はじめに

「老後2000万円問題」で年金不安が高まったことは記憶に新しいが、年金に関する批判的な報道が再び増えそうだ。新型コロナウイルス感染拡大の影響で世界中の株価が急落し、年金積立金の運用が大幅な損失となった可能性が高いからだ。理解が足りない一部のメディア等は国民の不安を煽るだろうが、この損失が原因で年金が減らされたり、ましてや年金制度が破綻する心配などは不要だ。決して鵜呑みにしてはいけない。

2019年度は「大幅損失」の可能性が高い

年金の積立金はGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が国内外の株式や債券に投資している。筆者の簡易的な試算では、2019年度第4四半期は17兆円程度、19年度累計では8兆円程度の損失となった模様だ。

損失の大半は国内外の株式投資によるもので、国内と海外の株式で計9兆円ほどの損失が発生したとみられる。株価が下落した2015年7~9月や2018年10~12月に大幅な損失が発生したときも「ギャンブル性が高い」などの批判が噴出したが、今回も同じような論調が増えるだろう。

年金巨額損失
(画像=ニッセイ基礎研究所)

累計では57兆円の黒字

一部メディア等に年金不安を煽りたいというインセンティブがあると今回の損失の大きさばかりをクローズアップしがちだが、GPIFが運用を始めた2001年度からの累計では57.8兆円の黒字だ。そして、収益の大部分は国内外の株式投資によるものだ。

過去にも2008年のリーマン・ショック時、2015年のチャイナ・ショック時など何度か大幅損失が発生したことはある。それでも、世界経済はいずれもショックから立ち直り、年金積立金の収益拡大に繋がった。それでも「GPIFの運用は失敗だ」とか「ギャンブル性が強い」といえるだろうか。

そもそも“ギャンブル”とは、「たまに大当たりして儲かるが大抵は損をして、トータルでは負ける」ものだが(イメージは“1勝9敗”)、過去19年間のGPIFの運用実績は12勝7敗だ。ギャンブルとは正反対で「3年に1回くらい損失が発生したが、ほかの年はプラスだった(2勝1敗程度)」が正しい評価だ。

年金巨額損失
(画像=ニッセイ基礎研究所)

株式の配分を増やさなかったら・・・

実はGPIFは2014年10月末に株式の投資割合を増やした。従来は資産全体の24%(国内株式と外国株式に12%ずつ)だったが、ほぼ倍増して株式への投資割合を50%(国内外の株式に25%ずつ)に変更した経緯がある。

当時は日本の金利が低下傾向にあり、10年国債の利回りがついに0.5%を下回った時期だ。資産の6割を国債に投資し続けても必要十分な利回りを確保しづらい等の判断から株式投資を増やした。しかし、この変更を取り上げて「ギャンブルだ」などと批判的な論調が散見された。

年金巨額損失
(画像=ニッセイ基礎研究所)

では、もし2014年に株式の割合を増やさなかったら、どのような収益結果になっていただろうか。GPIFの詳細な売買内容は公表されていないので、各資産の運用ベンチマーク指数の収益率(配当込み騰落率)を用いて試算してみよう。

株式の投資割合を増やすと発表した2014年10月末を100とすると、変更前(株式の割合が24%の場合)は2020年3月末時点で111.3であるのに対して、変更後(株式50%)は113.3と2ポイントほど高い。変更当時(14年9月末)の運用資産総額(約130兆円)をベースに考えると、約2.6兆円のプラス効果だ。

年金巨額損失
(画像=ニッセイ基礎研究所)

確かにグラフからは、変更後(株式50%)の方が今回のコロナショックによる株価急落の影響が大きい様子がわかる。しかし、約5年半のトータルでみれば、コロナショックを踏まえても株式を増やしたことによる資産価値への弊害は認められない。

GPIFによる株式投資の拡大は、一部メディア等が(鬼の首でも取ったかのように)報じるように「年金を破綻に導いた」どころか、「将来世代への給付をより確実にしている」と言えるのではないだろうか。

なお、株式投資の割合を増やせば、変更前と比べて短期的な値動きが激しく(リスク大きく)なるのは当然だ。GPIF自身も2014年に株式を増やす時点で、短期的な損失を世間から批判されることは想定済みだろう(それでも2014年度~19年度は“4勝2敗”だが)。

従来どおり日本国債中心の運用を続けていれば、そうした批判を受けずに済むかもしれない。しかし、今やマイナス金利の日本国債に資産の過半を投資し続けることが、国民の大事な財産である年金積立金を預かる者として本当に責任を全うしているといえるのか、大いに疑問だ。

年金支給に積立金はほとんど使われていない

ところで、「年金は積立金から支給される」と考えている人が多いようだ。だからこそGPIFの運用で損失が発生すると「年金減額!」や「年金破綻の危機!」などの過激な文字がメディアを賑わせ、さらにネットで拡散して大騒ぎになるのだろう。これは大きな間違いだ。

年金巨額損失
(画像=ニッセイ基礎研究所)

具体的な数字で示そう。2018年度の公的年金の支出総額は約53兆円で、その99%以上が年金の給付だ。財源は3つあり、(1)現役世代から集めた保険料(約38兆円)、(2)税金など(約13兆円)、(3)積立金など(約2兆円)となっている。つまり、保険料と税金が95%以上を占めており、積立金の貢献度は3.5%に過ぎない。

15年度以降の推移をみても、積立金の貢献は年間2兆円~5兆円程度だが、その積立金の残高は約170兆円ある(2019年末時点のGPIFの運用残高)。仮に積立金の運用で10兆円規模の損失が数年続いたとしても、年金が減ることもなければ、ましてや年金制度が破綻することもないと考えるのが合理的だろう。

定常的な収入(給与や親からの仕送り)だけでは少し足りず、170万円の貯蓄から年間2~5万円を取り崩して生活している人が、貯蓄が20~30万円減ったからといって直ちに生活費が足りなくなったり、生活そのものが破綻すると言えるだろうか。

100年先まで、積立金は年金支給の1割程度の見込み

厚生労働省によると、年金支給に占める積立金の貢献度は100年先まで1割程度で推移する見込みだ。しかも、この試算は6つの経済シナリオのうち悪い方から2番目(実質経済成長率0%が続く前提)の場合である。

今後も景気サイクルや災害などの影響で年金積立金の運用で大きな損失が発生することはあるだろう。大事なことなので繰り返すが、積立金の貢献度が1割程度ならば、運用による巨額損失が原因で年金が減額されたり年金制度が破綻することは考えにくい。

年金巨額損失
(画像=ニッセイ基礎研究所)

まとめ

新型コロナウイルスによる金融市場の動揺により、2019年度は年金積立金の運用で8兆円程度の損失が発生した模様だ。GPIFが運用結果を公表する7月頃には「年金が減らされる」とか「年金破綻の危機」といった過激な報道が増えるかもしれない。

また、損失の大半は国内外の株式投資によるもので、「2014年に株式投資の割合を増やしたことが失敗だった」などの批判も出てきそうだ。

確かに2019年度は大幅な損失となったが、GPIFが運用を始めた2001年度からの累計では約57兆円の収益を確保している。また、2014年に株式投資を増やしたことでコロナショックの影響は大きく受けたが、14年以降の累計では運用収益が増えた可能性が高い。

繰り返しになるが、そもそもの話として年金給付に占める積立金の貢献度はここ数年5%前後だ。今後100年間についても経済前提が悲観的なケースでさえ1割程度が続くと見込まれており、積立金の運用で大きな損失が発生したからといって年金が減額されたり、年金制度が破綻することなど考えにくい。

もっとも、GPIFの運用が本当にギャンブルに近く、中長期的にマイナスとなることが確実視されるのであれば、いずれ積立金が枯渇して年金制度自体が破綻の危機に直面するだろう。しかし、実際の運用がギャンブルとは程遠いものであることは先述の通りである。

こうした点に触れずに、年金積立金の運用で巨額損失が発生したことばかりを取り上げて世間の恐怖心を煽るのは無責任であると思われる。一部メディアには十分な理解がない中で誌幅や放送時間の制約もあり、インパクトのあるトピックスとしたいのは致し方ない面もあるかもしれない。年金運用については、断片的な情報を鵜呑みにすることなく、本質を見極める姿勢が重要だ。

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井出真吾(いで しんご)
ニッセイ基礎研究所 金融研究部 チーフ株式ストラテジスト・年金総合リサーチセンター兼任

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