人が“癒される”と感じるのはどういうときでしょうか?
美しい景色を目にしたり、子どもや動物と戯れたり、庭いじりをしたり……。音楽を聴くとリラックスできる、歌を歌うとすっきりする、という経験を持つ人も少なくないと思います。そんな音楽がもたらす「効果」を期待して実践されているのが「音楽療法」であり、医療や福祉などの現場で取り入れられるようになってきました。

今回は、音楽療法の定義を踏まえて、その歴史から、音楽療法とはどういったものなのか、音楽療法にはどういったことが期待できるのかについてまでを、お伝えします。

「音楽療法」の定義と日本の音楽療法士の現状

音楽療法とは
(画像=Medi Life編集部)

「音楽療法」と聞いたときに持つ印象としては、音楽を聴いて癒される、楽になる、というものが一般的でしょう。しかし、それだけではありません。音楽療法は自ら歌ったり、演奏したり、体を動かしたりと、場面によってさまざまです。

では、「音楽療法」とはどのように定義されているのでしょうか?
一般社団法人日本音楽療法学会は、音楽療法を以下のように定義しています。

“音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障がいの回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること。”
[引用元]一般社団法人 日本音楽療法学会:音楽療法の定義

ですが、音楽療法に関する定義は、国や地域、団体によって異なるのです。

たとえばアメリカの音楽療法協会では“協会から認定された資格を持った専門家によって築かれる治療的関係のなかで個人にあわせた臨床および科学的根拠に基づいた音楽の介入”と定義されています。

アメリカと日本の大きな違いは「誰が」音楽療法をするのか明確にされている点です。

日本では現在、音楽療法士は国家資格ではなく各団体の認定資格であることもあってか、アメリカのように「資格を持つ専門家の介入」とは定義されていません。

「音」の快・不快は人によって異なる

音楽療法のツールとなる「音」、そして「音楽」にもさまざまなとらえ方があります。
イギリスの社会人類学者で民族音楽学者でもあったジョン・ブラッキングは、“音楽とは人間が組織づけた音響である”と表現しています。
[引用元]「人間の音楽性」徳丸義彦訳 岩波現代選書(21)1978

ジョン・ブラッキングの言うとおり、わたしたちは、組織づけられた音や響きからさまざまなことを感じることができます。
たとえば、日本人の多くはセミの鳴き声で夏の到来を感じ、さらに人によっては風鈴の音で夏の心地よさを得ることもあるでしょう。
しかし、それは日本ならではの「音楽(サウンド)」サウンドであり、セミに馴染みのない地域に住む人にとっては、ただの「雑音(ノイズ)」だと感じてしまうかもしれません。秋の虫の声も、美しいと感じるか、うるさいと感じるかはそれぞれです。これは、歌や楽曲など、いわゆる「音楽」についても同じことが言えます。つまり音楽は、対象者の人生、生活背景や環境によって快・不快が異なるものなのです。もちろん、同じ人でも置かれた状況によって感じ方が変わることは、経験されているのではないかと思います。

音楽の「活用」という考え方

日本音楽療法学会の定義からもわかるように、音楽療法においては、音楽の演奏そのものが主体になるわけではありません。音楽が持つさまざまな機能、つまり生理的・心理的・社会的な機能をどう活用するか、これらの機能を対象者のためにどのような目的をもって活用できるかが、重要となるのです。

機能的音楽と芸術的音楽

音楽はいつのころからわたしたちとともにあったのでしょうか?
時代をずっと遡ってみると、シャーマンや治療師、祈祷師らは、音楽やリズムによって、病気の原因だと考えられていた悪霊を追い払っていました。

当時の音楽は、苦痛の緩和や快楽の提供といった目的、つまり対象者に向けたものではなく、その中にいる悪霊に向けられていたと考えられていますが、もともと音楽は医療とともにあったといえます。

また、紀元前時代から音楽は人を癒すといわれており、とくに旧約聖書「ダヴィデの竪琴」にある、サウル王を癒し慰めるエピソードは有名です。

さらに、合理的な医療が芽生えた古代ギリシャでは、音楽の諸要素を分析し、その法則性や調和性を治療に用いていたとされます。

日本も同様で、国内の音楽の始まりは、宗教儀式や癒しとともにありました。

人々が音楽を楽しむ、芸術的音楽が生まれるのは歴史が進んでからで、それよりも前に、癒やしや宗教儀式といった機能的な音楽が存在していたということになります。

近代的な音楽療法

日本における音楽療法の歴史を紐解くと、医療の分野で最初に活用されたのは1900年代の精神科領域だと考えられています。

一方アメリカでは、20世紀初頭から相手にあわせて音楽を使い分ける重要性が認識されるようになっており、第一次世界大戦中の病院における音楽活動や、第二次世界大戦後の音楽家の慰問活動の業績が高く評価されました。そして音楽における治療的価値の科学的検証と、専門家としての音楽療法士養成の必要性が認識され、現代の発展へと繋がっていくのです。

そして音楽療法はさまざまな領域で実践と検討が続けられ、苦痛の緩和やリラクゼーションのみならず、リハビリテーションの一環として、あるいは障害を持つ子供達の発達支援、高齢者福祉施設などでも行われるようになりました。

認知症ケアの現場で

現在もたくさんの現場で、認知症の方々へのより良いケアが検討されていることでしょう。そんな中、病気が進行して言葉が出づらくなってしまった方に、馴染みの歌を一緒に歌ってもらおうと促すと、自然と歌詞が出てきて歌い出すという場面がたびたび見られます。これは耳で聞いた音がしっかりと脳に届いて記憶を呼び起こしているということ。このことから音楽は脳にとてもよい刺激を与えていると考えられます。

認知症に限らず、脳神経科学の研究が進む中で、音楽療法が果たし得る役割、効果もより明らかになるだろうと期待できます。

リハビリテーション領域において

たとえば、パーキンソン病の患者さんは、どうしても歩き始めの一歩が出しづらい傾向にあります。そのような方に、音楽が持つテンポやリズムに合わせて足踏みや手拍子などをしてもらうことで、一歩目を踏み出しやすくなるという効果があります。
また、呼吸理学療法の際、大きな声を出して歌うことが、深呼吸を繰り返すことよりも分かりやすく、効果が上がるということもあるでしょう。言語聴覚士とともに行う摂食嚥下領域での発音・発声訓練として、歌うことは大きな意義を持ちます。

小児領域において

音楽療法は発達支援および教育支援の面でも効果が期待できます。子育てにおいて、わが子のためになにか出来ること、なにか良いことはないかと、ほとんどのご両親が考えるでしょう。そして学校教育においては、教師を中心に多くの人が、長く継続して子どもたちに関わります。

こういったご両親、教師のサポートとして小児領域、とくに障がいをもつお子さんの事例検討や研究は、日本でも積極的に行われています。

社会参加という側面でも期待できる

年代問わず、なんらかの要因で家に籠りがちになり外出の機会がない人にとっても、音楽療法の効果が期待できます。

たとえば、ただ外出を促されただけで出かけようと思える人は少ないかもしれません。ですが、「音楽を聴きに行こう」と誘ってみたらどうでしょうか。特別音楽が好きではなくても、外出するための明確な目的があれば、出かける気持ちになる人がいるかもしれません。また音楽療法のセッションに参加することで、療法士や他の参加者との会話の機会が増え、他者との繋がりを作ることもでき、少しずつ社会参加を促すことができます。

音楽療法の現状とこれから

日本では音楽療法士は国家資格ではなく、医療や介護の現場で診療報酬として算定できないこともあって、仕事をしていくにあたって経済的に安定しないという現状があります。

また、音楽療法も医療と同様、個別性を考慮しなければならない場面においては、皆で一緒に音楽を聴くというよりも、その人にあわせた音楽を用いて働きかける必要が出てきます。しかしそれは、高齢者福祉施設の利用者や、大部屋で入院している患者には物理的に難しく、まずは環境を整えるところから始めなければならないこともあります。

さらに、それぞれ馴染みのある音楽はさまざまですから、対象者各々の生活史を知ることが必要となります。小児領域に関してはとくに、そのときの流行りに敏感になって、その都度アップデートをしていかなければいけないという面もあります。

音楽療法では、音楽の機能を重視した介入が重要になるため、対象の理解が不可欠です。介入によっては、好ましくない結果を導くことにもなりかねません。これまで音楽を中心として活動してきた人が本格的に音楽療法を実践するためには、医療や心理、社会福祉などの知識が必要となるでしょう。

加えて、音楽療法の効果については、対象者とその家族、その場に居合わせる医療従事者が感覚的に良いと感じていても、数値化するのが難しかったり、一般化するのが難しかったりすることが少なくありません。これからも多くのケースを分析し、エビデンスを明確に提示できるようにしていくことが求められています。その積み重ねによって、さらに音楽療法の幅が広がり、あるいは深みが増し、またさらなる可能性がみえてくるでしょう。

上野 まき子氏

嚥下リハビリテーション学会認定士 看護師 助産師 保健師

幼少期よりピアノを福嶌正子氏に師事。看護師として勤務する傍ら、オーケストラや室内楽の演奏会に参加。病院での演奏会企画・運営や、勤務していた病院での職員オーケストラの運営にも携わった。地域にすむ高齢者対象の音楽療法を取り入れた会にも関わり、その取り組みを国際音楽療法学会で報告。病院内の集団リハビリテーションにも音楽を取り入れている。また、国内外の災害被災地支援や海外開発支援の経験も重ねている。

(提供:Medi Life

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