本記事は、Nami Barden氏、河合克仁氏、Krishnaraj氏の著書『世界のエリートが実践する 心を磨く11のレッスン』(サンガ)の中から一部を抜粋・編集しています
超越した経験と、新たな世界観を得る
コンシャスネスとは「意識」の学びです。日本ではまだ耳慣れない言葉かもしれません。しかし、グローバルレベルでは、大変人気のある学びの1つです。
コンシャスネスを学ぶことには、3つの利点があります。今回は、3つ目の利点についてお伝えします。
私たちは、際限のないコンシャスネスです。しかし私たちは、この永遠なる存在に気がつかないまま生きています。
私たちは普段、制限された身体(BODY)の観点で物事を捉えています。例えば、自分の性別、学歴、キャリア、思考、感情、記憶。また、家の経歴や文化、社会、宗教、そして国境。このような自分を制限する観点はたくさんあり、私たちはこれらの枠に縛られたまま物事を捉えてしまっています。それはまるで、小さな鍵穴から大空を覗き見ているような状態です。
しかし私たちは、コンシャスネスの学びを進めることで、限られた存在を超えて、言葉では言い表せない壮大な存在を垣間見ることがあります。際限のない幸福な性質のコンシャスネスを、ほんの少しだけ経験することができるのです。
このエゴセルフを超えて、際限のないフィールドを垣間見ることを「トランセンデンス(超越する)」と言います。
このトランセンデンスの経験は儚く、永遠には続きません。しかしこのトランセンデンスの経験をすることで、自分がいかに今まで限りのある狭い世界観で物事を捉えていたかを知ることができます。
この経験を基に、コンシャスネスの学びをさらに高め、心を磨いていくことができるようになります。知恵を学び、気づきを得て、そして自分と他人に対して思いやりの心を育むことができるようになり、「すべては1つ」であることを理解するのです。この「すべては1つ」というのは、BODY(身体)のリミットを超え、自分も含めて、空気も物質も、地球も宇宙も、「すべては1つである」という観念です。
例えばスポーツで、「チーム一丸となる」「選手が観客と一体となって勝利を収めた」と表現されることがありますが、実はこれこそが、「すべては1つ」という概念を体感した人の言葉です。
「超越する」というトランセンデンスの経験をするまでは、心を磨くコンシャスネスの学びは「知識・情報」として捉えることしかできません。マインドで「ああ、こういうコンセプトがあるのか」と、「知識・情報」として頭に記憶されるのみです。知恵だけでは心は磨かれません。
マインドだけで切り刻むように物事を解剖して判断する方法だけでは、コンシャスネスの本質を知ることができないのです。コンシャスネスはすべてを含む性質を持つため、切り刻む性質があるマインドの理解の仕方には限りがあります。そして、頭だけで理解している人は、物事をグルグルと考えてしまい、喜びや平穏さからほど遠い状態で生きてしまうのです。
だからこそ、コンシャスネスの学びでは、「知恵」と同時に「体感」が必要になります。
知恵は、知識や論理や哲学を学ぶこと。そして体感は、メディテーションや呼吸法を通して、身体を整えていくことです。
この知恵と体感の2つを同時に行うことで、コンシャスネスの学びは深まり、いつしかトランセンデンスの経験をする「その時」がくるのです。
知恵だけではうまくいかないのと同様、体感ばかりやってもうまくいきません。例えば洞窟に入って長年メディテーションを行い、素晴らしい気持ちになったとします。思考は鎮まり、穏やかな心を手に入れることができるでしょう。しかし、一度現世に戻ってきて様々な問題に直面したとき、どうでしょうか。知恵や哲学がなければ、どのように苦悩を解消するかが分からず、また同じパターンで逃げるように洞窟へ戻ってしまうかもしれません。
知恵があることで、現実に起こり得る問題と苦悩を解消することができます。そして知恵と自分の経験を基に、自分だけでなく、他者も助けていくことができるのです。
知恵だけでも体感だけでもダメ。コンシャスネスの学びは、知恵と体感の2つのバランスがうまく取れて、初めて地に足の着いた心の学びとなるのです。
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