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「銀座 煉瓦亭」(画像=Foodist Media)

2019年5月1日、ついに新時代「令和」を迎えた。日々、新たな飲食店がオープンしている一方で、長い歴史を持つ老舗も変わらぬ人気を誇っている。そこで今回は、明治から大正、昭和、平成と4時代を乗り越えた名店をいくつかご紹介したい。

老舗洋食店『煉瓦亭』(銀座)

1895(明治28)年、銀座にて創業。現在の洋食店の定番のメニューを生み出した店として知られている。ポークカツレツはフランス料理のコートレットをもとにした料理で、もともとは温野菜を添え、デミグラスソースをかけて食べるものだった。初代が千切りキャベツを添え、ソースをかけて食べるスタイルを考案し、これがとんかつの元祖になったとも言われている。

また、提供されている人気メニューのほとんどが、当時は従業員のまかない料理だったもので、今や看板メニューとなっているオムライスもそのひとつ。卵でチキンライスを包むのではなく、ご飯と具材を卵に混ぜて焼くのが特徴。表面にはしっかり火が通っており、中はとろとろ。ここでしか味わえない一品だ。

食通として知られる作家の池波正太郎が、幼少期から晩年まで通ったレストランとしても有名で、カツレツはエッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』『池波正太郎の銀座日記』の中に登場している。

すき焼き専門店『人形町今半』(人形町)

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「人形町今半」(画像=Foodist Media)

1895(明治28)年、本所区吾妻橋にて牛鍋屋として創業。大正元年に浅草に場所を移し、店名を『今半』とした。その後、1956(昭和31)年に『人形町今半』と『浅草今半』に分かれ、それぞれの場所で開業。『人形町今半』は東京都内を中心に多数の店舗を展開。人形町本店は数寄屋造りの建物で、1階では鉄板焼ステーキ、2階ではすき焼き、しゃぶしゃぶをはじめとした日本料理を提供している。

黒毛和牛は、日本全国よりA4、A5ランクの雌牛のみを専門家が吟味・厳選し、買い付け。長年培ってきた技術で、素材の良さを最大限に引き出している。国内のみならず、海外でも高く評価されている名物のすき焼きは、最終調理を中居が行うのが特徴。技能テストがあり、店長、経営者、ベテランの中居による審査に合格しないと客前に出ることができない。

飲食店のほか、精肉店と惣菜店も運営しており、独立型店舗を持つほか、百貨店内にも出店している。

日本初のバー「神谷バー」(浅草)

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「電気ブラン」(画像=Foodist Media)

浅草・花川戸にて洋酒の一杯売りの店『みかはや銘酒店』として創業。1912(明治45)年に『神谷バー』と店名を改め、1921(大正10)年に現在の場所に移転。日本初のバーとして広く知られるようになった。1階はバーと売店、2階は洋風レストラン『レストランカミヤ』、3階は和食料理『割烹神谷』として営業。建物は大正時代から使われており、2011(平成23)年には登録有形文化財に指定された。

名物は「デンキブラン」という名のカクテル。ブランとは、カクテルのベースのブランデーのこと。ほかにジン、ワイン、キュラソー、薬草などが秘伝の分量でブレンドされている。当時、“電気”はまだめずらしく、目新しいものに「電気〇〇」とつけるのがトレンドだった。また、アルコール度数が45度と強いお酒が電気のイメージにぴったりだということで、その名がつけられた。現在のデンキブランのアルコール度数は30度。生ビールをチェイサーにしてデンキブランと交互に飲むのが定番なのだとか。

多くの文豪からも愛され、太宰治の『人間失格』や芥川賞作家の三浦哲郎『忍ぶ川』にも登場。萩原朔太郎は詩で表すほど同店に愛着を持っていた。

さて、今回は明治から令和まで続いている3店をご紹介した。これほど長い間多くの人に愛されるのにはそれだけの理由があるはず。ぜひ一度訪れて、歴史を感じながら食事やお酒を楽しんでみてはいかがだろうか。(提供:Foodist Media

(執筆者:上條真由美)