が11月6日だとすると、10月近くまでは行くところまで行くのだろうか。

 仮に、トランプ大統領が「撃ち方止め」を宣するとすれば、中国に何を要求するだろうか。(1)輸入拡大、(2)対米直接投資、(3)市場開放、といったところが挙げられる。しかし、(1)や(3)はすでにある程度は中国自身が表明している。だから、中国が受け入れにくい程の大規模な計画を米国側から要求することになろう。

  問題は、(2)対米直接投資、つまり中国企業の米国進出である。米雇用拡大につながるので歓迎するという見方はできるが、米国が技術的優位を脅かされるような中国企業の進出には、技術流出を警戒する米政府は消極的という見方も成り立つ。覇権争いが絡んだ利害が米国を慎重化させる。

 米中対立は、現在、貿易摩擦から覇権争いへと質を変化させている。この対立が覇権争いになるほどに、トランプ流の落とし所が見付けにくい。中間選挙前に、トランプ大統領が輸入拡大・市場開放のパッケージを要求したとき、中国がそれを受け入れるシナリオが、落とし所としては穏当である。

人民元の切り上げと切り下げ

 貿易戦争が単に米国の貿易赤字解消を狙っているのではなく、中国の経済的台頭を抑え込む方に重心を移したとするならば、トランプ大統領はどんな手段を採るだろうか。貿易戦争がもう一段エスカレートするシナリオである。逆の悪いシナリオを考えてみよう。

 ひとつは関税率を25%からさらに引き上げていくという選択肢がある。そして、もうひとつは為替レートの調整だろう。中国の覇権を抑えるのならば、通貨調整が影響力が最もあると考えられる。日米経済摩擦の経験では、プラザ合意が思い出される。具体的には、人民元レートを切り上げることを要求する。

 この荒技はいくらなんでも難しいと思える。現在までのトランプ大統領の対応は敢えて為替レートの操作を除外している。通貨切り下げ競争は、IMF協定違反である。G7の間でも反発は必至だ。中国にとっては、人民元を切り上げる要求を受けることは競争力を失うリスクが高く、受け入れられないものだろう。逆に、中国が対米輸入額すべてに報復関税をかけられた後の次の一手として、人民元の切り下げがささやかれている。すでにオフショア人民元レートは、下落に動いている。

 人民元切り下げの可能性は、現実的でないという見方は根強い。筆者もそう考える。なぜならば、2015・16年の資本流出のトラウマが中国にあるからだ。2015年8月に中国が人民元を切り下げたことで、資本流出が起こった。この資本流出を止める為替介入は巨大化して、中国の外貨準備は減少する。米国にとっては、中国の外貨準備が減って、外貨準備として保有する米長期国債を売らざるを得なくなると、自国の長期金利上昇を招くことになる。それは避けたいことだろう。

 米国が人民元を切り上げる要求をすることは、同時に貿易戦争の舞台を通貨に移すことになりかねない。だから、中国の覇権を抑え込む目的で効果が大きい人民元の大幅な切り上げの要求までは行ってはこないと考える。

 中国の外貨準備が尽きることは現在は考えにくいが、今後、人民元の切り下げ予想が強まり、それが歯止めの効かないものになるとすると、その「まさか」が想起されることになる。これはアジア通貨危機で起きたことと似たショックである。そうしたシステミック・リスクがあることを頭に入れると、いくらトランプ大統領でも、ドルや人民元を対象にした要求はしないと考えられる。

 トランプ大統領が米国の覇権を守るために中国に決定的ダメージを与えることは、システミック・リスクの可能性を抱えるので、敢えてやってこないのだと筆者は考えている。自分のコントロールが効かなくなる対応はディールの手段としても不都合だとみるのではないか。その点、関税率の引上げはコントロールしやすい。筆者はトランプ大統領が確信犯として行動しているので、常にリスクに対して寸止めできる範囲でなくては仕掛けてこないと考える。

日本の立ち位置

 トランプ大統領が中国製品に高関税をかけることは、米企業が中国の現地生産で安くものづくりする環境を脅かす。また、中国側の報復関税も、米企業の輸出減を招くという点で、米国自身にマイナスである。従って、米中貿易戦争はいずれその弊害の大きさゆえにトランプ大統領の翻意を迫ることになると考えられている。こうした見方は、合理的に考えると誰もが予想するシナリオとなる。

 しかし、米経済は力強く、今のところはその弊害を見えにくくさせている。トランプ大統領も減税政策で痛み止めを打ちながら、敢えて弊害の大きな関税率の引上げを強行している。理性的な人が考えるほど、ごく短期間でトランプ大統領が保護貿易を自粛しそうにはない。 日本は、一貫して自由貿易を推進する立場から行動するのがよい。米国に保護貿易のデメリットをより強く自覚してもらうために、TPPと日欧EPAを発効するのが上策である。米国の輸出は、中国の販路を失うと、TPPに加盟する国々へとシフトしていくだろうが、そのときにはTPPに加入していないことを不利に感じるだろう。そうしたカウンターパワーの強化が、トランプ大統領の翻意を促す。

 こうした考え方はかなり楽観的にみえるだろうが、極めて正論だと思う。問題は、トランプ大統領が予想以上に頑固に保護主義を続けようとする可能性があることだ。そのときに、何か腹案を考えることができるだろうか。

 柔軟に考えると、日本が先導して、いずれ中国がTPP加入に意欲を出すように提案する方策もある。こうした対応に最も慌てるのは米国だ。実は、米国にとって、中国の貿易慣行が変わり、不公平な指摘を受けない国になることは願ったり、叶ったりである。保護主義を米国が続けるデメリットは、中国が自由貿易の輪に入ることで、より鮮明になるだろう。日本としては、中国が自由貿易に今までになく前向きな姿勢をみせている機会をうまく捉えて動くチャンスはある。最近になって中国は、北朝鮮問題もあって、日韓に接近してきている。 もちろん、中国がTPPに後から加入するのにハードルは高い。ただ、これは中国が米中貿易戦争のデメリットと比較して考えるべき問題である。知的所有権保護などの統一基準に中国が合わせていくことは、自国優先主義を捨てていくことでもある。

トランプ大統領のアメリカ・ファーストがそうであるように、国際社会では自国優先主義を強調すると他国の利害とぶつかって、結果的に自国の利益をも失ってしまう。自国にとって核心的利益であっても、他国からみてそうではないときには、公平なルールの下に服さなくてはいけない。この点は、米国にも中国にも当てはまることだ。また、トランプ大統領の保護主義は、すでに共有化された常識を国際社会に再び問うものでもある。日本が主張すべきことはそうした普遍的な役割を中国にも求めていくことだろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生