国際分散投資を展開する機関投資家に続いて個人投資家のマネーもESG投資へ流入している。一方、ESGへの企業の態度にはばらつきがあり、投資家と企業のESGをめぐる認識のずれが時に株価の波乱を巻き起こしている。海外投資家の中には、ESGの価値観を共有できない企業に対して、ESGを標榜する機関投資家が株主として圧力をかけるケースもある。

ESG企業は、株価が上がり、配当も増える⁉

非ESG企業に海外勢が圧力
(画像=JanPietruszka/PIXTA、ZUU online)

ESG投資の急速な普及の土台には、掛け声倒れに終わりがちだったSRI(社会的責任)投資がある。ESGもSRIも、利益一辺倒の経営スタイルに「ノー」を突き付けるものだが、根本的な考え方は大きく異なる。

SRIが誕生したのは1920年代の米国とされる。100年前の当時、企業の社会的責任の観点から、キリスト教会がタバコや武器、ギャンブルなどの業種の株式を資産運用の対象から外したのが発端だというのが定説だ。これらは人類愛を説くキリスト教の教義の延長線上にあった。ただ、突き詰めていくと、現世で利益を貯め込む空虚さを説く聖書との折り合いの問題も出てくる。教会関係者に加え、ともすると資本主義的な企業活動に否定的な環境保護団体までSRIを支持しても、企業価値の増大につながらなければ、単なる企業モラルの問題で終わってしまう。

2000年代前半にも世界的にSRIブームが訪れたが、結局は定着しなかった。リターンではなく投資家や企業の倫理感や道徳に訴えるところに草創期から近年までのSRI投資の限界があったといえる。日本ではバブル期の1990年前後、有り余る資金の使い道として、音楽コンサートなど文化事業を支援する「企業メセナ」「フィランソロフィー」が流行語になった。こちらも慈善活動の域を出ないまま死語となってしまったが、原因は企業価値の向上とリンクせず、投資家と企業経営者の利害が一致しなかった点に尽きる。

一方、ESGは環境、社会、企業統治の3要素を永続的な企業活動に不可欠なものと考える。強引にまとめれば、ESGの3要素を尊重する企業は中長期的に発展して株価が上がり、配当も増えるだろうという考え方だ。環境、社会、企業統治の尊重が企業価値向上と結びついたことがESGが浸透してきた最大のポイントだろう。

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