国民ID
(画像=Manegy)

2020年8月3日配信記事より

国民に番号をつけて情報管理するというマイナンバー制度が、2016年1月から本格始動しましたが、当初からトラブルが続出し、日本ではなかなか浸透していないようです。

一方、海外では、行政手続きの効率化により、国民が行政サービスを簡単に受けられるなど、マイナンバー制度のメリットを享受している国もあります。そこで、海外のマイナンバー事情を調べてみました。

トラブル続出の日本のマイナンバー制度

マイナンバー制度が、日本ではほとんど機能していないことが、新型コロナウイルスの緊急経済対策として打ち出した特別定額給付金の支給をめぐるトラブルで明らかになりました。

マイナンバーを活用すれば、10万円の給付金の手続きも支給も “簡単でスピーディー”というのが政府の謳い文句でしたが、各地でマイナンバーカードを使ったオンライン申請によるトラブルが多発、オンライン申請を中止する市町村も続出しました。

オンライン申請の内容を手作業で確認しなければならず、郵送での手続きよりも支給が遅れる可能性やシステムダウン、また、マイナンバーカードの暗証番号を忘れたために再設定手続きを求める人が役所の窓口に殺到するなど、“三密回避”とは、ほど遠い状態でした。

マイナンバー制度は、番号で国民を識別する制度で、社会保障や税金などでの活用を目的としたものですが、個人情報流出の懸念や取得手続きの煩雑さもあって、カードを取得した人は、2020年5月1日現在でわずか16.4%にとどまっています。

マイナンバー制度のメリットを享受している国

では、マイナンバー制度がうまく機能し、行政手続きの効率化や、平等社会の実現、個人が行政サービスを簡便に受けられるというメリットを享受している国の例をみていきましょう。

まず、社会保障世界一と呼ばれているスウェーデンでは、氏名や住所などの基本的な個人情報に加え、クレジットカード情報や家族の所得・資産などが管理され、新たな手続きをすることなく、すべての福祉サービスを受けることができます。

また、面倒な確定申告も、個人の収入データをすべて国が把握していますから、国から確定申告の書類が個人に届きます。その書類を確認して、サインをするだけで確定申告が済んでしまうというのも、マイナンバー制度ならではのメリットでしょう。

資源が乏しく、少子高齢化の危機に直面していたエストニアは、その打開策としてICTによる強化を戦略として立て、1990年代に電子政府構想をスタートさせました。現在は、官民合わせて3,000近いサービスを、すべてIDに紐づけています。

たとえば、日本では運転中は免許証を所持していなければなりませんが、エストニアではIDカードを提示すれば、警察がデータベースに接続して運転免許証の有無を確認することができます。

また、店舗で購入した商品に対するポイントなども、店舗ごとのポイントカードは不要で、IDカードに統合されていますし、ネットバンキングの利用も可能です。同じヨーロッパ内では、パスポートの役割もマイナンバーが果たしています。

個人情報を一元管理するリスクが発生している国

みていくと、マイナンバーは便利でメリットが多い制度のようですが、さまざまなリスクもあり、大きな社会問題となっている国の例もあります。

たとえばアメリカでは、社会保障証番号を口頭で伝えるだけで、本人確認を済ませることができますが、そのために“IDのなりすまし詐欺”が多発し、死亡した家族の年金の不正受給や、IDの売買といった問題なども起こっています。

また、韓国では、クレジットカードの番号から、住民登録番号まですべてが一つの個人番号で一元管理されています。そのため、その情報が流出したときの被害を想像すると、取り返しのつかないことになりそうです。

実際に、2014年にはクレジットカードと、預金関連の情報が1億4,000万件ほど流出した事件も発生しました。クレジットカード会社の社員が、顧客情報をUSBにコピーして持ち出し、それを業者に販売し、さらにマーケティング会社などに転売されていったという事件です。

マイナンバー制度は、行政サービスの簡略化、便利さというメリットがある反面、使い方によっては、犯罪の温床にもなりかねないリスクを併せ持つものです。それだけに、情報を一元管理する国の透明性が求められるわけですが、その透明性という観点からも、日本での制度普及には、まだまだ時間がかかりそうです。

まとめ

行政事務のオンライン化は、業務効率化に欠かせない要素であり、それによって国民がメリットを享受できるのならば歓迎すべきことでしょう。しかし、それは個人情報を一元管理する国に対する、国民の信頼があってのことです。

果たして、国は、国民の信頼を得ているのかどうか。

それは、今回の新型コロナへの対応に限らず、残念ながら甚だ疑問といわざるを得ないのではないでしょうか。