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個人投資家として活動し、投資関連書籍も数多く出版されているコアプラス・アンド・アーキテクチャーズ株式会社代表取締役の玉川陽介さん。現在、不動産投資を主としている玉川さんは、2020年9月に保有する不動産時価が100億円を上回ったそうだ。資産100億の常勝投資家に稼ぎ方の極意を聞いた。(取材・執筆・構成=ZUU online編集長 菅野陽平)
1978年神奈川県生まれ。学習院大学卒。大学在学中に情報処理受託の会社を創業し成長させる。M&Aにより上場会社に同社を売却後は、国内外の株式、債券、デリバティブ、不動産など多様な種類を取引する個人投資家となる。東洋経済、ダイヤモンド、日経新聞などへの寄稿多数、過去に学習院さくらアカデミー講師(金融リテラシ)ほか金融経済、不動産の講演を開催。金融商品分析や不動産投資の書籍は計10万部を超えるロングセラー。 2020年9月、コアプラス・グループの保有する不動産時価が100億円を超え、個人の経営する賃貸業において日本最大級となった。
――大学時代に起業して、M&Aで売却、その後は個人投資家として資産100億まで拡大させた玉川さんですが、どのような学生時代を送っていたのでしょうか。
子供の頃からコンピュータ一筋の生活をしていました。中学1年生のときに早々と受験戦争から離脱し、中学1年生から高校卒業まで勉強した記憶はほとんどありません。本当にパソコンやゲームばかりやっていました。大学受験の前日までゲームをやっていましたね。
ビジネスらしいことでは、中学時代はデータベースソフトを作ってネットで売っていました。高校時代はPC部品の転売などをしていました。中高時代は、成績順のヒエラルキー社会のもと、いじめ、暴力、賭博、盗難など、上品でない環境だったので、大いに鍛えられました。
その後、何とか受験に合格し、学習院大学に入学します。学習院は本当に素晴らしい学校で、中高時代とは一転、真面目で平和な人ばかりで、安心して生活できる環境でした。上品な人との接し方や、正装が必要な場面の対応ができるようになったのは学習院で学んだスキルです。
とはいえ授業にはほとんど出席せず、映像を作るサークルやパソコンサークルでの活動が学生生活の中心でした。夕方に起きて、夜はパソコン、朝になったら寝るという生活の繰り返しです。気になったことは夜通しで研究したり、制作していたりしていましたね。
いまでも、遊びや飲み会よりも、研究やモノ作りのほうが楽しいのです。お金が儲かることすら副次的であり、好きなことを好きなだけ研究して制作する。リア充とは真逆の生活ですが、成功している投資家にはこのような人が多いのも事実です。多くの場合は利益になりませんが、たまに利益になるイメージです。
ゆえに私は「何のために働くのか」というテーマを考えることはなく、好きなものをベースに仕事を作っていきます。たとえば、ルーターのコマンド体系が面白い→研究している間にネットワーク構築が得意になった→じゃあそれを仕事にしてみようかな。という考え方です。それが儲かるか、誰の役に立つかなどは重要ではありません。従い、マーケティングや広告という発想は基本的にありません。
――起業するきっかけは何だったのでしょうか?
学習院時代には友達もできましたが、そうはいってもコンピュータ一筋の人間ですから、一般学生のコミュニティに入るとなんだかんだ距離ができてしまいます。一般学生と交流するには、彼らがやらないような「何かすごいこと」をやる必要があると感じ始めてきました。輪の中に入って馴染むのではなく、別の立場で関わるしかないと。そういう点で、「ちょっと変だけどすごい人」であることは大事だと思いました。変なだけでは受け入れてもらえません。
「このまま普通に就職しても埋もれる。コンピュータが使える強みを活かしたい」という気持ちもありましたね。何の記事だったかは忘れてしまいましたが、「サラリーマンは基本的にアルバイトと同じなんですよね」というインタビュー記事を見て背中を押されたことも記憶に残っています。
年収5000万円相当、貯金は1億円を超えても多忙な生活を続けた理由
学習院大学1年次に、統計データ処理受託の会社を立ち上げました。「社会は厳しい」というフレーズをよく耳にしますが、私にとっては中高時代のほうが厳しかったです。大人は法令遵守でまともですから。中高時代の同級生のような『ナニワ金融道』の登場人物のような人はいません。なので、大人とのやりとり自体は楽でしたね。
何事も最初が大事です。最初がうまく回れば、あとはそれを拡大していくだけですので。起業してから軌道に乗るまでは、毎日3件の営業先打ち合わせ、50件以上の電話、100通近いメールをさばいていました。あまりに電話対応が多く、たくさんの時間をとられました。おかげで今でも電話は嫌いです。
仕事が終わるのは深夜1〜2時くらいです。効率化しないと仕事が終わらないので、必死に効率が良くなる方法を考えていました。それでも忙しすぎて短期記憶障害になりました。さっき聞いたばかりなのに、打ち合わせしている相手の名前が分からないのです。脳のMRIを撮りに行ったこともあります。
一番忙しいときは、タクシーの中にモバイルプリンタを持ち込んで資料を印刷していました。深夜4時に大量の郵便物を持って郵便局に行ったこともあります。受注が途切れることはなく、いつの間にか年収5000万円相当、貯金は1億円を超えましたが、それだけお金があっても将来不安のほうが大きかったのでお正月も働いていました。
仕事が途絶えて収入がなくなる恐怖に勝てず、事務員も雇わなかったため、本来アウトソースすべき仕事も自分で対応していました。あまりの忙しさに、いくら儲かっているかも分からない状態でした。
忙しすぎて、儲けが出ても喜びの感情は特に湧きません。ひたすら仕事をこなして終わりです。20代は遊んだ記憶がほぼゼロです。趣味に費やした時間もありません。2006年に会社の売却を決めたのは人生最大の正しい選択だったと思います。
――なぜ業績好調の会社を売却されたのですか?
毎日、深夜まで仕事に忙殺されていては、利益が出ていてもクオリティ・オブ・ライフ(QoL)が高くありません。それに加えて、「サラリーマンの生涯賃金が3億」と聞いて、早く3億円の預金残高を作らないとそのうち大変なことになると勘違いしていたのも出口を迎えることを決めた理由です。悩む時間すらとれない状況でしたが、2006年はリーマンショック前のミニバブルだったので、2億5000万円というバリュエーションで買ってくれる先が現れました。
また、受託の仕事は、いわゆる下請け、孫請といわれる現場で召使いのように扱われることが常です。独創的な要素にも乏しいため、これを定年までやるのはQoLが低いと感じていました。金融や投資には興味があり、そのような仕事もやってみたいと思っていたことも売却理由のひとつですね。
統計データ処理受託会社の社長時代に最も悲しかったことは、学生から「就職先がなかったら雇ってください」と言われることでした。うちは就活に失敗してどうしようもないときに仕方なく行くような、取るに足らない会社なんだなと。これは現職でも意識していて、「分かる人には良い会社」ではなく「知らない人が見ても所属したいと思える会社」にならないといけないと思っています。
――会社を売却されたあとはどうされたのですか?
忙しさから解放されたときは、正直何をしていいのか分かりませんでした。受験が終わってやることがなくて困っている高校3年生のような状態です。ただ、好きなことを探し続ける性格が幸いして、金融市場や不動産という次の研究対象を見つけるのは早かったです。
現在の仕事は、一般的には大家業と言えるでしょう。大家業は、統計データ処理受託会社の法人営業に比べれば仕事量は1/10以下で、ほぼ仕事がないようなものです。ある意味、過去のブラック職場の経験は役に立っています。
不得意なことは全て捨てて、一点集中することが許される
――玉川さん流のキャリア論、稼ぎ方を教えて下さい。
勉強のやる気が出ない。学校がつまらない。などの理由で、王道の進路を諦めることは往々にしてあると思います。ここからは私見ですが、無理して「一流の会社」に入る必要はありません。むしろ、そのレースを降りてからが面白いのではないでしょうか。
数学ができなければ音楽や体育をやればいい。それもできなければコンピュータや金融市場と向き合ってもいい。普通の人が選ばないテーマで面白いことをやって、経済的にも成り立つような道を探せば良いと思います。何かの分野で一度だけ100点を出せばそれで良いのです。
企業に勤めるサラリーマンは、多方面で均等に能力がなければいけません。国語0点、算数0点、物理10点、英語300点では試験に受かりません。朝早く起きて、9時頃には出社しないといけません。嫌な上司とも円滑にコミュニケーションをとる能力が求められます。
一方、投資家や事業家は何かひとつだけできれば良いのです。実際、成功している投資家は、国語0点、倫理0点、言語コミュニケーションに至ってはマイナス30点、政治経済だけ500点のような人が多いです。センター試験では政治経済の利用価値は低いですが、現実社会では差し引き+470ポイントなので、全て90点を取る優秀な社会人よりも儲けが多くなります。
朝起きるのが苦手なら深夜に働けばいいし、コミュニケーションが苦手でも大きな問題はありません。ただ、人とのコミュニケーションが苦手すぎるとトレーダー以外の仕事では支障があるので、普通の人と普通に話せるスキルも重要です。成功している投資家には奇人変人が多い中で、私はそれなりに普通の人と会話が成り立つのは、大学時代に一般文系の友人が多かったことと、統計データ処理受託会社の経験が活きていると思います。
しかし、一般の人と関わりが増えると研究開発に注ぐエネルギーが吸い取られている気がして、あまり普通化しないように心がけています。飲み会には呼ばれないくらいがちょうどいいと思います。
話を元に戻して、なぜ差引計算が成り立つかといえば、なんだかんだ、仕事の成果は最終的にお金という定量的な指標に帰結するからだと思います。仕事の目的はお金を稼ぐことだと言いたいわけではなく、お金は損益通算できるので、不得意なことは全て捨てて、一点集中することが許されるという意味合いにおいてです。
つまり、経済社会においては、試験と違って不得意分野での足切りはなく、全体で見たリターンがプラスになっていれば、何かできないことがあっても誰にも文句は言われないわけです。朝は起きないし話は聞いてないけど、利益を運んで来るから、まあいいか。というのが許されます。渋谷のITベンチャーが相互関連のないウェブをたくさん立ち上げてはたたむことを繰り返しているのも同じ理由でしょう。何度でも空振りしていいから一度だけホームランを出せば、有り余るほどの大きな果実を得られるわけです。
そのため、経済社会においては苦手なことは努力改善するよりも放棄するのが得策です。最後まで頑張るよりも早めにロスカットして、得意分野に専念するのが合理的です。苦手分野で100万円稼いでも、得意分野で100万円稼いでも、どちらも同じ100万円だからです。