はじめに
アメリカでは、保険に関する詐欺の問題が続いている。すべての保険を合わせると、1年間に発生している詐欺の金額は、控えめにみても800億ドル(約8.8兆円(1))に達するといわれている。特に、損害保険では、毎年の保険金支払額のうち、約10%が保険金詐欺によるものとみられている(2)。
本稿では、諸資料をもとに、アメリカで起きている保険金詐欺の現状および対策を概観していく。それを通じて、詐欺の抑止や検知のための仕組みなど、日本の保険に対する示唆を得ることとしたい。
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(1)“How big is $80 billion?”(Coalition Against Insurance Fraudサイト)等より。なお1ドル=110円で換算(以下、同様)。
(2)“By the numbers: fraud statistics”(Coalition Against Insurance Fraud)より。
保険金詐欺の現状
まず、アメリカの保険詐欺の現状を概観することにしよう。
●アメリカでは、損害保険の分野で年間3兆円を超える規模の保険金詐欺が発生している
アメリカでは2013~17年の間、損害保険の分野で、毎年300億ドル(約3.3兆円)もの保険金詐欺が発生したとされている。
また、医療保険の分野では、民間保険と公的保険を合わせて、医療給付支出の3~10%が、保険金詐欺によるものとみられている。少し古いデータではあるが、2010年には、770億ドル(約8.5兆円)~2,590億ドル(28.5兆円)もの多額の支出が、詐欺によってなされたと言われている(3)。
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(3)Insurance Information InstituteのInsurance Fraudの項(http://www.iii.org/issue-update/insurance-fraud)より。
●アメリカでは、ほぼすべての州で保険詐欺罪が制定されている
アメリカでは、各州で通常の詐欺罪とは独立して、保険金詐欺を取り締まるとともに、不正請求の抑止を目的とした「保険詐欺罪」が制定されている。例えば、ニューヨーク州刑法では、保険金詐欺に対して、詐取金額等に応じた刑罰が区分されている。損害保険では、最も重い第1級保険詐欺罪(100万ドル(約1.1億円)超の保険金詐取等)では、Bクラスの重罪とされ、25年以下の懲役刑が科される(4)。
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(4)保険詐欺罪は、Article 176.00~176.35にかけて、第1級から第5級までの5段階で規定されている。懲役刑の罰則は、Article 70.00に規定されている。
●大半の州に詐欺局が設けられている
また、46の州とワシントンD.C.では、詐欺局が設置されており、行政面から保険詐欺の抑止を図っている。州によっては、保険の種類に応じて、複数の局を設置しているところもある(5)。さらに、22の州とワシントンD.C.では、保険会社に対して、保険金詐欺を発見して、減らすための措置をとるよう州法で求めている。
こうした規制当局の体制を受けて、多くの損保会社では、社内に特別調査チームを設けている。そこでは、特別なトレーニングを積んだ専門職員が、詐欺が疑われる給付請求を調査し、ときには全米保険犯罪局(National Insurance Crime Bureau, NICB)などと協力して犯罪者の特定を進めている。
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(5)詐欺局には、法執行権限を有するものもある。
●保険会社は、保険金詐欺の検出のための新たなテクノロジーを活用している
ほぼすべての保険会社が、保険金詐欺に対抗するためのテクノロジーを活用している。90パーセントの会社が、コンピューターが自動的に詐欺を検出する仕組みを用いている。半数以上は、予測モデルを活用した検出を行なっている。これらの会社は、技術の向上により、損失の縮小が図られている。一方、過度な偽陽性(実は詐欺ではないのに、詐欺と判定してしまうこと)が発生してしまうことが、技術上の課題とされている。(保険金詐欺を抑止するテクノロジーについては、第5章にて述べる。)
自動車保険の保険金詐欺
保険金詐欺が多発する保険として、自動車保険が挙げられる。ここでは、その実態をみていこう。
●多額の保険料の徴収漏れが生じている
自動車保険では、査定情報の不足や誤りによって、2017年に約290億ドル(3.2兆円)の保険料の徴収漏れが生じている。主な内訳は、未報告の運転者による運転(103億ドル)、搭乗距離の過小見積もり(54億ドル)、違反や事故の問題(34億ドル)、保険料を低額にするための車庫の誤り(29億ドル)、個人特定上の問題(28億ドル)、その他(41億ドル)である(6)。
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(6)“Auto insurance premium leakage: A $29B problem for the industry”Steve Lekas (Verisk, 2017.3.7)より。
●加入者からの情報提供に誤りやウソがあることが多い
2017年のNerdWalletの調査によると、自動車保険に加入した人の10人に1人は、加入時に、個人や自動車に関して誤った情報を提示している。この調査はネット上で行なわれたもの。それによると、40%は年間搭乗距離を少なめに報告。27%は運転者を契約上省略。20%は、自動車の使用方法についてウソをついていた。そして、10人に1人は、自動車を保管する住所の郵便番号を偽って保険料の割引を受けていた(7)。
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(7)“2017 Driving in America Report: The Costs and Risks”(NerdWallet, 2017.7.13)より。
●ニューヨーク州では、無過失自動車保険により詐欺が誘発された
自動車保険のなかには、「無過失自動車保険」と呼ばれるものがある。これは、自動車事故が誰の責任であるかによらず、負傷した契約者が、自分が加入している保険会社から特定の額までの補償を受けられる仕組みの保険である。どの運転手に事故の責任があったのかを特定する手続きを単純化することにより、保険の補償を円滑に行なうことが、この保険の主眼である(8),(9)。
州によって、この無過失自動車保険により、詐欺の発生状況が異なっている。フロリダ州では、詐欺を減らす効果がみられた。給付要件を限定したり、詐欺への厳格な対処をしたりしたことによる(10)。
一方、ニューヨーク州では、無過失自動車保険が保険金詐欺を誘発するケースが生じた。このため、法律を整備して、詐欺を抑制する取組みが進められている(11)。
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(8)2019年1月現在、16の州で加入が義務付けられており、6つの州とワシントンD.C.で加入が任意とされている。
(9)無過失自動車保険ではない一般の自動車保険では、他の運転手の過失が事故の原因であれば、その過失のあった運転手の保険。自身の過失が事故の原因であれば、自分の保険が負傷の医療費に用いられる。
(10)補償をうけるには、事故から14日以内の救命救急室、内科医、指圧師、歯科医での受診を要すること。詐欺を行なった医師は、5年間の資格停止や10年間の無過失自動車保険の取扱停止となるなど。
(11)法整備の内容として、行なわれていない診療の費用や、所定の金額を超える診療費に対する補償の禁止。負傷した人に対して行なわれた治療が医療上必要であったことを、医療者側が回答する期限を設定。給付請求などに関する書類作成上のミスを回避するなど。
医療保険の保険金詐欺
アメリカでは、自動車保険と並んで、医療保険でも保険金詐欺が多発している。
●医療保険の詐欺に対する厳罰化が進んでいる
アメリカでは、原則として65歳以上の人は、公的医療保険制度であるメディケアにより医療保障が行われる。メディケアでは、さまざまな保険金詐欺が発生している。連邦裁判所は、医療保険の詐欺について刑の厳罰化を図って、対処してきている。具体的には、刑務所への収監を伴う実刑判決が出されている。
●予測分析を用いた詐欺の検出早期化が図られている
メディケアでの詐欺は、予測分析の手法を用いることで、早期に発見されるようになっている。従来のような、給付金の請求が届いてから、疑わしいものについて追跡調査をするという手法は下火となっている。メディケアでは、より早い段階から、ウソの給付請求を見極めようとして、分析が開始される。
●詐欺犯罪グループの検挙も進められている
メディケアの詐欺犯罪グループを一斉検挙する動きが広がっている。ダラス、デトロイト、ロサンゼルス、マイアミなどの大都市の中には、メディケア犯罪が蔓延している「ホットスポット」と呼ばれる地域がある。たとえば、在宅ケア、ソーバー・ホーム(12)、血液検査などで詐欺が起こりやすく、検挙の対象となりやすい。
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(12)アルコールや薬物への依存を絶つための宿泊施設。宿泊者の自発的な断酒などを支援する。フロリダ州などでみられる。
●詐欺を防ぐためのデータ共有化の組織がつくられている
フロリダ州の指圧クリニックでは、組織的な詐欺により、メディケアや保険会社から給付金を詐取していた。同じ組織が、他の保険会社やメディケイドからも同様に詐取をしていた。保険会社や制度の運営者側では、こうした組織や詐欺行為に関するデータを共有化するために、医療詐欺防止組合(The Healthcare Fraud Prevention Partnership)を結成した。この組合は、2012年に結成され、公的および民間の保険会社や、規制当局などからあわせて128のメンバーがこの組合に参加している(13)。
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(13)現在(2019年5月)、11の連邦政府機関、37の州政府機関、68の民間保険会社等、12の関連協会が参加している。
保険金詐欺を抑止するテクノロジー
保険金詐欺の検出や抑止に向けて、さまざまなテクノロジーの活用が始まっている。また、新たな技術の導入も検討されている。それらの動向について、みていこう。
●テレマティックスは、運転データを集積し、保険金請求の適切性の確認に用いられる
自動車に設置されるセンサー付きの装置(テレマティックス)により、運転中のスピード、ブレーキ反応、重力加速度、車体の位置など、運転に関するさまざまなデータが集積される。これが、保険会社の詐欺抑止に活用されている。たとえば「自動車事故によりむち打ち症となった」との保険金請求に対して、事故当時のデータをみることで、むち打ち症の真偽や程度が推測できる。
●ドローンによる映像を活用して保険金詐欺を抑止することが期待されている
ドローンの性能向上にあわせて、商業用運用ルールの整備が図られつつある。住宅保険等で、ハリケーンなどによる建物・家屋の被災状況を把握するために、上空からのドローンによる映像が活用されている。また、ビル火災、自動車事故、農業被害などの状況をドローンを使って映像で確認することで、火災保険、自動車保険、農業保険などでの保険金詐欺を抑止することも期待されている。
●運転免許読み取り装置で居場所を確認
一般に、アメリカの自動車保険では、居住する地域ごとに保険料が異なる。このため、本当は高額保険料の地域に住んでいる契約者が、低額保険料の地域に車庫を持ってその地域に住んでいるかのように見せかけることで、保険料を少なくしようとする詐欺が生じている。運転免許の読み取り装置を活用することで、こうした不当な保険料削減を検出する。同様に、労災保険などでも、病院などに入っているはずの患者が旅行をしていないかどうか、といったことが、この読み取り装置で確認できる。
●ソーシャルメディアを活用した詐欺の検出も進んでいる
多くの人が、ソーシャルメディアを利用したい衝動にあらがうことができない。医療や薬物などで保険金詐欺を働く人は、ソーシャルメディア上で犯罪者同士のつながりを持つ場合がある。また、ソーシャルメディアに掲げた写真や映像などで「負傷した」はずの人が、スポーツジムでトレーニングをしたり、サーフィンを楽しんだりする様子を確認するなど、詐欺の検出に役立てることもできる。
●ビッグデータを用いたAIによる予測分析も犯罪の未然防止に役立てられる
保険会社は、過去の膨大な保険事故データを集積し、これを分析して実務への活用を図ることで、詐欺の検出に努めている。データ分析力は検出力そのものとも言える。ビッグデータをもとに機械学習をさせることで、AI(人工知能)の高度化を進めて、高度な予測分析に活用する取り組みが始まっている。こうした予測分析により、詐欺犯罪を未然に防止することが期待されている。
●IoTの普及により迅速な詐欺の発見が可能となる
今後、IoT(Internet of Things, モノのインターネット)(14)が普及すると考えられる。これにより、日常生活において、あらゆるものからセンサー情報などを集積することができるようになるものとみられる。人間の生活環境に情報ネットワークがはりめぐらされることで、これを活かした保険金請求の状況管理が円滑化し、保険金詐欺の迅速な発見が可能となるものと予想されている。
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(14)さまざまなモノ(物)がインターネットに接続されて、情報交換することにより相互に制御する仕組み。
おわりに (私見)
保険金詐欺の概要や発生状況について、アメリカの現状を、事例を交えて簡単に述べてきた。さまざまな事例が生じているが、突き詰めていけば、保険金詐欺を起こすのは人である。詐欺の背景には、詐欺をはたらく人の癖や習慣といった手がかりが残されているものと考えられる。
そこで、進化するテクノロジーを上手に活用することが重要となろう。その際、定量的なアプローチのみに頼るのではなく、定性的な手法を組み合わせて、こうした手がかりをあぶり出すことで、詐欺の検出力を強化していくことが、保険金の適正な支払いのために欠かせないものと考えられる。
引き続き、保険詐欺を巡る今後の動きに、注目していきたい。
篠原拓也(しのはら たくや)
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任
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