困難の多かった2020年が終わろうとしていた12月29日、世界的ファッションデザイナー、ピエール・カルダン氏が永眠しました。この報せはただちに全世界に広がり、ファッション界をはじめとする各界に大きな衝撃をもたらしました。

この記事では、カルダン氏の逝去を受けて社会的な関心も向けられている今、2020年に公開された同氏の初のドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・カラフル!」にも登場したアイコニックなカルダンコレクションを紹介しつつ、手に入れるための値段にまで迫りたいと思います。

生涯現役を貫いたピエール・カルダン

ピエール・カルダン,コレクション
(画像=Renan/stock.adobe.com)

2020年末に報じられた、巨匠・カルダン氏の逝去。同年10月、J PRIME編集部で彼のドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・カラフル!」を紹介した矢先のことでした。

世界的なファッションデザイナー、ピエール・カルダン氏は、90歳を超えても現役を貫き、数々の偉業を成し遂げてきたことで知られています。長寿の秘訣は、「Work, work, work and stay happy(働いて働いて、幸せでいること)」。

好きなことを仕事にすることは幸せなことですが、その情熱を継続できることは誰にでもできることではありません。最後までエネルギッシュに活動したカルダン氏の生き方から学ぶものは、きっと多いはずです。

そこで、まずは彼が遺した数々の名言の中からいくつかを拾いながら、その偉大な功績を辿ってみましょう。

名言で振り返るカルダン氏の功績

98歳まで生涯現役を貫いたカルダン氏の功績。それは、ファッション界における革命の歴史でもあります。その原動力となったファッションにかける熱い想いが、言葉の節々から感じ取れます。

私が好む服は、未だ存在しない人生、そして明日の世界のために私がつくったものです

1922年、イタリアのヴェニス近郊に生まれたピエール・カルダン氏の一家は、ファシズムが台頭するイタリアを離れ、フランスに移り住みます。

パリに移り住んだカルダン氏はマダム・パカンのアトリエに入り、ジャン・コクトーの映画『美女と野獣』の衣装や仮面を担当したり、コレクションデビュー時のクリスチャン・ディオールのアトリエで働くなどしたりして実力をつけていきます。

1950年に独立したカルダンは、そのユニークな才能で次々と新作を発表。アメリカでプリーツコート20万着が売れるなど爆発的な勢いで有名になっていきます。1953年に初のオートクチュールコレクションを発表したカルダン氏は、著名人や有名雑誌の編集長らにその実力を認められることとなりました。

1954年代には、かつてないシルエットのドレス「バブルドレス」を発表。幾何学模様を取り入れた前衛的なデザインは瞬く間に世界中で評価され、カルダン氏を最高峰のモードファッションデザイナーへと押し上げました。

周りから“プレタポルテ”は失敗すると言われましたが、私はそれに助けられたのです

オートクチュール全盛期ともいえる1959年、カルダン氏は初の婦人プレタポルテ(既製服)のコレクションを発表します。彼は「庶民のための服を作る」と宣言し、フランスのオートクチュール組合会員として初めて既製服の市場に参入したのです。

当時は、特別に仕立てた服は高価なものとなり、一部の富裕層しか手に入らないものでした。ところが、カルダンの行動によって、一般の庶民でも百貨店で憧れの新作が手ごろな値段で購入できるようになります。まさに「モードの民主化」というべき出来事でした。

私たちは“性別”という服から開放され、もう着ることはないでしょう

1960年、カルダンはクリヨンホテルで初のメンズウエア・コレクションを発表したのをきっかけに、メンズファッションに進出します。それは、それまでの伝統的な英国調のメンズスタイルを一新したデザインを提唱し、人びとを大いに驚かせるものでした。

発表には当時席巻していた俳優を使わず、学生をモデルとして雇いました。「シリンダーライン」と呼ばれるこのコレクションは、ビートルズが着用して全世界に知らぬ者はないほど広まることになります。

どれも似たり寄ったりで、「デザイン」という概念がなかった男性用の服にこの概念を持ちこんだことは、ファッション史上において革新的な出来事だったのです。このことは、男性用スーツの世界に革命をもたらしたばかりではなく、ユニセックスファッションへの道を開くものでした。

まずは形。つぎにボリュームや流れ、柔軟さを表現する素材。色は最後です。

カルダン氏が有色人種のモデルを登用するまで、ファッションモデルは白人女性というのができあがっていた概念でした。彼はアジア人、黒人、男性もモデルとして登用し、ファッションを世界中に広がる多様な民族に解放しようとしました。

黒人のナオミ・キャンベル、日本人の松本弘子などが代表的な有色人種のモデルです。性別や人種の壁を取り払い世界中のすべての人に、「装う」ということの楽しさを伝えようとしたカルダン氏は、21世紀の現在では当たり前となっている「多様性」というキーワードをいち早くとらえていたといえます。

実際、「ドレスは体が従う“花瓶”だ」と語っているように、どのような花(女性)であっても、自分がデザインした花瓶によって美しく装飾できると考えていたに違いありません。

私の名前は、私自身よりも重要な意味を持っています

カルダン氏はビジネスマンとしても革新的でした。特筆すべきは、ライセンスビジネスの先駆者であったこと。対価と引き換えに自身のブランドのロゴマークを企業に対して使用許可を与える、いわばブランドを名乗る権利そのものを販売したパイオニアなのです。

洋服はもちろんのこと、カーテン・シーツ・タオル・スリッパから自転車に及ぶまで、ありとあらゆる商品に「ピエール・カルダン」のロゴを目にすることとなりました。こうして経済的にも大成功を収めたカルダンのビジネスモデルは、その後ほかの多くのデザイナーが模倣することとなります。

2069年には、誰もが月や火星を私の「コスモコープ」アンサンブルを着て歩いているでしょう

カルダン氏は1970年、中国で初のファッションショーを開催しました。当時は冷戦下で社会主義国におもむいてイベントを開催するなど考えられなかった時代です。そのファッションショーは万里の長城で行われ、当時人民服しか着ていなかった中国の人たちに世界最新のモードファッションを見せたのです。

装う楽しみは世界共通。まだファッションを楽しむ習慣はないにしても、いずれその時代はやってくるはずだと考えたカルダン氏の目には、中国という巨大市場が見えていたのです。上述の名言からも、彼の思考のスケールの大きさが感じられることでしょう。

このファッションショーは、何者かによってつくり上げられた既成概念は無視し、本質を追求し続けたカルダン氏の並外れた先見性を象徴する出来事でした。

唯一無二の魅力を放つ名作の数々

カルダン氏が発表してきた革新的なコレクションは枚挙にいとまがありませんが、往年の代表作をいくつか紹介します。

・プリーツコート(1952年)
クリスチャン・ディオールのもとで働いていたカルダン氏は1950年に独立。しばらくして1952年にこの作品を発表しました。プリーツといえば薄手の記事に用いられる技法という既製概念を超え、厚手のコートに応用したのです。この作品はアメリカで飛ぶように売れたといい、カルダン氏の名は瞬く間に広まることとなりました。

・バブルドレス(1954年)
カルダン氏が特に好んだという幾何学形状、“丸”をモチーフとしたのが「バブルドレス」です。ウエストで締められたドレスが裾に向かって丸みを帯びた“バブルシルエット”になるデザインで、世界的に広く成功しました。

やがて、バブルドレスに見られたような幾何学的なシルエットを多用しながら、未来を想起させる作風になっていきます。科学技術は急速な進歩を見せ、時に世界は宇宙開発競争の真っただ中でした。

・シリンダーライン(1960年)
襟のないジャケットが特徴的なシリンダーラインはビートルズの衣装として、あまりにも有名です。ドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・カラフル!」のなかではビートルズに衣装についてインタビューするシーンがあり、「そのスタイルは?」と聞かれた4人が声をそろえて、「ピエール・カルダン!」と答えているシーンがあります。

・コスモコールコレクション(1964年)
カルダン氏を代表するコレクションのひとつです。ビニールやジッパーといった当時としては斬新な素材を用いて、宇宙服を連想させるようなデザインのコレクションには、21世紀と科学の進歩に夢と希望を見いだした時代の雰囲気がでています。

・エッグカートンドレス(1968年)
素材に化学繊維を使うようになってからこれまで考えられなかった試みがなされます。“エッグカートン”と呼ばれるこのドレスは、特殊な化学繊維の布地に、卵パックのようなエンボス加工を施されたユニークな作品です。

ピエール・カルダンをまとうための値段は?

伝説的ブランドである「ピエール・カルダン」。ぜひ身にまとって、ファッションに情熱を捧げたカルダン氏の想いを汲み取ってみたいものです。

現在、「ピエール・カルダン」のコレクションは婦人服で3万円~4万円代です。Tシャツなどでは1万円~2万円位。メンズではカシミヤのコートで27万円強というものもあります。

もちろんヴィンテージとなれば話は変わります。2021年1月執筆時点では、1960年代のワンピースの古着などでは5万円~6万円の値が付くものも見受けられました。往年の名作を購入するとなれば、さらに値が張ることもあるでしょう。

一方、ライフスタイル関連で喫煙具やネクタイ、食器などサイズに関係なく手に入れやすいものに関しては数多く出品されており手ごろな値段で手に入るようです。

アイテムにもよりますが、モードファッションを大衆でも楽しめるように苦心したカルダン氏の理想は、十分に実現されているといえるのではないでしょうか。

ピエール・カルダンの真価とは

まさにレジェンドと言えるピエール・カルダン氏の功績を振り返ってみていかがでしたでしょうか。たった1人のデザイナーですが、彼が文化に及ぼした影響は世界を変えるほどの力となったことが感じられたと思います。

もちろん革新への挑戦には大きなリスクを伴いました。時には周りから嘲笑されたともいいます。しかし、カルダン氏はそれをものともしない勇気をも持ち合わせていました。

「1つ成功したら、すぐに別の何かを始めます。止まりたくないのです。私は常に、自分自身を証明し続けたいと考えています」(ピエール・カルダン)

そんなカルダン氏の哲学は、いまも「ピエール・カルダン」というブランドに息づいています。本記事では値段に迫りましたが、彼のファッションへの飽くなき探究心の結晶をまとうことは、それ以上の価値があると言えるのではないでしょうか。(提供:JPRIME


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