特集『withコロナ時代の経営戦略』では、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が続く中での、業界の現在と展望、どんな戦略でこの難局を乗り越えていくのかを、各社のトップに聞く。
1950年に創業した澤村工務店が前身。滋賀県、福井県を中心に建築及び設計、造園、内装工事などを行っている。2019年9月期の売上高は40億円。注文住宅はもちろん、工場やオフィスの設計から施工までをトータルで提案できることが最大の特徴だ。2016年にオープンした琵琶湖の新たなリゾート施設「びわ湖テラス」は代表作の1つとなった。
(取材・執筆・構成=不破聡)
1982年滋賀県生まれ。大阪工業大学卒。
大学で建築を学んだ後、香川県の中堅ゼネコンに入社。施工の技術を習得した。1年半後に株式会社澤村に入社し、25歳で社長に就任。そのタイミングで世界金融危機に見舞われ、公共工事中心の受注体制を大きく転換した。最近では組織の再構築やリブランドに力を入れ、社員の働きやすい環境づくりを追及している。
リーマンショックをきっかけに個人向け事業が2倍に
――澤村社長就任後、注文住宅の伸びが目覚ましいです。
私が就任する前、注文住宅は年間5棟あればいい方でした。それが今は60棟手前まできています。個人向けのサービスは、リフォームや不動産仲介もありビジネスとしては幅が広いことが特徴です。事業規模は就任前と比べて2倍に拡大しました。個人向け事業を成長させた背景には、リーマンショックがあります。私が就任したその年がちょうど急速な不景気の真っ只中だったのです。公共事業が山ほどあり、入札すれば受注ができる時代は終わりました。民間の工事も減っていたため、公共事業に多くの会社が参入していました。競争が激化していたため、別事業に取り組む必要に迫られたのです。
――25歳という若さで社長に就任し、いきなりの試練となりました。
私が陣頭指揮を執ったというよりも、社員が一丸となってこの危機を乗り越えようという気運が高まりました。仲間意識が強くなり、組織は強固なものになりました。不幸中の幸いというべきです。個人向けのサービスを拡大するということで、役員が駅前でチラシを配ったりもしてくれました。非常に大きな転換点になったと思います。
――現在、注力しているのはどのようなことでしょうか?
組織をこれまで以上に強くしようとしています。その取り組みの1つがジュニアボード制度です。若手社員が役員に対して提案する仕組みを採用しました。これにより、組織の横連携が強くなりました。当社は仕事が属人的で他部署との連携が薄かったことが課題でした。滋賀県の中心には琵琶湖があります。部署同士の連携がないと、人や資材を運ぶのに琵琶湖をぐるりと回って本社に戻る必要があります。しかし、横のつながりが強くなれば、現場間での連携ができるようになり、生産性が高まります。会社が当たり前のものとして考えていたものを、若者の提案によって変えることができました。役員への提案は経営に参画するという視点も必要です。将来的な幹部を育成するという意味でも役立っています。
――2年前からはリブランディングにも力を入れています。
会社を象徴するものは何か。それを考えたときに答えが出てきませんでした。そのため、「きっかけを創造する」という当社の象徴的なキャッチコピーを看板として、リブランドをかけたのです。当社は建物を作ることが仕事ではありません。「豊かな居住空間で暮らす」「活気のある仕事をする社風が生まれる」といったきっかけ創りが本質的な仕事です。リブランドの過程で、そのことに気づきました。ものづくりにこだわることは大切ですが、それだけに集中してしまうと今の時代に取り残されてしまいます。モノ消費からコト消費へとシフトする中、建物ではなくライフスタイルの提案をすることが重要です。そうした意識を持つことで、社員の仕事への取り組み方も変わると考えています。
――その点、設計部門に強みを持つ澤村の本領が発揮されるといえます。
そうですね。先代が設計出身であったということもあり、デザインに強いのが他社との差別化ポイントになっています。通常、工場やオフィスは設計事務所がデザインしたものを、建築会社が形にします。しかし、当社は総合的な提案が可能です。
事業者向けの建築物の場合、慣例として高級感を出そうとするデザインが多くなります。大理石などをふんだんに使ったものが、典型的なパターンです。依頼人の年齢が比較的高く、要望を汲んだ結果としてそうなるのでしょう。しかし、時代は変わって若手の経営者が多くなり、地元で起業するスタートアップも多くなりました。木調のインテリアや植物、光を取り入れた働きやすさ重視のオフィスも好まれるようになっています。先進的なデザインの提案は、当社の強みの1つになっています。
フラットな組織を体現する新社屋が誕生
――社員の見た目や働き方にも変化が現れました。
リブランドに合わせて服装や見た目にもこだわりました。今までは作業着で過ごしていた社員が多かったのですが、シャツやジャケットを着用する機会が増えています。この効果は2つの面で出ていると考えています。1つは顧客の信頼を獲得すること。もう1つは採用面です。作業着はものづくりをする人というイメージが定着しています。ライフスタイルのきっかけを創造する当社のブランドには、あまりふさわしくありません。外見を変えることで顧客の見え方も変化します。社員からも、リブランドを踏まえた当社が何を実現しようとしているのか、説明しやすくなります。そこに顧客が共感して理解と信頼を深め、最終的な満足度の向上につながります。採用面では、間口が広げられると考えています。建築の仕事は危険できついというイメージがあります。外見を変えることで、その意識を払拭できるのです。
当社はもともと、社員同士の信頼関係が厚く、成長できる環境にあるというアンケート結果が出ていました。そのため、離職率は極めて低い水準に抑えられていたのです。しかし、人材を獲得することには課題を抱えていました。リブランディングによって会社説明会の質も上がり、面接での手ごたえも感じています。
――2018年には新社屋が完成しました。
若手中心のメンバーで設計を進めました。デスクを役職に関係なくフラットに配置することで、上下関係に縛られないようにしました。自然光が入る開放的な空間づくり、古材を使った内装は若者ならではのデザインです。当社のブランドイメージを体現したオフィスになりました。地元高島市産の木を使っており、地元産材の新たな使い方の発見にも貢献できています。当社に興味を持ってもらえる、象徴的な建物の1つとなりました。
――新型コロナウイルス感染拡大の影響は?
営業面では影響を受けていません。社員の働き方が変化したのが大きかったですね。部門同士の連携が今まで以上に図れるようになり、組織的な動きができるようになっています。これまで、遠方への打ち合わせは1日がかりの仕事でした。それがテレビ会議の推進により、1日に3件以上も行える状況になったのです。効率的になった一方で、プロジェクトの情報量が格段に上がりました。適正に処理しきれないことを、経営陣が危惧していた時期もあります。それを解消するため、部門長会議の頻度を上げました。各メンバーが自分の部署だけではなく、組織全体を使って課題を解決するような頭の使い方になっています。新型コロナウイルスは歴史的な厄災となりましたが、組織を大きく変えるきっかけの1つにもなりました。