はじめに
昨年1月26日、我が国で衝撃的な事件が生じた。大手仮想通貨取引所「コインチェック」から約580億円相当(当時)の仮想通貨NEMが不正流出したことだ。これをきっかけに、ビットコインを中心としたメジャーな仮想通貨における、いわゆる仮想通貨バブルとでも言うべき高騰(円安/仮想通貨高)は鎮まってしまった。
こうした仮想通貨マーケットにおける流出事件において度々俎上に載せられるのが「北朝鮮」である。たとえば、国際連合(UN)安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会に属する専門家パネルが今月に公開する新たな報告書は、北朝鮮がサイバー攻撃を用いて仮想通貨交換業者から少なくとも5億7,100万ドル(約635億円)相当の仮想通貨を2017年1月から2018年9月の間で窃取したとまとめているのだ。その中には上述した「コインチェック」の流出事件も含むという。
こうした各種報道に触れる度に筆者が疑問に感じるのが、そもそも北朝鮮がそうした技術を有しているのか、またそうした詐取を行う人材を有しているのかという点である。これに対しては、昨年(2018年)に北朝鮮にサイバー攻撃専門部隊が存在する旨、本邦メディアがこぞって報道してきたことから、恐らくそうした技術があっても不自然ではない。また米国のさまざまな公的部門(米国土安全保障省や連邦捜査局(FBI))が北朝鮮のハッカー集団の存在を公言してきた。ということはそういった人材もまた存在するのだろう。
そうなると、筆者には更なる疑問が浮かぶ。それは、詐取などという高リスクでしかない犯罪に手を染めるくらいならば、北朝鮮が自前で仮想通貨を作成するということはないのだろうかというものだ。無論、ブロックチェーンや仮想通貨を構築するのとハッキングは技術的なレベルに差があり、北朝鮮が技術的にそれに携われないという可能性はあり得る。
しかし、本稿で議論するように、どうも北朝鮮が仮想通貨を作成する可能性が浮上しつつあるのである。とはいえ、たとえ北朝鮮が技術を有しているとしても、現在の仮想通貨にはマイニング・プロセスが必要であり、それは多量の電力を必要とするため、北朝鮮が単独でそれを導入することは困難である。また技術面で誰かが支援しているという可能性も充分あり得る。だとすれば協力者はいるのだろうか?それは誰なのか?
北朝鮮が仮想通貨を“導入”する背景
そもそも北朝鮮が仮想通貨を詐取する背景は何か。読者にとっては既知であろうが確認しておこう。それは国連安保理や米国、欧州連合(EU)らによる経済制裁である。特に米国の経済制裁が熾烈であることは、同じく経済制裁を受けるものの、友好国も多く北朝鮮よりは制裁措置が緩いイランですら苦境下にあることから明らかである。そのため、各国金融当局による規制が緩く、利用者のトレースがしにくい仮想通貨の利用に流れているというわけだ。
「その仮想通貨を得ようにも交換の元手となる外貨がない、また何かの販売に対する対価として仮想通貨を得ようにも販売物(輸出物)が無いか経済制裁で輸出できない、だから詐取をするのだ」というストーリーは一つ納得の行く話ではある。ただし、詐取はあくまでも犯罪でありリスクは高い。だからこそ自前で仮想通貨の発行をという選択肢を北朝鮮が考えたとしても至極当然と言える。
では北朝鮮が仮想通貨を発行する仮定したとき、技術面や人材面とは別に考えるべきなのが、果たしてICOに反応する人々が存在するのか、つまり誰が投資するのかということだ。
そもそも北朝鮮と金融マーケットの関係は戦後1950年代の債券発行から始まり、直近では1970年代に遡る。北朝鮮は額面価値で10億ドル規模のシンジケート・ローンを受けてきたが、1980年になると我が国を除く諸国に対する債務について“デフォルト(国家債務不履行)”を引き起こすのである。それが1997年になるとフランスの銀行であるBNP(当時・現BNPパリバ)が譲渡性証券にリアレンジしマーケットにて販売しているのである。最直近では2003年には北朝鮮国債を発行しており、それ以後は起債がない中で、2013年まではこうした北朝鮮が起債者である債券が取引されてきたことが知られている。それに昨年(2018年)には、北朝鮮情勢が融和化する可能性があったために、香港のヘッジファンドが北朝鮮債集めに躍起になったことがあったのだ。主要債券が軒並み割高になっている今、北朝鮮が金融債務を求めたとして、需要が皆無であるとは言い難いのである。
こうした北朝鮮における仮想通貨を巡る動向に新たな展開が生じた。それは、北朝鮮が来月(4月)、仮想通貨に関するカンファレンス「平壌ブロックチェーン・仮想通貨カンファレンス(Pyongyang Blockchain and Cryptocurrency Conference)」を催すのだ。実は昨年(2018年)9月の段階で、香港Asia Timesが北朝鮮による自前の仮想通貨作成の可能性に言及してきた経緯が在る。同カンファレンスのプログラムは7日間に渡るが、そのうち半分は関係箇所(専門大学など)などの見学で残りがセミナーであるという。
(図表 「平壌ブロックチェーン・仮想通貨カンファレンス」の会場)
このカンファレンスで興味深い点が3つある。まず参加資格だが、このような記述がある:
“Any interested person except passports from: South Korea, Japan and Israel. Journalists are not allowed to attend”
我が国や韓国は隣国であり、さまざまな(外交)問題を有するためにその参加を阻害するのはある意味自然ではあるが、イスラエルの参加を認めない点が非常に興味深い。イスラエルがブロックチェーン領域で先進的なのは広く知られている話であり、公益社団法人日本イスラエル親善協会がわざわざ「ブロックチェーン」で特集ページを作成していることが示すように我が国へも浸透しつつある。韓国もまた、カカオがイスラエル系ブロックチェーン企業へ投資したり、その投資先が韓国に支社を設立したりと影響力を行使しつつあるのだ。
他方で、イスラエルと北朝鮮の関係性は非常に悪い。過去の中東情勢において、北朝鮮はアラブ側に加担してきた。たとえばイランやシリア、エジプトと北朝鮮の関係は有名であり、武器や兵員を提供してきた。両者の関係が決定的に悪化したのは、昨年3月にイスラエル政府が正式にその活動を認めたオーチャード作戦がきっかけだった。同作戦はシリアにあったとされる原子炉をイスラエル空軍が爆撃したものであったが、その原子炉の建造に北朝鮮が加担しており、10名の北朝鮮技師が死亡したのだという。それ以後、北朝鮮当局はイスラエル人の入国を禁止しているのだ。先月7日にも北朝鮮からイスラエルに向けてのサイバー攻撃があった旨、報道されている。これを踏まえるとイスラエルが関与している蓋然性が低いと評価できそうである。
ただし、そうではない可能性が皆無ではないということも留意すべきである。まず、必ずしもユダヤ人がイスラエル国籍を持つとは限らないという点に注目したい。ディアスポラを経験するユダヤ人は世界中に散っており、その中には同じ“ユダヤ”ということで国家とは別につながっていることは良く知られている。上述したカンファレンスの参加基準においても、「イスラエル国籍」のものの参加を認めないとある。したがって「イスラエル人」ではないユダヤ人が北朝鮮に入国することは字面通りの解釈では可能であるということになるのだ。
他方で、非常に興味深いのが、超正統派ラビが北朝鮮に昨年末に堂々と入国し、その模様をイスラエル・メディアにて報告しているのだ。現在、イスラエルが北朝鮮へのブロックチェーン・マーケット参画している明確な証拠があるわけではない。しかし、東アジア・マーケットに喰い込むイスラエルが北朝鮮を無視するとは思えないというのが筆者の見解である。
北朝鮮による仮想通貨カンファレンスで注目すべきもう2つの点
では2つ目の注目すべき点とは何か。それは米国人の参加を歓迎しているという点である。同カンファレンスのFAQにこのような記述が真っ先に挙がっている:
*“ Are USA passports allowed to apply?
- Yes, you are welcome to apply.”**
我が国や韓国がこのカンファレンスから排除されている一方で、米国は“歓迎”されているのである。したがって、北朝鮮におけるブロックチェーンや仮想通貨の導入に当たっては米国が関与している可能性も僅かに在るというわけだ。
またこのような観点からも、先々月の米朝首脳会談が失敗だったと述べるのは早計であると言えるのであり、米朝関係は決して簡単なものでは無いことは明らかだ。
最後に注目したいのが、このカンファレンスのオーガナイザーである。再度FAQを参照してみよう:
*“ Who is organizing this?
- The organizers of the conference are, in the DPRK side, Mr. Alejandro Cao de Benos, Special Delegate for the Committee for Cultural Relations and President of the Korean Friendship Association (KFA), and in the technical side Mr. Chris Emms, Blockchain and Crypto expert” (註:下線は引用者による)**
まずカンファレンスのオーガナイザーとされるアレハンドロ・カオ・デ・ベノスとは誰か。同人はスペイン貴族出身の北朝鮮シンパである。2000年に朝鮮親善協会(同協会は北朝鮮当局に承認されているという)を設立しており、2016年にはスペインのタラゴナという都市に平壌バーを開店している。しかし、同年、武器密売に関わったとして同人はスペイン当局に逮捕されている(もっともこの武器が北朝鮮に関係したかは不明であるという)。また同人はIT専門家でもあり、北朝鮮当局から許可を得て、史上初めて北朝鮮発Webサイトを構築した人物なのだという。
もう一人のクリス・エムス(クリストファー・エムス)はTokenKeyというスタートアップの創業者CEOである。同人もまた、スペインにゆかりのある人物なのである。同人のLinkedInアカウントによれば、高校時代をスペインと英国で過ごしており、また英国とスペインが係争問題を有してるジブラルタルにあるスタートアップで働いていたことがあるのだという。
つまり、オーガナイザーから見ると、このブロックチェーン・カンファレンスには、スペインの陰が、さらにはそこに英国が介在している可能性すら見えるというわけなのである。
おわりに ~米欧の対東アジア政策の中での北朝鮮の意義とは?~
スペインと言えば、一昨月(2月)に在スペイン北朝鮮大使館襲撃事件が起こったばかりである。この事件に関しては、スペイン当局が猛烈な捜査を行っており、本稿執筆時点(3月末時点)では「臨時政府」樹立を宣言した反体制組織「自由朝鮮」が同事件の首班である旨、公表している。この「自由朝鮮」(かつては脱北者支援団体「千里馬民防衛」と名乗っていた)は金正男の長男である金ハンソルの脱北に協力した勢力であるという。そしてその脱北には米中央情報局(CIA)が関与し、金ハンソルは現在米国に滞在していると報道されている。
この「自由朝鮮」は小規模ながらビットコイン・ファンドを設立し運営してきたのだという。さらに同組織は臨時「政府」としてイーサリアム・ベースのプラットフォーム上で構築したヴィザを1ETHで販売しているのだ。このように、北朝鮮の反体制派は明らかに仮想通貨を活用しながら活動してきている。
他方で、北朝鮮を巡ってはかつて債券起債などで積極的に関わってきたフランスが俄かに近づきつつあると筆者は考えている。なぜならば、有名な旅行ガイドブック「プティフュテ」出版社がフランス語で執筆された北朝鮮の観光ガイドブックを初めて発刊したのである。またイタリアについても、駐イタリア北朝鮮公使が行方不明となりその娘が北朝鮮本国に送還されるという事態が生じ問題となっている一方で、トリエステにある先端研究国際大学院大学(SISSA)が金日成総合大学と学術交流協定を結び、北朝鮮からの留学生を受け入れることを決定したのだ。欧州が北朝鮮へ更なる浸透を図っているというわけである。
以上を踏まえた筆者の見解はこうである:
●東アジアを巡っては米欧らによる進出が進んできた。たとえば英国とフランスが軍事面で我が国に接近してきた。またイスラエルもブロックチェーンを切り口に我が国や韓国へと進出してきた。北朝鮮もその例外ではないと考える
●そもそも我が国や米国が2000年代に経済制裁を強化し始めたこともあり「閉ざされた国」という印象が強いものの、冷戦期に東側に所属してきたこと、金正恩・労働党委員長がスイスの寄宿学校出身であることが典型例であるように、北朝鮮は歴史的に欧州との関係が深かった
●しかし、米朝首脳会談に当たり、英国やフランスが米国による非核化に協力する旨明らかにしてきたが、その他の欧州各国の動向はどちらかと言えばあまり注目されてこなかった印象がある。米国自身も北朝鮮の非核化について欧州連合(EU)、また英仏の関与が重要であるという方針を明らかにしている。これはあくまでも米国が主導する中で英仏らが関与することを許可しているという構造である。そのため、北朝鮮との関係が強かった欧州、その中でもスペインが今回反発したという可能性が在るというわけだ
●とはいえ米国も欧州も北朝鮮という閉鎖マーケット、すなわち最後のエマージング・マーケットを獲得すべく躍起になっていると考えられ、両者はそれを仮想通貨・ブロックチェーンを通じて、一方は体制側に、もう一方は反体制側に肩入れしながら「開国」に向けた準備を行っているという構図があり得るというわけだ
●ただし、体制側と反体制側の争いが表面上生じる以上、簡単に「開国」が生じるわけでは決してないというのが卑見である。むしろ現体制の刷新といった事態に向けて対立が“演出”されていく蓋然性が高いとすら筆者は考えている
このように我が国の“隣国”を巡って、米欧の新たな戦略が進展しているのであり、そこに参画出来ない我々は“ババ”を掴まされないように、この問題について細心の注意を払うべきである。北朝鮮が仮想通貨を発行するという可能性は決して低くないことは念頭に置くべきである。
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
大和田克 (おおわだ・すぐる)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2014年早稲田大学基幹理工学研究科数学応用数理専攻修士課程修了。同年4月に2017年3月まで株式会社みずほフィナンシャルグループにて勤務。同期間中、みずほ第一フィナンシャルテクノロジーに出向。2017年より現職。