はじめに

1990年代後半、世界的に中央銀行法が改正され、中央銀行の独立性が強化された。1998年には、英国ではブレア内閣の下でイングランド銀行法が改正され、52年ぶり(1946年国有化)にイングランド銀行の独立性が強化された。同じ年に、日本でも56年ぶり(1942年以来)に日本銀行法が改正され、独立性が強化された。また欧州では、1993年発効のマーストリヒト条約に基づき、1998年に欧州中央銀行が設立された。欧州中央銀行も独立性の高い中央銀行である。

金融政策面で、中央銀行の独立性とは、政策目標を物価安定とし政府からの介入を招かず、政策金利などの操作目標を決定できることを意味している。このうち政策目標を他からの介入を排して独立して決定できることを「目標の独立性(goal independence)」とし、操作目標を独立して決定できることを「手段の独立性(instrument independence)」と峻別し、経済学界では独立した中央銀行には「手段の独立性」のみが与えられているというのが定説となっている(3)。このため政策目標である物価安定の具体的内容(例:目標インフレ率)には、政府議会などの関与が認められているというのが定説であるが、本稿ではそこに異論がありうると論じている。

中央銀行の独立性が強化された背景には、ニュージーランドを嚆矢として主に1990年代からインフレーション・ターゲットを採用して、インフレが抑制されたという実績がある(4)。インフレーション・ターゲットの採用によって、中央銀行による金融政策は、物価安定に専念することになった。またイングランド銀行を典型とするように、中央銀行は銀行監督等の「金融安定」を担うことを免れ、金融政策に専念する単目的な組織として純化された(5)。このため、金融政策の独立性を確保することは、組織としての中央銀行の独立性を確保することを意味し、問題を単純化した。

中央銀行の独立性強化は、こうした実務上の成功を法制度的に強化することであった。成功体験という実績を踏まえて法整備がなされたことには注意が必要である。政策の実践は、法や制度が整備されれば、それによって成功がもたらされるという単純なものではない。独立した中央銀行が成功するためには、法制度面の整備という必要条件に合わせて、実績という十分条件が必要である。

中央銀行の独立性は、実績と理論に支えられ盤石にみえた。

しかし、中央銀行の独立性は、21世紀にはいり、様々な環境変化によって挑戦を受けることなった。特に、2008年の世界的金融危機は、経済における中央銀行の役割を大きく変貌させた。物価の安定に専念する単純な中央銀行モデルは通用しなくなった。物価安定に専念する中央銀行(single mandate CB)は、金融安定や国債管理も担う多目的な中央銀行(multi mandates CB)へとの変化が求められた。このことは、中央銀行の独立性の問題を従来よりも複雑にし、厄介にした。もしこうした中央銀行の変化が一時的なものであれば、従来の中央銀行モデルの有用性は失われないだろう。ただ現在の状況は当面続きそうである。

新たな環境のもとで中央銀行の独立性はもはや必要ではないのだろうか?

本稿では、現在の状況において、中央銀行の独立性の必要性を確認し再構築する。

なお現在のマクロ経済学(金融論)は、中央銀行や銀行制度などの金融制度を所与として政策の効果を論じる。このため、制度の改革等をとりあげ検討、議論することには比較的少ない。しかしとりわけ金融論では、制度のあり方自体の検討も極めて重要であり、それなしには、政策を論じることはできないだろう。本稿がそうした研究の一助となれば幸いである。

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(3)目標の独立性に政治の関与が認められるのは、独立した中央銀行といえども民主主義下では政府の一定程度の関与によるコントロールが必要であるとの考えによるからである。中央銀行は一方で「手段の独立性」を確保することで、政策の裁量性を確保し政策の自由度を高めることが出来るとされた。
(4)英国でも、インフレーション・ターゲットは、1992年のERM危機を経て、事実上1998年のイングランド銀行法の改正に先立ち採用され、インフレ抑制に実績を上げてきた。これに対し後述のように、日本における2013年1月の2%のインフレ目標の導入では、それまでの実績という条件が欠けていた。
(5)当時、「金融政策」と「金融安定化策」に潜在的な利益相反があり、両者は分離されるべきと経済理論でも主張された(Goodhart & Schoenmaker<1995>)。例えば、金融引き締め策は、金融機関の収益環境の悪化を通じて銀行貸出の抑制を図るが、金融安定化策の観点から、銀行経営の悪化を懸念して、金融引締め策が遅れかねないという問題である。もっとも、当時から銀行部門は、金融政策の重要な波及経路であり、中央銀行はその動向を把握することが金融政策運営上重要であるとの反論もあった。後述のように、2008年の世界的な金融危機により、銀行部門の不安定化が、金融政策の効果を減殺させることがあらためて認識され、英国ではイングランド銀行が再び金融安定化政策を担うことになった。

中央銀行の独立性:1990年代

中央銀行の独立性の再考の前に、1990年代の状況を簡単にレビューしてみよう。

最初に当時の大きな環境変化として、世界的な市場経済化の進展があげられる。この背景には、先進国における自由化の進展と、旧社会主義国の市場経済化があげられる。世界的な市場経済化はグローバル化と称されるようになる。市場経済化では、市場(価格)メカニズムが重要である。金融政策でも、政府による行政的な規制や指令ではなく中央銀行による市場メカニズムを活かした金利政策が重要になる。さらに市場メカニズムがよく機能するためには、インフレ率の安定が重要になる。こうした状況で、政府による規制・指導に代わって、中央銀行の金融政策が重要になった。

当時の中央銀行の独立性の理論は単純であった。その典型は、Rogoff(1987)等に示された保守的中央銀行モデルである。金融政策は、インフレバイアスを持つ政府ではなくインフレに警戒的な保守的な中央銀行に委ねるべきであると主張される。

理想とされたのは、独立した中央銀行が金融政策を独立に運営することである。

公的な政策を営む主体は政府や議会のコントロールの下に動くのが原則であり、公的政策が政府でない独立主体に委ねられるときには、説明責任が求められる。また独立性を維持するためには、政策は、事前ではなく事後的にチェックされることが望ましい。さらに裁量的な政策は政治的とみなされるため政策運営ではルール的な政策が望まれる。またルールを設定することがそれ自身、情報を提供し説明責任を果たすことになる。

21世紀に入っての環境変化

●デフレーション

物価情勢がインフレからデフレに転じたことは、理論上も実務上も最も重要な変化である。前述のように、中央銀行の独立性を支えるもっとも単純な経済理論は、インフレをコントロールするためには、金融政策はインフレバイアスを持つ政府ではなくインフレに保守的な中央銀行に委ねるべきとした。これに従えば、デフレを克服するためには金融政策は中央銀行に委ねるべきでないとされてしまう。インフレバイアスを持つ政府と保守的な中央銀行で成り立つモデルでは、デフレの状況では中央銀行の独立性は導けない。

さらに時間が経つにつれて、デフレは一時的なものではなく長く続くことが明らかになってきた。その最も重要な背景は、世界的な自然成長力の低下である。経済学においても「長期停滞論」が広範化した。

●デフレーションと財政金融政策

デフレの状況は、財政金融政策に大きな変化をもたらした。

金融政策では、いわゆる非伝統的金融政策が採用された。

非伝統的な政策は、大きく見れば二つの要素からなる。

第一は、金利政策から量的政策への転換である。継続的なゼロ金利の下で量的緩和としてベースマネーの増大を行う。量的拡大のためには、非伝統的な手段として国債以外の株式社債等も購入する。米国では、特に金融危機により信用条件が極度に悪化した住宅ローン担保証券(モーゲージ債)が大量に購入された。これらは特に信用緩和といわれることもある。多くの場合、量的緩和は信用緩和を包含する。

ターゲットしての量的指標の採用自体は、1980年初頭の米国でも採用され非伝統的金融政策特有のものではない。ただし伝統的な政策のもとでの量的指標の採用は、短期金利変動の自由度を増すためであった。この点非伝統的な金融政策の量的政策はゼロ金利制約という金利の変動が制約されたもとで採用された点は大きく異なる。また信用緩和についても、経済発展途上の金融市場が未整備の経済では、中央銀行が特定産業の手形を優遇的に再割引するような政策はとられてきた。これは経済発展策としての性格を持つものでもあった(6)。だが先進国において民間企業の信用評価に影響をもたらす選択的な信用供与は異例の措置である。

第二は、期待のコントロールである。経済学における合理的期待革命以来、金融政策においては期待の役割が重視されるようになった。あらかじめ経済の状況への政策対応を明らかにするというルール的な政策は、政策への理解を高めることによって政策効果を強める有効な政策であった。非伝統的な政策においては、将来までの金融緩和を約束するというフォワードガイダンス政策がとられた。これは伝統的な金融政策における期待の扱いと同様な側面もあるが、政策変更がルールに基づかないため裁量性が大きいという性格を持っていた。

また非伝統的な政策では、政策が効果をあげるまで緩和政策を続けることを約束することにより、現在時点で人々に将来政策効果があがることを期待させ、これにより現在の景気回復に効果をあげるという異時点間の選択を通じた政策が重視されるようになった。例えば、人々が将来のインフレの加速を確信すれば、現在、物の購入を急ぐ。すなわち「将来の」インフレの期待が、「現在の」消費を増加させるという理屈である。ただ実際には、フォワードガイダンスは、主に期待の影響を受ける長期金利をコントロールする手段として運用されている。

非伝統的な金融政策について、中央銀行の独立性の点からは二つの問題が指摘できる。

第一は、非伝統的な政策は経済成長率の様な実質変数への効果は弱かったのに対して株価や為替の様な資産価格には強い影響を持つことである。実体経済に政策効果が弱いのは、金利変動を通じた政策効果が欠落しているためであり当然である。政治は株価に対して強い関心をもつ。このため非伝統的な政策は政治の介入を招きやすい。

第二は、前述のように非伝統的な政策が裁量的なことである。非伝統的な政策は、生産、消費等への政策効果が弱いことからテイラールールの様な政策ルールを確立できない。ルール政策は政治の介入を回避するうえでも重要だが、非伝統的な政策は政策ルールが確立できないため政治の介入を招きやすい。

財政政策にも大きな変化があった。欧州や英国の例が示すように、中央銀行の独立性は、均衡財政の規律と一体となって実現されるものである。財政規律は中央銀行の独立性の前提条件であった。しかし金融危機後の財政支出の拡大によって財政規律は崩れた。これは中央銀行の独立性に悪影響を与えた。そしてゼロ金利制約では、金融政策は財政政策との「協力」なしには効果が発揮できないことから、従来のように金融政策単独ではなく、財政政策との協調の中で金融政策を運営することが求められている。

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(6)日本でも貿易手形(輸出・輸入貿易手形)を日銀が優遇する制度がとられていた時期がある。

●財政支配

前述のように、金融危機後の財政支出の拡大は国債の大量発行を招いた。多くの国で、中央銀行は国債管理の任務を担っている。金融危機後の脆弱な経済構造においては、財政の持続性の確保も重要となった。このため金融政策運営においても、通常以上に財政の持続性に配慮を働かせなければならなくなった。財政の状況により金融政策が制約される状況は財政支配(Fiscal Dominance)と言われる。

財政支配は、金融危機後の新しい問題として現れたようにみえるが、以前からFTPL(Fiscal Theory of the Price Level)として指摘されてきた。FTPLは、統合政府勘定によって財政によってインフレに影響を与えられることを示した(7)。しかしこれは逆にみれば、3.2.で示したように均衡財政が独立した金融政策の大前提であることを示している。財政規律の喪失は中央銀行の独立性に悪影響を与えている。

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(7)岩村(2018)参照。

●金融危機と金融安定の再任

イングランド銀行が典型のように、金融安定化機能は独立した中央銀行から分離された。これは、(1)金融政策と金融安定化政策に潜在的な利益相反があること、(2)金融安定化政策は、本来政府が担うべき産業政策的な側面を持つこと、(3)金融安定化政策に伴う資金は財政支出の性格をもつこと、などが理由とされる。英国の場合は、新たな多様な金融サービスが既存の銀行部門を超えて拡大し、それを一括して担当する当局として金融サービス庁(Financial Services Authority)が設置された。

しかし金融危機は、金融安定化策での中央銀行の役割に再び光を当てることになった。 現在の金融危機は、流動性の危機という性格を持つ。また金融ネットワークの深化から、ショックの連鎖の可能性が高まっている。市場の中に位置する中央銀行は、市場や銀行の流動性の状態を知る立場にいた。現在の金融危機では、即刻の流動性の供給が必要となるが、それは中央銀行の役割であった。

変化の激しい金融市場においては、健全な金融機関にのみ流動性を供給するというバジョットの原則はもはや通用しない。中央銀行は、金融市場でほかに貸し手が存在しない時に貸出に応じる最後の貸し手(Lender of Last Resort)とされてきたが、現在の金融危機では、危機の連鎖を早期に防ぐ役割を担うようになった。このため最初の貸し手(Lender of First Resort)とも揶揄される状況になっている。

また政府の一部として金融サービス庁が設置されたように、金融安定化政策は本来的に行政的な政策との側面を持つ。また中央銀行の抱える潜在的な損失は財政による補填を必要とする。このため、金融安定化策では中央銀行の財務面でも政府との協調が求められている。

●経済の政治化

金融危機以降、政府が経済への関与を深める「経済の政治化」が進んでいる(8)。その背景としては、金融危機の経験を経て、規制強化の必要性、自由放任の後退などがある。また金融危機以降、労働者の所得が伸び悩む一方資産価格が上昇し、格差が拡大したことなども経済に対して政治の関心を強めている。

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(8)かつては経済外交では「政経分離」などが謳われたが、現在ではほぼ死語になっている。