2050年までに温室効果ガスを実質ゼロにまで削減するという方針を菅首相は、所信表明演説で打ち出した。原油価格が下落した今こそ、再生エネルギー普及が停滞し、これからはCO2 が増加していきそうな予感がする。そうした点をどう考えるのだろうか。

環境問題
(画像=PIXTA)

目次

  1. 新しい世界標準
  2. 隠れた壁
  3. なぜ今なのか?
  4. 日本の事情と菅首相の姿勢

新しい世界標準

菅首相は、10月26日に所信表明演説を行って、その中で、グリーン社会の実現として、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにすると宣言した。カーボンニュートラルの方針である。

これまでの日本は、2050年までに温室効果ガスの排出量を2013年度比▲80%削減、2030年度までに同▲26%削減するとしてきた。その目標をさらに早めた格好である。欧州では、2019年12月にグリーンディールを発表して、やはり2050年の実質ゼロを掲げた。今回、日本は、欧州に足並みを揃えたことになる。

この日本の発表直後、韓国の文大統領も2050年の実質ゼロを宣言している。中国では、これまで2060年までにCO2排出量の実質ゼロを発表していたが、それに2035年までにすべての新車販売を環境対応車(ハイオブリッドを含む)に切り替える方針を加えた。

完全に環境問題への対応で出遅れている米国でも、民主党の大統領候補であるバイデン氏が2035年までに発電所からの温室効果ガスをゼロにすることを目指すとしている。米国では、民主党が掲げる環境対応のインフラ投資が、景気刺激になると理解されている。バイデン氏が大統領に当選すれば、パリ協定に米国が復帰することが約束されている。2015年に採択されたパリ協定では、産業革命以前に比べて世界の気温上昇を2度未満に抑える必要性が訴えられた。そして、努力目標として、1.5度未満の抑制が示された。日本が宣言した2050 年までにカーボンニュートラルを実現することは、この1.5度未満の気温上昇に抑えるために努力目標に沿ったものだ。

隠れた壁

筆者は、政府の温室効果ガスの削減には全面的に賛成である。問題は、良識で考えると賛成できる政策であるものの、経済原理としては「隠れた壁」があることだ。その壁をもっと意識しなくては、再生エネルギーの普及は思うように進まないだろう。

その「隠れた壁」とは、発電コストのことである。再生エネルギーが化石燃料や原子力発電の発電コストよりも低くならないと、再生エネルギーへの移行が進みにくいからだ。

再生エネルギーの普及について考えるとき、2012年に導入された固定価格買取制度の教訓は重要である。2012年にこの制度が開始されたとき、太陽光発電は、当初、10kw以上の発電に対して、20年間固定で40円/kwh(税別)の買取りをする仕組みだった。この価格であれば、実際の発電コストとの間に

大きな利鞘が生じた。それを目当てに、多数の事業者が太陽光発電に参入した。再生エネルギーの普及の点では大いなる進捗だった。しかし、買取価格はその後2013年度38円、2014年37円と下がり、事業参入は減っていく。2019年は14円にまで引き下げられた。もしも、40 円のままで買い取りを進めていれば、太陽光発電の普及はもっと進んでいたはずである。反対に、企業や家計が支払う電気料金は、固定価格買取制度で割高な再生エネルギーの発電分を買い取ったために高くなった。これは、温室効果ガス削減の代償とも考えられる。太陽光の事業者から話を聞くと、利鞘を獲得するための技術開発競争が起こり、太陽光の発電コストは過去10年間で劇的に下がり、2012年の制度は素晴らしかったという評価を聞く。しかし、多くの報道では、この制度は失敗だったというものが目に付く。

もしも、割高の再生エネルギーの普及を目指そうとすれば、消費者は電気料金の高コストを甘受しなくてはいけなくなる。これが壁になって、再生エネルギーの普及は2050年など遠い目標が設定される。

仮に、消費者が高い電気料金を支払いたくないのであれば、政府が補助金(税金)を使って肩代わりするしかない。つまり、温室効果ガス削減と発電コスト、補助金の3つは、互いに綱引きの関係にあるのだ。政府が、2050年のカーボンニュートラルを実現しようとすれば、やはりこの壁が立ちはだかる。おそらく、政府の想定には、イノベーションが成功して、再生エネルギーの発電効率、蓄電池開発、水素技術、省エネ技術の急激な進歩が成し遂げられて、化石燃料よりも再生エネルギーの発電コストが下がるだろうという技術的楽観主義が根底にあるとみられる。

なぜ今なのか?

少し不思議に思うのは、コロナ禍で世界経済が悪化していることで原油価格が下がっている状況が、再生エネルギーの普及には逆風ではないかという点である。それに1バレルが40ドルを切ると、米国などのシェールガス開発も事業破綻が起こる。すると、米国には、中東から原油輸入が増えて原油消費量が減りにくくなり、CO2排出量も相対的に増えてしまう。そのようなタイミングにバイデン候補が積極的なグリーンリカバリーを唱えるのも不思議な印象を抱く。

この疑問を考えると、バイデン氏のような民主党政策の支持者には、違和感がない筋道を描くことができる。それは、化石燃料の発電コストが下がっている今だからこそ、先々の温室効果ガス削減を考えて、補助金を出してでもよいから再生エネルギーの普及を進めるという考え方である。そんなことをすれば、財政支出が増えると懸念してしまうが、民主党は「大きな政府」に抵抗感が乏しい。赤字の分は、政府支出が肩代わりをしながら、再生エネルギーの普及をすることが、インフラ投資を促進して経済のためにもなるという発想になる。この点は、トランプ大統領の属する共和党には相容れない考え方である。

日本の事情と菅首相の姿勢

日本の場合、再生エネルギーの普及は、原発との間で微妙な関係がある。経緯は、2011年の東日本大震災で原発が停止して、火力発電が増えたことである。原発再稼働がうまく進まず、コスト高を気にして再生エネルギーの普及も足踏みするというジレンマが従来の安倍政権にはあった。安倍首相は、固定価格買取制度が民主党政権下で実施されたので、この制度には極めて否定的な捉え方をしていた。かといって、原発再稼働ができないので、火力発電を増やすしかなかった。安倍政権は、原発再稼働には寛容だったと感じられる。

それに対して、菅首相は少し違う雰囲気を所信表明演説では示した。まず、「長年続けてきた石炭火力発電に対する政策を抜本的に転換する」と述べた。老朽化した石炭火力への依存を止めるということだ。それと並行して、「安全優先で原子力政策を進める」とも述べている。2050年のカーボンニュートラルに向けて、新規の原子力発電所を作るかどうかは、ここでは読み取れない。経済産業省は、年内にカーボンニュートラルの実現に向けた実行計画を策定する方針である。その中で、原子力政策はより輪郭がわかっていくだろう。

首相発言には、「温暖化対策はもはや経済成長の制約ではない」という発言がある。これは、ニュアンスとしては、バイデン氏と同じように、補助金を出してでも再生エネルギーを推進しようということを指しているのだろう。その点では、安倍首相よりも再生エネルギーに関しては熱心だという印象を受ける。

再生エネルギー普及を経済成長につなげるという主張は、10月22日の米大統領選挙の討論会で、トランプ氏とバイデン氏の間で最も意見が逆方向を向いた論点であった。政府の支援を積極的に行って再生エネルギーを普及させるというバイデン氏の発想に、菅首相はおおむね同意見なのだろうか。今後も菅首相が軸足をどこに置くのかを注目したい。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生