(本記事は、麻野 進氏の著書『イマドキ部下のトリセツ』ぱる出版の中から一部を抜粋・編集しています)
バーチャルに染まりネットでたいがいのことはわかるとどうなるか……
ゆとり世代は小さな頃からゲームやインターネットなどバーチャルリアリティに馴染んでいるため、疑似体験でもリアルに体験したつもりで現実に向き合う傾向があります。
ケータイなどまったくなかった時代の中学生は、初めてできた彼女の家に電話するのに緊張で汗びっしょりになったものです。
彼女が電話に出るならともかく、彼女のお母さんが出たらどうしよう、ましてやお父さんが出たらなんて言えばいいのか。
電話の前で何度もシミュレーションして、それでもなかなかダイヤル(古いですね……)を回す勇気が出ない。
思い切って電話したときに限って、父親が受話器を取る確率が高いのは筆者の気のせいでしょうか。使い慣れない敬語を使い、「自分は決して怪しいものではない」ことを伝えてなんとか彼女に電話を繋いでもらう。
そういう必死でリアルな経験をいまの若い子たちはしていません。
ケータイの発達でその必要がなくなったからです。しゃべりたくない人としゃべる必要がなく、そのまま社会人になっている人も少なくありません。
では、実体験をしていないとどうなるのでしょうか。
ネットでたいがいのことはわかると考えるようになります。バーチャルと実体験との乖離に気づいていません。
ですから、結果が見えないことに対して、「無駄なことはしたくない」と考えてしまうのです。
目の前に見えている近視眼的なことに対して、浅い経験に基づいて損得勘定をしてしまうのです。
ネットの弊害にもどっぷり浸かっている!?
記憶力が弱い――これがネット世代の最大の弊害ではないでしょうか。
わからないことがあれば、なんとか手がかりを掴もうとするものです。
文献に当たってみたり、詳しい人に訊ねたりして理解する。そして忘れないようにする。
でもいまのネット社会ではわからないことがあればネットでポン。ネット情報が充実していて、たいていの一次情報はネット検索でそれなりに調べることができます。その検索能力は抜群に発達しています。
しかし、簡単であるがゆえの弊害として、わからないことがわかっても、そのことを覚える必要がない。同じことがわからなくなっても、またネットで検索すればいいのですから(そのほうが正確ですし)。
覚えようという、面倒で無駄な行為を避けようとする意識が強いのです。
脳は使わなければ衰えるものです。わからないことを思い出そう、理解しようとする努力が脳を活性化させるのですが、ゆとり世代にはそれがありません。
しかも、ネットの情報はひととおり揃っていますが、底が浅く、フェイクらしきものも少なくありません。
その薄っぺらな情報で事足れりと満足していては、一歩先に踏み込めない、そういうところに危うさを感じます。
上司がしゃべったことはスマホでつながった同期に筒抜け
いまはだれもがスマホを持ち、Twitter(ツイッター)やLINE(ライン)などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使いこなしている時代です。特にイマドキ世代の若者はスマホは必携です。
そこでは自分が所属する組織以外のところでコミュニケーションの場が成立しています。
社内であったり、社外を含めたりして、上司の知らないところで情報が流通している実態があります。
たとえば、上司がある件でイマドキ君を叱責したとします。ところが、同じ件で別の社員はお咎めなしということがあれば、即座にそのコミュニケーションの場で広がってしまいます。「あの上司はひいきしている」「いやなやつだ」と、悪口雑言に拡大することもあり得ます。
あるいは上司が部下の女性に下ネタをしゃべったとすると、瞬時にしてあの上司はセクハラをした、と広がってしまう可能性があります。
さすがに会社員である以上、会社の機密に関することは外部のものとのコミュニケーションの場にはさらさないでしょうが、そういうツールを彼らが手にしていることを止めることもできず、上司の側も注意しなければなりません。
また、部署をまたいで上司同士でSNSで会話をして対策を練ることも必要となってきました。