円高がじりじりと進む、一時102円/ドル台をつけた。以前であれば、回復途上の日本経済の腰折れが懸念されるが、今回は必ずしもそうした恐怖症の声は聞かれない。その理由は、株高の背後にある楽観論や実効レートで円高が進んでいないことが考えられる。
なぜ恐怖症にならないのか
ドル円レートが一時1ドル102円台をつけるまでに円高になった(図表1)。以前であれば、もっと円高への不満が爆発していたはずだ。また、今後、円高がさらに進んで間近に1ドル100 円割れが意識されることも起こっていただろう。今回はそうした恐怖症の声はあまり聞こえてこない。極めて不思議なことだと思える。
折しも、コロナ感染が急増していて、経済活動への制約が再び大きくなることも警戒される。日本企業は治療中、あるいは病み上がりで盤石からはほど遠い。この状況で円高に見舞われれば、ノー・ダメージでは済まない。円高恐怖症が生じない理由をどう理解すべきなのだろうか。
ひとつの理由は、市場センチメントである。従来は、円高のときは、リスク回避の円高だった。現在は、内外の株価が高く、その背後には楽観的な見方がある。先行きの経済への超楽観的な見方が足元の円高に対するリスクを過小評価させる。以前ならば市場センチメントが総じてリスク回避的になって、資金は安全性を求めて円買いに走った。悲観的な市場センチメントに対して、円高が企業収益に与える打撃が想起されて、ますます悲観的な見方が助長された。今回は、そうした悲観論が支配的ではない。為替と株価の関係も、円安・株高から円高・株安の関係になってはいない。
もうひとつ、ドル円以外の他通貨との関係もある。ドル円以外の通貨を総合した名目実効レートでみると、円高はそれほど過去の局面のようには進んでいない(図表2)。2009~2013年の時期、つまりリーマンショックからアベノミクスの開始直前まではもっと円高であった。
企業についてみれば、12月の日銀短観の想定為替レートは、2020年度下期は106.55円/ドルであった。1ドル103円で計算すると、▲3.3%の円高である。ユーロ円の方は、2020年度下期121.10 円であり、1ユーロ126.5円で計算すると、4.5%の円安になる。ドル円以外の円安が全体の円高効果を減殺しているので、ダメージが相対的に小さくなっているとみることはできる。この実効ドルの円高が進まない理由には、ドル安主導という事情もある。ドルが独歩安になって、円やユーロなど他通貨が円高になるとき、円とドル以外の他通貨の関係がほとんど変わらないとすると、円高の度合いは薄まる。実効レートの円高は、円の独歩高のときに円高に進むのである。
実効レートに関しては、実質実効レートが円高になっていないこともある。これは、日本の物価上昇が進むとき、通貨価値が実質的に安くなる作用を、実質実効レートが織り込むというメカニズムである。2013年のアベノミクスの開始以降、実質実効レートは緩やかに割安に向かった。この作用も、企業にとっては実質的な耐久力を高めることになったのだろう。
ドル安はなぜ進むのか
ドル安の理由は、米国の金融・財政政策の効果によるものだ。12月のFOMCでは、委員たちの見通しは、2023年まで利上げをしないという見方が大勢であった。資産購入も雇用・物価データが相当によくなるまで続ける意向だ。FRBのバランスシートが拡大したまま低金利で放置されることは、ドル安要因になる。
また、財政運営面でも、ドル安の流れである。米経済は、小売売上高が11月に前月比マイナスになるくらい良くない。10月も改訂されて前月比マイナスである。感染拡大が消費の減速に表れている。それにもかかわらず、米経済の見通しが悪くならないのは、財政出動への期待感が強いからだ。早晩、9,000億ドルの対策が実施されることだろう。バイデン次期大統領が就任すれば、4年間で2兆ドルの財政出動が行われる。こうした財政支出の増加は、米国債発行によってまかなわれる。ドル負債の拡大に対して、海外から資金が調達がされる。これはドル安要因だ。ドル需要が増えて、ドル資産が買われるときはドル高になる。国債発行でドル供給の必要が増えるとき、逆にドル安になる。近年、米長期金利が上昇してもドル高にならないのは、過去からの図式が変化して、ドル負債増によるドル安の作用が強まったからだろう。米長期金利とドルの相関関係は薄くなってしまった。 ならば、先行きのドル安は当面続き、円高局面も継続するのであろうか。ドル円レートを6月以降の時間トレンドで伸ばす、毎月0.7円の円高進行が起こっている計算になる(図表3)。この計算をさらに延長すると、2021年5月頃には1ドル100円を切ることになる。もしも100円を割り込む円高になれば、現在よりも円高恐怖症の心理は強まっていく可能性がある。
仮に、そうならないシナリオを描くと、米国経済の自律的成長が強まるときである。例えば、自律性が弱いときは、財政刺激がなくなると、「財政の崖」などが心配される。もしも、財政出動が行われた後で、小売売上高が前月比で自律的に伸びていくようになれば、もはや「財政の崖」などと言われなくなる。果たして、2021年にそうした局面変化が起こるだろうか。それは、米国におけるワクチン効果次第であろう。今しばらく局面変化を見極めたい。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生