日本人が知らない「国際ニュースの核心」

日英同盟復活,茂木誠
(画像=THE21オンラインより)

激動の国際情勢を、一段深く理解したい。そのためには、世界史の知識が欠かせない。この連載では、世界史を大きなストーリーとして捉える見方でおなじみのカリスマ塾講師・茂木誠氏が、現在の国際情勢の歴史的背景を、キーワードで解説する。

EUの原点はドイツの「封じ込め政策」

EU離脱を決めた国民投票から2年。イギリスは今年3月、ついにEUから離脱します(※今年1月時点での情報を掲載した記事をオンラインに転載しております)。なぜ、EU離脱を選んだのか。それを理解するには、「EUとは何か」を押さえる必要があります。

EU誕生の背景には、「ドイツを封じ込める」狙いがありました。ドイツは二度の世界大戦を通じて周辺国を恐怖に陥れたヨーロッパの「暴れん坊」です。

第二次世界大戦の敗北で東西に分断されると、ドイツの弱体化を目論む西ヨーロッパの国々は、西ドイツを含む6カ国で経済共同体を作り、ドイツを無力化しました。これが1967年に発足したEUの前身、EC(ヨーロッパ共同体)です。

その後、冷戦終結とともに、ソ連と東ドイツが崩壊。東西ドイツが統一されます。「暴れん坊のドイツ」の復活を恐れた周辺国は、93年、統一ドイツを丸ごと囲い込むため、国家統合と通貨統一を柱とするEU(ヨーロッパ連合)を立ち上げ現在に至ります。

EC発足当初、イギリスはECに不参加でした。大陸国家と距離を取ってきたからです。

島国イギリスの国家戦略は、ヨーロッパ大陸の統一を阻止し、巨大帝国と敵対する国々と手を結んで分断し、いがみ合わせることでした。ナポレオン時代はフランスを封じ込めるために対仏大同盟を組み、二度の世界大戦では、ドイツを封じ込めるべくフランスと手を組んでいたのです。

そうした背景から、欧州統合に対しては消極的でした。

そのイギリスが、73年にECに加盟したのはなぜか? 

資源の乏しいイギリスは、数多くの植民地を作り、ヨーロッパに頼らず生きてきたのですが、第2次世界大戦後に植民地の独立が相次いだためです。

ただし、ポンドは手放さず、移民も受け入れない。でも、市場だけは欲しい。いい所取りの加盟でした。

しかし、イギリスの製造業はドイツに完敗しました。ユーロ導入後、経済力の乏しい東ヨーロッパ諸国が加盟し、ユーロの価値が下落した結果、皮肉にも輸出大国のドイツがユーロ安の恩恵を享受して、経済大国へと返り咲きました。相対的にイギリスはポンド高となり、金融業で生き延びることになります。