落語にはお金にまつわる噺が多い。特に古典落語は江戸時代以降、江戸 (東京) や上方 (大阪や京都) に住む庶民の娯楽として親しまれて来た伝統芸能だ。名人によって脈々と伝承されてきた。

粋でユーモアにあふれた人々や失敗はするけれどどこか憎めない庶民などが主人公として登場する。呉服屋の旦那と番頭などが典型的なキャスティングで、二人の愉快な会話や間抜けな行動を名人が1人2役を演じるスタイルでストーリーを展開していく。ほとんどの演目には、下げ (落ち) という結末がある。旦那と番頭は、江戸時代の典型的な雇用スタイルだろう。現代で言えば、中小企業での社長と社員に置き換えて考えるのが分かりやすいだろうか。いつの時代でも、庶民は落語に自分たちの姿をだぶらせて、共感したり笑ったりすることができるから人気があるのだろう。

「お金の話」と聞くと小難しそうで敬遠してしまう方もこれを機にお金にまつわる教訓を楽しみながら学んでみてはいかがだろうか。「落語で学ぶお金の教訓」と題して、代表的な3題を紹介しよう。

株を高値で買いたくなってしまう人には「千両みかん」

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(写真=PIXTA)

【ストーリー】定番、呉服屋の旦那と番頭の噺
呉服屋の若旦那 (息子) が、重病になって衰弱してしまう。心の病のようだ。番頭がどうにか若旦那の悩みを聞き出すと、実はみかんが食べたいという。番頭は「そんなことならば」と請け負った。

ところが、時は江戸時代で真夏。みかんは冬のくだものだ。そう簡単に手に入らない。みかんを見つけてこないと主 (あるじ) 殺しとして磔だと脅される。多くの店をまわり、どうしても食べたいという人のために様々な食べ物を木箱に入れて腐るのを承知で保存している店をみつけた。値段は千両。「千両役者」という言葉があるように一流の歌舞伎の役者の稼ぎに相当する。

旦那は若旦那が助かるならと千両を出す。若旦那は旨そうにみかんをたべて3房残し、両親と叔母にあげるようにと番頭に渡した。番頭は3房が3百両の価値があると考えると、自分の生涯年収を上回るような価値があるので、そのみかん3房に目がくらみ持ち逃げしてしまったという話だ。

【「千両みかん」からの学び】
真夏に食べるみかんは若旦那や旦那にとっては千両の価値があっても、本質的な市場価値は千両もない。株式投資で上がりきってから投資をして高値掴みになってしまう人は、希少価値 (真夏に食べるみかん) が本当にあるかどうかをよく考えるとよいだろう。「麦わら帽子は冬に買う」という格言があるように、株は安い時に買い高いときに売るのが王道だ。

あぶく銭に一喜一憂せず、本気で打ち込む「芝浜」

【ストーリー】夫婦の人情噺、クラッシックで言うと「第九」 ?
魚の行商人の夫は酒飲みであまり働かない。ある日、嫁に怒られ朝早く芝の市場に行くがまだ市場が開いてなかったので、浜でたばこを一服していると、大金の入った財布を拾った。夫は仲間を集めて、そのお金で払うつもりでどんちゃん騒ぎを始めてしまう。

翌朝、目覚めると財布がない。妻は財布は最初からない、それは夢だと伝える。流石に情けなくなった夫は酒をやめ、心を入れ替えて働きはじめる。3年後、自分の店を出せるまでになった。その年の大晦日、嫁が拾った財布を実は隠していたことを明かす。

それを知った夫は怒り出すどころか感動し、ここまで頑張れたのは妻の行動のお陰だと感謝をのべる。妻は久しぶりに一杯どうかとお酒をすすめるが、「辞めとこう。また夢になるかもしれない」と話は終わる。

【「芝浜」からの学び】
人はあぶく銭が入ると気が緩み、痛い目を見るケースがある。現実には芝浜の妻のように導いてくれる存在がいるとは限らない。だからこそ一喜一憂せず、何事も本気で打ち込んでこそ大きな成功に繋がるということを肝に銘じたい。

事業に興味がある人には「花見酒」

【ストーリー】愛される酒飲み達の噺
酒飲みの兄弟分の二人は向島の桜が満開なので花見に行くことにしたが、お金がない。そこで兄貴分が考えたのは、酒屋の番頭に金を借りて日本酒を三升樽で持ち出し、花見をしている人たちに小柄杓 (ひしゃく) 一杯を10銭で売るというアイディアだ。それで飲み代が稼げるはずだった。

二人は樽を担いで向島に向かった。花見客で大賑わい、酒の匂いも漂っている。酒飲みの二人が我慢できるわけがない。弟が兄貴に10銭を払って一杯飲んだ。それを見ていた兄貴も弟分に10銭払って飲んだ。繰り返すうち、気がついたら三升空いてしまった。

大酔っ払いして最後に売り上げを見ると二人で10銭しかない。当たり前だ。お互いに10銭を渡し合っていただけだから。「あ、そうか。そりゃ無駄がねえや」で終わる。

【「花見酒」からの学び】
兄貴分のアイディアは悪くはないだろう。投資の神様であるウォーレン・バフェットでも、子供の頃に色々な味のガムを仕入れ、色々な味をパッケージ化して利益を乗せて売って利潤を出したという話は有名だ。

個人と会社の売り上げを分ける分別会計はもちろん大事だが、”見かけ上”の売上だけはあがっているが、実際には利益には繋がっていない、本質的ではないビジネスにならないか注意したい。極端な例かもしれないが、ビジネスモデルを考えて起業する場合、噺に登場する兄弟と同じようなことをしてしまうことは充分にありえる。

落語は人生の先生

落語を教訓と考えては粋でないかもしれない。ただ、落語には大旦那といった知恵者とおっちょこちょいでトラブルメーカーの庶民がでてくる。そこには普遍的なリテラシーが隠れており、教訓としても充分に成り立っている。落語の知恵が投資やビジネスにも生きるかもしれない。落語を楽しみながら、お金についても考えてみてはいかがだろうか。(提供:大和ネクスト銀行

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